月命日&ドラフト会議 | 夫婦奮闘記(亡き母の肺癌闘病記)

夫婦奮闘記(亡き母の肺癌闘病記)

実母が小細胞肺癌。2013年9月に発覚し、約2年間に及ぶ闘病の末他界。
闘病生活をの記録と、現在おかれている自分の夫婦問題をつづった奮闘記
モラハラ、暴力、姑、女性問題等。

久しぶりにブログします。

今日は待ちに待ったドラフト会議。
そしてオカンの月命日。

今日はオカンの大好きな混ぜ御飯作って、お酒飲みながらドラフト会議みてました。
オカンの好きな平沢大河君ロッテになったね。生きてたら千葉だし見に行けたねー。オコちゃんまさかの楽天だったね笑
しかし。。
世の中こんな辛いことあるんですね。。。ってのはオカンの代わりなんていないし、
いくら哀しもうが、泣こうが、元気だろうが、どうしたって会えないし、話せない。
オカンの事思いながら祭壇の花を選ぶのが唯一の楽しみで。これからお世話になると思うから青山フラワーマーケットのスタンプカードを作ってしまった(^^;;

お葬式終わってからじわしわと寂しさがこみあげてきて。
そんな感じなんで色々と改善策を模索してる毎日です。
ビートたけしの母親が亡くなった時インタビューに涙で答えてる母親への言葉とか今更リリーさんの東京タワーを読んで共感する事だらけで。余計かなしい気持ちになってしもうた。

毎朝がっかりしてるよ。当然だけど起きたらいないから。わが家の大黒柱だった人。
家の事は全てオカン中心。
朝6時には起きて庭の手入れして近所のお友達と喋ってるのが日課だったね。朝食作ってくれてたのがもうないんだね。近所の友達達はこの前も御線香あげに来てくれて。良い友達を持ったねオカン。
私が勤めてる会社は最寄りが東京駅。八重洲改札付近には毎朝お母さんくらいの年の人達が旅行バック持って楽しそうにしてる。オカンもっともっと色んなとこ一緒に旅したかったね。オカンとは東海道新幹線乗った事なかったね。広島とか西日本方面一緒にいきたかったね。

オカンがいないのは人生に張り合いがないね。稼いだお金で、旅行とか食事とか連れてくのがあたしの生き甲斐だった。喜んでくれるのが嬉しくて。
自分のサポートしてる営業が今季営業成績トップで表彰された事や、旦那が出世した話もオカンに聞いてほしかったよ。凄く喜んでくれただろーな。お母さんいないと気が抜ける。家のローン抱えながら、オトンが失業してる時も妹と私の為に四六時中働いてくれて、そのおかげで大学まで行かせてくれた。あたしが仕事で落ち込んで愚痴ばっか言ってる時もしかってくれたり励ましてくれたよね。石の上にも三年って笑。夫婦喧嘩も多いから喧嘩する度にオカンが相談のってくれて。
20代遊び呆けてばっかで、自分の事ばかり。実家東京なのに会社も実家から通える距離なのに、浅草で一人暮らしはじめて滅多に実家になんて帰らなかった。当時オカンの美容室が浅草だったから、そんな寂しさとかなかったかもだ。
私が会社が休みの週末朝は都営浅草駅前のドトールで待ち合わせして《勿論喫煙笑》たわいもない会話して、オカンが会社行くの見送ってたね。あの頃に戻りたいよ。
癌になってから親孝行したところで。。もっと親孝行出来たはず。
実家の余ってた土地にあたしが結婚して家建てて子供作って近くで暮らせてあげられなかった本当ごめんなさい。来年の母の日はオカンいないんだね。
なんか悔やまれる事だらけだな。

20代の時に勤めてた会社の先輩が、お母様を癌で亡くした時、
1ヶ月くらい会社に来ることができなかった。気持ちの問題で。
その先輩は40半ばの独身女性でお母様と二人で住んでいてずーっと何年も闘病生活を支えてた。亡くなる前日まで自宅で看病してた。会社に出てきてランチしてても涙する事が多くて。本当みてられなかったおぼえがある。
先輩こんな辛いんだね。最愛の母を亡くすって事は。

おかん。うまく行ってたと思ってた治療が余命1カ月って言われた時辛かったろうね。仕事も復帰するつもりだったし、大好きな子供たちとお別れしなきゃいけない。絶望でしかなかったんじゃないか。
あの時会社に戻ってしまい、おかんと少しでも一緒にいれなくてごめんなさい。もっと色んな事話したかった。余命1カ月ってわかってたら
強行突破で竹富島行ったのに!!
バカ!バカ!バカ!

オカンが亡くなってからの不思議な事。
地元の同級生二人がオカンが亡くなった事を風の噂で聞いてきて
お焼香をあげに来てくれた。久々に小学校、中学時代の話や、オカンに色々友達がお世話になった話などで盛り上がり、昼過ぎに来たんだけど結局帰ったのは24時。おかんの祭壇の前で夕食食べながら盛り上がってたんだがふとあたしの横みたら金色っぽいキラキラしたのが浮かんでて。あいやー!オカン楽しいんだね!嬉しいんだね!ワイワイするの好きだったもんね!あたしの友達の事凄く可愛がってたし!だからキラキラになって出てきたんだね!なんかそんな感じがしてならなかった!

オカンが亡くなってからオカンが生き返る夢とか、見てたんだが、
昨日の夢はなんか不思議だった。雪解けの新緑の季節に霊峰八海山にお母さんとバスツアーで行ってる夢を見て小川が流れてたから脚が不自由になったお母さんをかついで渡るところで夢は終わった。なんだかな。。

今後あたしはどーいう気持ちで生きてくんだろーか?現状毎日ふとした時思い出しちゃって涙するんだが、
そういうのも時が経つにつれてなくなるんだろうか?わからない。

ただ一つ言える事は、最愛の母を亡くした今は怖いものは無くなった。
なんだか人生悟った感半端ない。
人生感凄く変わった。
死への恐怖もない。
死んだらオカンに会えると絶対思ってるし(^ω^)

そんな感じでちとここ1カ月に思った事をブログしました。