イアン・マキューアンの小説、――
「未成年」。
イアン・マキューアン「未成年」(村松潔訳、新潮クレストブックス、2015年)。
お堅い判事を妻にもつ中年の男が登場。――妻は仕事に疲れて、もう夫との夜の生活もままならないとおもっています。彼女フィオーナは、59歳。何かとずるずるしているうちに、夫から打ち明けられる奇妙な話。
「女の子とセックスしてもいいかい?」と。
まあ、冒頭は、そんな話からはじまるのですが、これは以前、「初夜」という小説を紹介したおなじ作者、イアン・マキューアンの「未成年(The Children Act)」という小説なのですが、読んでいて、けっして痛快な小説ではなく、けっしておもしろくはなく、それでいて、最後まで読ませる筆力はたいしたものだとおもわせます。
世の男たちは、一時はのぼせあがっても、2週間もすれば、夫に飽きられて、ふたたび家に舞い戻ってくるのだろうか、と彼女は考えます。
冒頭には、熟年夫婦のそんな話が描かれているのですが、こんどの小説は、そんな甘いものじゃない。彼女は裁判所の判事(裁判長)としての職務を忠実にまっとうしようとして、身をけずるのです。くたくたになるまで頭脳をはたらかせます。
患者のひとりがエホバの証人で、彼は輸血することを拒んでいるといい、法的に輸血をする方法はないのだろうか、そうでなければ何か別の方法で。そういう裁判案件もあって、近代的な医学の問題にも彼女は取り組みます。
エホバの証人は、けっして輸血することをゆるさない。死んでもゆるさないというのです。これでいいのだろうか、別の方法はないのだろうか、そう考える判事は、あらゆる本を読み、証人の出廷を願うわけですが、宗教の壁は越えられない。
信仰が医療を退けるとき、はたして何が命を救うのだろう? とても重い小説です。
生きていくのに障壁となるものはいくらでもあります。運悪く白血病になった患者は、輸血によらない方法は、はたしてあるのでしょうか?
♪
第2章.
弁護士は先をつづけた。「それでは、裁判長、アダムが白血病を患っていることはすべての当事者が認めているものと思います。病院は四種類の薬を用いる通常の方法で彼を治療したいと考えております。これは血液専門医によって行なわれる治療法ですが、これが一般に広く認められている証拠を挙げるとすれば――」
「その必要はありません、ミスター・バーナー」
「わかりました、裁判長」
(略)
「裁判長、家族の希望を尊重して、これまで白血病そのものに対する投薬だけが行なわれていますが、それでは十分ではないと考えられます。ここに血液専門医を呼びたいと思います」
「けっこうです」
(略)
予想どおり、息切れの最初の徴候があらわれている。もしも彼、カーターが自由に治療できるなら、80から90パーセントの確率で完全寛解する見込みがあるが、現在のやり方では、その可能性ははるかに低くなっている。
少年が入院したとき、ヘモグロビン量は8・3グラム/デシリットルだった……。
(第2章)
「すべての生命は神からの贈り物です。それを取り去るものも神の御心しだいです」
「自分の生命でないときには、ミスター・ヘンリ、そう言うのは簡単ですが」
「自分の息子の場合には、それよりさらにむずかしいことです」
「アダムは詩を書いていますが、あなたはそれを認めていますか?」
「わたしはそれが人生にとってとくに意味のあることだとは思いません」
「そのことで彼と口論したことがあるんですね?」
「真剣な話し合いをしたことがあります」
「マスターベーションは罪ですか、ミスター・ヘンリ?」
「罪です」
「妊娠中絶は? 同性愛は?」
「罪です」
「アダムはそう教えられてきたのですか?」
「彼はそれが正しいことを知っています」
「ありがとうございました、ミスター・ヘンリ」
(第2章)
第3章.
アダムが言った。「《もたれかかるわたしの肩に》というところがいいね。そうでしょう? もう一度やろうよ」
フィオーナ(裁判長)は首を振って、彼からヴァイオリンを取り上げると、ケースのなかに収めた。《楽に生きてほしいと彼女は言った》と彼女は歌詞を引用した。
「もうちょっとだけいて。おねがい」
「アダム、わたしはもうほんとうに行かなくちゃならないのよ」
「それじゃ、Eメールのアドレスを教えて」
「メイ高等法院裁判官、王立裁判所、ストランド街。それで届くわ」
彼のほっそりとした冷たい手首の上にちょっとだけ手を置いて、それから、それ以上抗議や哀願の声を聞きたくなかったので、後ろを見ずにドアに向かい、弱弱しく問いかけられた質問にはなんとも答えなかった。
「また来てくれる?」
(第3章)
第4章.
実際にそうだったという証拠はないが、彼女の印象では、2012年夏の終わり、イギリスでは結婚または内縁関係の破綻や危機が異常に大潮みたいにふくれ上がり、家族全員を押し流して、家財や希望に満ちた夢をばらばらにし、強力な生存本能をもたない人たちを溺れさせているような気がする。愛の約束は否定されるか書きなおされ、かつての気心の知れた伴侶が狡猾な戦闘員になって、費用には糸目もつけずに、弁護士の背後にしゃがみ込んだ。以前は顧みられることもなかった家庭内の品物が激しい争奪戦の対象になり、かつての気安い信頼は慎重に言葉を選んだ「取り決め」に取って代わられた。
(第4章)
彼女はただちにマリーナ・グリーンにEメールして、時間があったら、通常の追跡調査の一環として、少年を訪問し、結果を報告してもらえないかと依頼した。その日の夕方には返事がきた。マリーナは午後に学校でアダムと会った。彼はクリスマス前の試験準備のための課外授業に通いだしていた。30分ほど彼と会ったが、体重が増え、頬にも血色が戻っていた。生き生きとしていて、「剽軽で悪戯っぽく」さえあった。
(第4章)
「わたしはあなたがばかだとは思わなかったわ」
「でも、そうだった。医者や看護婦たちがぼくの考えを変えさせようとするたびに、ぼくは放っておいてくれと言いながら、自分では自分が立派で勇気があると思っていた。ぼくは純粋でいい人間だった。ぼくが深みのある人間なのを彼らが理解できないのがうれしかった。ほんとにいい気になっていたんだ。両親や長老たちがぼくを誇りにしてくれるのがうれしかった。夜、だれもいなくなったとき、ぼくは自爆者がするように、ビデオを作る練習をした。自分の携帯で撮影するつもりだった。それがテレビのニュースやぼくの葬式で流されればいいと思っていたんだ。みんながぼくの棺を担いで両親や学校の友だちや先生たちの前を通っていくところ、会衆の全員、花、花輪、悲しい音楽、全員が泣いているところを想像して、みんながぼくを誇りに思い、ぼくを愛しているのだと想像して、暗闇のなかで泣き真似をした。ほんとうにぼくはばかだった」
(第4章)
第5章。アダム・ヘンリのバラード。
わたしは木の十字架に手をかけて、小川のほとりまで引きずっていった。
わたしは若く、愚かで、夢に惑わされていた。
懺悔は愚行であり、重荷は愚か者のためにあるという夢に。
しかし、日曜日には、規則に則って生きるように言われていた。
(略)
そして、イエスが水面に立って、わたしに言った。
「あの魚は悪魔の声で、おまえは代償を支払わなければならない。
彼女のキスはユダのキスであり、わたしへの裏切りである。
願わくば……」
願わくば、彼がどうだというのだろう? 最後の一行の後半は、考えなおした単語を囲む蜘蛛の巣のような線の絡み合いのなかに、削除したり、もとに戻したり、疑問符のついたほかの単語に入れ替えたりしているなかに、埋もれていた。
(第5章)
彼は彼女のグラスをふたたび満たした。「そういえば、そのドレスはすばらしいね。きれいだよ」
「ありがとう」
彼らはじっと見つめ合ったが、そうしていると、やがてほかにはどうしようもなくなり、たがいに歩み寄ってキスをした。それから、もう一度キスをした。彼の手は彼女の背中のくぼみに軽くあてがわれているだけで、以前はよくそうしたように、腿のほうに降りてはいかなかった。彼は一歩ずつ階段を踏んでいるのだった。そのデリカシーが彼女の心を動かした。音楽的にも社会的にも重大な義務が課されているのでなければ、この解放がふたりをどこへ導いたかは疑う余地もなかった。彼女は夫の腕にすがってホールまで歩いた。
(第5章)
――それからのことは、どうか小説を読んでください。この小説は、ストーリーで読ませるようにはなっていません。女性裁判官と少年。命がいまにも消えそうになっている少年。暖炉の火が消えかかるように、その状況を、法という力で裁定をぐたすことははたしてできるのでしょうか。少年は詩を書き、自分の信仰の証を書きます。どこにも「ぼくは生きたい」ということはは書かれていませんが、彼は、神とともに生きたいとおもっているにちがいないのです。
でも、そこには信仰の壁があります。
裁判官フィオーナ・メイは、あれでよかったのだろうかと、すべてが終わったとき、深い感慨に打たれます。