http://ameblo.jp/turtlehaze/entry-10442417856.html の続き


そこで、問題となるのは、何らかの債務をゼロに戻したり、多少所持する金銭が「1円」でもプラスに転じれば、本来「非貧乏」となるはずなのであるが、決してそうはならないことだ。


すなわち「貧乏」の反語は「非貧乏」ではなく「裕福」と、この社会は定義する。であるからして、将来支払うべき金額、「手形」も含め、それを万全に支払いきっても、なお余りある状態を「裕福」というのである。


そして、凡人は、この「裕福」なる状態を「幸福」と「飛躍的解釈」する。単純な算数的一次関数を数学的二次関数に押し上げてしまうのである。「健全なる」高度成長期には、X軸は所有する動産・不動産であり、Y軸は労働生産性であった。


しかし、現在21世紀初頭においては、そこいらへんが曖昧になり、事態をややこしくしてしまっている。どうも、Y軸は労働生産性ではなくなったか、新たにZ軸が登場して、三次関数になってしまったようなのだ。もはやチャールズ・ディケンズをもってしても、この「不条理」をば解き明かすことは不可能であろう。


したがって、私が生き恥をさらしながら、苦笑、己の「貧乏な気分」を呪いつつ「貧乏と不幸」あるいは「裕福と幸福」または「貧乏と幸福」そして「裕福と不幸」について考えてみたい。
(続く)