インと陽がブレンドして。

 

 ロダンの絵。

 

むかしポール・クローデルという詩人がいた。

彼は3人姉弟のいちばん下で、上のお姉さんは、カミーユ・クローデルという女性で、ロダンの恋人だった。

クローデルが亡くなったのは、1955年。クローデルは、シャルル・ペギーとともに、当時のフランス詩壇の双璧をなす詩人として、名前がひじょうに売れていた。彼もまたランボーの詩につよく触発され、とくにランボーの「イリュミナシオン」や「地獄の季節」という詩集に出会い、ますます若い情熱が沸騰していた。

彼はもともとはフランスの外交官だった。外交官試験にトップで合格し、アメリカ、中国、日本のフランス大使として赴任した。

クローデルの詩は、まるで宇宙のような、とてつもないひろがりのある詩風が持ち味で、カトリックの荘厳なミサのように敬虔で、パワフルで、そのはなやかそうにみえる詩風は、風のようで、壮大な宇宙、――未知のコスモスを感じさせる。

 

星よ、

たいまつに鱗を輝かせて、海からなかば突き出た大漁の魚のような!

ぼくらは世界を征服し、そして見出した「あなた」の創造がなしとげられたのを。「あなた」の完成した作品に、不完全は入るすきがない。また、ぼくらの想像はただ一つの数字さえつけ加えられないのだ。

「あなた」の「一致ユニテ」を前にして、恍惚としているこの「調和コスモス」には!      

(ポール・クローデル「五大讃歌」の一部より)

 

翻訳では、どうもおもしろくない。

ボードレールとか、マラルメとか、ランボーと読んできてクローデルに行き着くとき、ぼくには、フランス詩の流れが見えてきたような気がする。ロダンが彫刻に没頭しながら、彼のお姉さんであるカミーユ・クローデルと付き合うのである。カミーユは、もともとロダンの弟子だった。

このころのロダンの彫刻の大部分は、カミーユをモデルに製作されたといわれる。カミーユが28歳ぐらい。ロダンが55歳。――詩にあっても、こういう大胆な発想が求められるようになる。まず、姉のカミーユがロダンの愛人になったという事実は、詩人クローデルに大きな影響をもたらしたようだ。

ランボーの、強烈で、燦々(さんさん)と降りそそぐ太陽のさんざめく詩文に煽られるいっぽうで、このような彫刻の世界で、太陽よりもずっとまぶしい強烈な作品を見たクローデルは、つぎつぎに書いていく自分の詩が、だんだんと大きく炎のように揺れはじめる。自分はカソリック教徒として、敬虔な自覚を持ついっぽうで、どうしようもなく揺れ動くのである。

ぼくはオーギュスト・ロダンの健康的な性愛が好きだ。

そこには、何も小むずかしいものはなく、ただ思ったもの、見たものを、彫刻や絵に描くだけだ。見たいものは、その目で見る。見たものは、あますところなく描く。彼は、人間描写にすぐれた芸術家であったとおもう。

それでも、彼はやめようとしない。

ロダンは、1917年に77歳で亡くなる。

おなじ年に、かつての妻だったローズ・ブーレが亡くなり、彼女の墓のかたわらに埋葬された。

それらの絵を観て、ぼくはまた新しい水彩絵の具を買ってきて、だれかのヌード絵でも描いてみたくなる。ヨーコの裸体を描いてもいい。――ロダンの絵の具で描かれたスケッチには、とても魅力がある。絵の省略が効果的に効いていて、強調される腕の部分だけが、黒い鉛筆で描かれたりする。肌の赤みがなんともいえない。エロチックで、品があって、それでいてナイーブな女性のこころの内面を描いているように見える。

詩も芸術ならば、このように肉迫するポートレートが描けるはずだが、ぼくはこの絵を観て、ただ感動するばかりである。

ロダン50歳といえば、カミーユ・クローデルとともに、フランスのトゥレーヌ地方をいっしょに旅したのちのことで、もっとも充実した日々に描かれたもののひとつである。このスケッチは、よく分からないけれども、たぶんカミーユ・クローデルをモデルに描いているとおもわれる。まさに、詩人クローデルの詩の1節を読んでいるかのように描かれているじゃないか。女性の「性」と「生」、どちらも、ちゃんと描いているように見える。

 

シースルーの袖口が、森に溶け込み、

夕日を透かす。

ふたつの黒い双眸(そうぼう)が、

彼女のこころのありようを湖面のように写すだろう。

 

ウッドデッキの上に、身を横たえたおんな。

無辜(むこ)の愛を交わすのを、じっと待つ。

夏のたそがれどきの

静かな時にゆだねて。

 

子宮の中心にある、罪深きもの、

それはおだやかな彼女の海だ。

こころの海は、波紋をつくり、

どうしようもなくおんなの壮美(そうび)を奏でる。

 

男は、この舞台に立って、おんなの欲する欲望を叶える。

いつ果てるともなくつづく欲望の渦。

果ててしまえば、太陽も沈むだろう。

男の生涯に、うるう年ごとにやってくる最高の時が……。

  

詩は、まことに都合よく生まれる。男の願望が、詩になってあらわれる。女もおなじだろうかとおもう。――ウッドデッキとワインと太陽。――これさえあれば、いつでも20歳の青年になれる。

青年といえば、むかし観たアメリカ映画「突然炎のごとく」のワン・シーンを想いだす。第1次大戦前のパリ。――そこでオーストリアの青年ジュールと、フランスの青年ジムは出会って、親友になる。ふたりは、カトリーヌ(女優はジャンヌ・モロー)という気まぐれな美女に出会い、夢中になる。じきに青年は、戦争で敵味方に別れるが、けっきょくジュールとカトリーヌは結婚し、戦後、ジムが訪れてみると、ふたりは不仲になっており、最後はジムがカトリーヌと結ばれる。

しかし、トラブルが巻き起こり、ふたりは輪禍に遭って事故死する。ジュールがふたりの棺を運ぶ。奔放に生きた女性とふたりの青年の友情が、心理小説のように、芳醇なシーンが繰り広げられる。これぞ、《映像による文学》の傑作と、自分は思ったものである。その「突然炎のごとく」という映画のワン・シーンを想いだした。

ぼくはジュールになったような気分で、からだを洗い、頭からぬるめの湯を浴びて、腰のまわりに石鹸をつける。手のひらで軽くこすると、柔らかいシャンプーの泡みたいに泡立つ。それを胸から腹部へと塗り込んでいく。

気分は最高!

ワインのほのかな火照りが、気分を昂揚させる。そばにいる女も、おなじことをする。お互いに背中を流し合い、こすり合いをして。頭からしたたる水滴が、タイルの床に落ちると、自分の亀頭を見つめる。

ゴルバチョフの頭みたいに、地図みたいな痣あざが、亀頭の真ん中に、ちょこんと縁取りしているのが見える。40歳を過ぎたころ、気がついたら、いつの間にかその痣が大きくなった。女は、その亀頭のデザインが芸術的で、「気に入ったわ」といって笑う。

女もおんなだ。――この年になって、「いずれ劣らぬ大船、巨艦、舷々(げんげん)相摩()す」の喩えとなり、トネリコの板を食む蠧毒(とどく)となり、ミミズの悶えみたいな、気持ち悪くて、むずむずする肉体の動きに、彼女は感動する。

 

窓をあけ、ぼくは日向(ひなた)くさい空気を追い出す。

ぼくは、そこにいる女の子の背中を見つめる。

ナターシャがそこにいる。ただぼくは見つめる。

子守りの子の期待を裏切りたくなかったからだ。

 

ぼくの子守りの子は、おっぱいも出ない。

子を孕んだこともない。まだ処女の女の子だ。

風呂のなかで、ぼくは彼女の背中を見つめる。ぼくは12歳だった。

 

スモモの木に登り、空を飛ぶカケスを見る。

稲架(はさ)の下で、小鳥たちが落ちた稲籾(いねもみ)をついばむ。

くちばしが大地をつっ突くと、

家のほうから、ナターシャの呼ぶ声がした。

 

ぼくは遠い夕日をおもい出しながら、「調律師の恋」のページを開く。

どこも、アメリカの風景ばかりだ。

これからはじまろうとしている《声の調律》を空想する。

彼女の歌は、よがり声のように聞える。

 

――女の声は、だんだん大きくなる。マーラーの《交響曲第5番》の第4楽章「アダージェット」みたいに、だんだんと上り詰めていくクレッシェンドの声だ。ほとんど最後は絶叫。ぼくはふたたび身震いする。

 

荒涼とした広いだけの大地に、夕暮れが迫ると、

風景の影まで、色濃く迫る。

もう情熱は影となり、まぼろしとなり、

どこかに消えてゆく。

もう、ふたたび戻ってはこないのだ。

 

あれから58年がたった。

壮年の情熱はいつしか冷めて、頭上は白くなり、

むかしのなまり言葉を懐かしむ。

すっくと大地を踏みしめたこの体躯は、

1万年前の死と同化したいと願う。

 

死と生は、蛇の頭と尻尾をつなぐ。

いにしえの彼方より、連綿とつづく宇宙ほど巨大な生。

それは、われわれの死を継承してきたものだとおもえる。

記憶をとどめる碑(いしぶみ)もない、忘れられた固体の死だ。

だからこそ、「いま」というこの時を、たのしみたい。

 

このときロダンは、どんなヴィジョンを見つめていたのか分からないけれど、彼は晩年、多くの婦人たちの絵を描いている。カミーユ・クローデルをモデルに描いた「脚を開いた裸婦」という作品は、いかにも幻想的に描かれている。

女性の、局部までちゃんと描かれている。20世紀になって描かれた裸婦像は、このようなものが多い。ぼくはロダンについては詳しくはないけれど、このなかの数枚は、じっさいに名のある貴婦人を目の前にして描かれたものらしい。絵が完成するまでの間、夫人は、じっとこうして身を晒していたのかとおもうと、ものすごい女のエネルギーを感じてしまう。――ワインと太陽がブレンドして。