http://ameblo.jp/turtlehaze/entry-10443119335.html の続き



一番の理由として考えられるのは、「高級メガネはデカイ」ということである。

ここでいう高級メガネはグッチやアルマーニ、ゴルチェ、ベルサーチなどの

いわゆる海外ブランドのことではない。

日本のメガネの産地といえば福井県だが、そのメガネ大国福井の中でも超高級とされるもの、これが、オヤジメガネの代表格である。

さらに、江戸鼈甲の名人が製作したタイマイのメガネともなると百万円を超えるものもあるほどだ。これらはすべてデカイ。まったく流行とは無縁である。


まあ、職人芸、伝統的高級品というものは流行に左右されないからこそ価値のあるものだということもできる。しかし、百万出して「オヤジ感」が百万倍になってしまうのは、皮肉な自由主義経済の落とし穴だ。

つまり、単純な高級志向の発露が、こうしたオヤジ状態を促進しているのだ。


また、「遠近両用」ということもある。近視の人が老眼になった場合、半分ずつレンズを分けて利用する。従って、自ずとレンズも大きくなる。この走りは「HOYAバリラックス・ツー」、イメージキャラクターは広岡元監督だった。しかし、当時CMの中での広岡はダンディなお父様を演じていた。フレームもメタルだった。20年も前の話だ。


遠近両用をかけざるを得ない状態を指して、「オヤジ」というのは乱暴なので言うつもりはない。むしろ、そういうやむにやまれぬ状況の人に対してのアプローチが「ダンディ」という概念だったことに不快感をおぼえる。


遠近両用は別として、「高級メガネはデカイ」に戻すと、「デカイメガネは高級」と置き換えられる。つまり、デカさは、「高級感」すなわち「金持ち」を表象するのである。この短絡的図式になんの迷いもなく、コミットしてしまうナイーブさは「すっとこどっこい」というほかない。

ここで、無意識下で、お笑いのコンセプトと符号してしまうわけだ。一方は戦略的な「お笑い」、一方は戦略的な「富の象徴」として世間に登場する。もちろん両者ともに「お笑い種」であることには変わりない。


そうした幼児的価値観の形成はオヤジの他のパーツにも見受けられる。

2回は「ベルトのバックル」について考察する。