浅草は江戸と東京が混在している町だ。しかしここ仲見世は江戸がモチーフだ。


そもそも仲見世は、日本で最も古い商店街のひとつである。徳川家康が江戸に開幕し人口増産。浅草寺への参拝客が増えるにつれ、境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのが始まり。元禄から享保(1688~1735)の頃らしい。


しかし、明治18年5月(1885)東京府は仲見世全店の取り払いを命じた。やむなく退店した後、煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が同年12月に完成、これが近代仲見世の誕生である。昨年は近代仲見世120年を記念して、「かっぽれ」がこの道筋で舞った。その景色は「江戸と東京が混在」していた。

仲見世入口

現在、仲見世は「雷門」から「宝蔵門」までの約250メートルの間に、東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗か並ぶ。こんな観光地は日本広しといえども、そんなにある光景ではない。


確かに、この仲見世は観光色が強い。しかし、どうだろう?近代、都市が発展してきた最大の要因と原資は観光にあるといって間違いない。世界一の観光都市パリやアジア一の香港をみればその理由はよく分かる。これまで日本という国は、町も人も、つまりは行くほうも受け入れる方も観光が下手だった。しかし、そうなってしまったのは、この一世紀。江戸人は観光が上手かったし、好きだった。


仲見世は「江戸」の佇まいだが「東京」を売っている。しかし、これは、浅草全体に言えることでは無い。このあたりが、浅草寺の表参道をまっすぐの道でつなぐこの仲見世の役割であり個性である。そしてこれも「東京原景」である。


冒頭の文章を修正する。「混在」ではなく「浅草は江戸と東京の融合」であった。