綺麗な水路が縦横無尽にはり巡っている肥前浜宿。

19世紀初期に建築されたと推定される
「クド造り」の茅葺き民家。
旧乗田家住宅。
に案内されました。
鹿島藩に仕えた旧武士の住まいだったそうです。

この家を残そうと運動したのは
峰松さんただ一人で30歳の頃だったそうです。
今は古民家を残そうと色々と協力者がいますが、
時はバブル全盛期。
人が金に狂乱した時代です。
正気の沙汰とは思えぬ時代の運動です。
人並みならぬ苦労があったそうで
人徳が成し遂げた観光の茅葺民家です。

修繕前の家
震災に逢わぬとも老朽化が来るわけで
存続の選択は難しいところです。

良き理解者も峰松さんの人徳があってこそだと思いました。

色んなイベントに使われ楽器の音が澄みきるそうです。

家の裏も綺麗です。

せき止めても濁らない綺麗な水だそうです。

座敷は城を思わせる続き間です。
この町は武士が農業・工業・商業で働き、
峰松さんが子供の頃、
峰松さんも町の人も殿様がいらっしゃると
嬉しくて駆け寄り崇めていらっしゃったそうです。
「私はこの町が大好きでたまらん。
肥前浜宿の名づけ親は私じゃ。
何処にもない立派な町じゃ。」
と自慢していらっしゃいました。
ニコラブラブ


 
 
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肥前浜宿の町並みは漆喰が綺麗です。
庇の漆喰は丸く塗り込められてます。
密集地による防火対策の為ですね。
開き戸の丁番は腕の良い鍛冶屋が居たということです。
 
それにしても綺麗な漆喰が沢山です。
交差するところに丸い雌しべみたいなのが付いているのが
花なまこ
無いのが 本なまこ です。
左官業 中島長次(ちょうじ)さんの漆喰彫刻だそうです。
このお方も現代の名工だそうで 2人も名工が居る町なのです。
素晴らしい後継者を持つ町でした。
 
 
 
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峰松さんのガイドはマニアックな所に行けました。
町並みの外れの川沿いにある
泰智寺です。
後の山には城があったそうです。
立派な門があり見張り部屋付です。
 
ほとんどの門の上には階段も無く上がれません。
この部屋は特別な人しか上がってはいけないものだと思ってました。
ガイドの許可で上がることが出来ました。ニコラブラブ
急階段を上がって、部屋の中は
何じゃ!?この梁は
梁の上の多数の丸太はハネガラシ(跳ねがらし)
と言って
屋根の反りを調整するものだそうで
今でも触れば屋根が動いて調整出来るそうです。
立派な格子の窓からは来客がちゃんと見えました。
橋を渡る時は気を付けなはれ。ニヤ手裏剣
 
寺の裏にはお墓が沢山あります。
坊主墓
苔ぼうぼうです。どれだけ気持ち良い場所か分かりますね。
 
寺の北側には室町時代の石段があります。
昔、城があった今は公園に入る道です。
時間があれば登ってみたかったです。
 
石工の技術というかどうやって運んだのでしょうはてなマーク
昔の人は凄いですね。目
 
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肥前浜宿 ① 建築名称

テーマ:
肥前浜宿が観光ガイドにあったので
ガイド付きで予約してました。
ガイドは何と!!
現代の名工 峰松さんです。(77歳)
建築職人には国宝と言うのは存在しないのだそうで
国土交通省の管轄となりマイスターで国宝より上だそうです。
知りませんでした。イヒ
 
峰松さんのガイドは
建築・古民家・歴史好きにはたまらない内容ばかりです。
この壁に付いている 輪の金具は足場の縦の丸太を縄で縛る為のものだそうです。
何を飾るんだろう真顔はてなマーク
といつも不思議でした。
案内書の玄関ドアは引き戸が付いてますが
台車に乗った荷物が通れるように
全体は上に引きあがります。
裏の入り口も引き戸が付いた跳ね上げ式です。
修復の時に壁の構造が見えるようにしてあります。
 
庇を支えているのは頬杖
 
装飾性が高いのは 持ち送り 昔の名称かな?
山口醤油醸造さんのが一番綺麗だそうです。
 
棟瓦
茅葺屋根の棟に乗せて横の穴に竹を刺して固定します。
綺麗な現物を見たのは初めてです。
この配線には電気は通ってませんが
碍子が沢山ですニコラブラブグリーンハーツ
ストロー状の碍子も沢山ありました。
有田焼かもしれませんラブ
家主さんが何のこっちゃはてなマークでしたので
貴重品だから大切にしてくださいませ。とお願いしてしまいました。真顔
たった800mの町並みの中に登録有形文化財が6件もあるのです。
全て峰松さんの運動によるものです。
30歳からこの町が大好きで一人で始められたそうで
貴重な資料が沢山現存していました。o(^-^)o
 
 
 
 

牡蠣街道 佐賀県

テーマ:
佐賀県へ観光に車で行きました。
時間は掛かりますが、かもめに逢いたくて
有明フェリーに乗って行きました。
売店にかもめパンが売ってます。
無添加でとても体に良さそうです。
かもめは渡り鳥なので冬限定です。
長崎県に上陸して
佐賀県の牡蠣街道を目指します。

勇栄丸にしました。
食べたいものを買って
炭火焼で牡蠣を食べます。
蓋をあけると牡蠣がびっしりビックリマーク目ラブラブ
牡蠣だけで良かったかもです。ブタ
気持ちよく
眺めの良い所でした。
 
 
それから祐徳稲荷神社へ車ルンルン
牡蠣の食べすぎで喉が渇いてました。
 
おお∑ヾ( ̄0 ̄;ノ素晴らしい
上からの眺めも素敵です。

階段を数えてみたら
108段でした。
階段に合わせた高さかもしれませんね。
ガラス張りの塔はエレベーターでした。
さすが佐賀県案内板が有田焼です。
山頂まで行きたかったのですが時間が無くて断念しました。ハートブレイク
 
 
友達が えんたいごう を見に行きたいと言う事で
同行させて頂きました。
 
掩体壕(えんたいごう)とは何ぞやはてなマーク
装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設だそうで
戦闘機格納庫が分かりやすいですね。
宮崎空港周辺に沢山あります。
チラッと見かけてはいたのですが、じっくり見るのは初めてです。
これが一番大きなえんたいごうです。
着くないなや待ち合わせたように元特攻隊員のお方に出会い
戦争体験談を聞くこととなりました。ありえない偶然です。
 
当時最新の戦闘機 銀河 が格納されていたそうです。
 
 
宮崎空港北側には
宮崎特攻基地慰霊碑がありました。
元特攻隊員(当時20歳)だった庭月野さんのお話が聞けました。
特攻隊は宮崎で訓練を受けて知覧から飛び立っていました。
60人だった隊員は庭月野さん一人になり
今でも生きているのは
記憶で19.20歳のままの仲間の想いを語り継ぐ為だとおっしゃっていました。
俺達の命を掛ければきっと日本に春が来る。と信じて
戻らぬ戦闘機へと乗り込んでいった大親友達の素晴らしい人柄を語ってくださいました。
防災防災と言われる世の中に
人災の世を生きた庭月野さんです。
生き残っているのは親友への慰霊の使命だと思って生きていらっしゃいます。
頂いた資料をここに記載いたします。
 
ここで庭月野さんと別れて更に北へ
弾薬庫と言われる遺跡を見に行きました。
またまた偶然ここで育ったと言う老人に出会いました。
戦時中は7歳だったそうです。
弾薬庫・防空壕と語り継がれているこのコンクリートの中から
機関銃で戦闘機を撃っていたそうです。
空港北にある えんたいごう
安全な世の中にしてくれた若者達に想いを馳せる遺跡巡りでした。
 
 
先日、苔のセミナーがあるというので行ってみました。
宮崎県博物館の周りの散策をして苔を観察します。
宮崎県博物館には大きな木が沢山あり
街中とは思えないほど清涼感があります。
因って苔が沢山生えています。
水によって生命を維持するのが植物ですが
苔は水が無くなると仮死状態で少しの水分でも直ぐに生き返ります。
スポンジレベルの保水力があり森を守る絨毯です。
水を掛けるとあっという間に大きくなり
5時間後も大きくなったままでした。
空気中の湿気も逃しません。
これで家の床下の必要な高さが割り出せるかもですね。
苔は二酸化炭素を吸収して酸素を排出します。
苔が綺麗な所が気持ち良く
古民家が長持ちする場所のヒントにもなるかもしれませんね。
砂地は家の傷みが早いとはよく耳にします。
だから昔の人は庭に苔を生やそうと一生懸命だったのですね。

写真中心は宮崎にしかないというカタハマキゴケ
どれも同じに見えます。目はてなマーク
 
ゼニ苔
などなど見て回りました。
環境汚染の目安となる地衣類も沢山ありました。
 
午後からは元キノコカメラマンだった伊沢正名先生の講演です。
 
森の掃除をする微生物キノコのお話です。
小さなキノコ、菌類
それは正にエミールガレの芸術の世界です。
 
死んでしまったものや、動物の排泄物を
小動物に知らせる大切な役目も持っています。
それはそれは素晴らしいネットワークです。
解体、分解、などは
どの世界に置いても仕事が早いものです。
汚いと偏見を持って薬を使って微生物の役目を殺してはいけないと思います。
江戸時代は人の排泄物も売れたと言われるほどどんな物も役目があったのです。
微生物の分解があってこそ
命が繋がり循環する生態系があるのです。
土を汚さない事が一番ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 

椎葉村が日本三大秘境とは知らなかったかお

平家の落人の村で、とても山奥にあり、

宮崎人でも行くのを躊躇するほどだ。

昔、台風が来た時に

椎葉村に入る主要道路3本とも全面通行止めになった時、

ふと、逃げ切れた。もう追っ手は来ないむっ

しかも2回!?

やはりこの場所だったのだ。と思った事があった。

 

しかも昔は椎葉村は全員

椎葉さん

だったらしい。えっ


6年後には村まで2車線の道路が出来上がる予定で

とても行き易い秘境になる。
現在は交通規制が多く要注意。

 

知り合いが行くと言うので同行させて頂きました。

初めてに近いくらい久しぶりに行った椎葉村は

思っていたより大きく綺麗な村だった。

九州山脈の中心にあり、

とても険しく広い。

泊まった宿は地下2階の3階建て。

まるで清水寺みたいだった。音譜
岩にしっかりくっ付いているから大丈夫と

チャキチャキの可愛い宿のおばあちゃんが色々と話しかけてきてくださる。音譜

おばあちゃんの料理は美味しく鍋ステーキうお座割り箸ブタラブラブ音譜
一番大切なのは漬物だと作り方も教えてくださった。
発酵文化の大切さを知る。

 

 


(避難所として利用されている廃校)

 

椎葉村には10の地区があり

27の神楽がある。

椎葉に神楽があるとは知らなかった。

 

過疎化により消えつつある中で

ある地区だけ

高校進学の為一旦は全員村を離れるが

卒業するとほぼ全員帰って来て村の暮らしを引き継ぐらしい。

自分の暮らしが誇り高いものとして引き継がれているのだ。

 

現代文明の矛盾をとっくにお見通しだったのかもしれない。

あるいは平家の魂が残っているのかもしれない。

 

それは日本とは思えない異国のような暮らしらしい。

 

十根川重要伝統的建造物郡保存区目恋の矢

家も凄いが町並み全体で一つのデザインと思われる程美しい。

凛とした佇まいは厳しい自然を物ともしない生きる強さを感じる程だった。

 


古民家も力強く圧巻。目ラブラブ
セルフ宿として健在。

田舎暮らしの中で自立出来そうなたくましさを持った

魅力的な村でした。

 

 

 

 

たのかんさあ

テーマ:

たのかんさあ(田の神さあ)
豊作を願い 神を祭る。
形は人である。


取ったり取られたり。
引きずられ八つ当たりを受けたりもする。
たたる事は無い神様だ。


この完成度の低さがたたらないと思い込ませてくれるのかもしれない。


不作さえ祭りにして楽しめる工夫にさえ思える


思いは対象となる形がなければならない。

人と人がぶつかり合わないワンクッション役的な存在が欲しい。
自然への怒りが人に向かないような知恵なのだろう。

自然農法には信仰が必要であるとはこの事かもしれない。