21世紀のンドラの箱を開ける楽家たち。

 

 レナード・バーンスタイン。

  たとえば、ワーグナーやブラームスといった、偉大な音楽家たちが闊歩した19世紀ロマン主義のあとにやってきたのは、キラ星のような、なんでもありの20世紀だったことを想いだす。音楽の形式や、そのあの方、楽器やオーケストラの編成にも、もうタブーなんかなくなったかに見えた時代。

響きの美しさを最大限に発揮したドビュッシーは、ジャワやインドの音楽に大いにカルチャーショックを受け、パンドラの箱を開けたかのような音楽をつくった。彼だけではない。


 サイモン・ラトル。

  シェーンベルクの弟子ベルクも、偉大な先輩たちの思惑などどこ吹く風と、新手法で豊かなウィーンの音を響かせたし、そんなウィーンに背を向け、田舎で民族音楽の探求に忙しかったバルトークも、本気でシリアスな音楽と取り組んだ。

そのころパリを出奔したストラヴィンスキーは、そんなロマン主義音楽はもう終わったと宣言し、バロックやジャズから得体の知れないものを紡ぎ出し、パロディ三昧の音楽をつくった。そして革命ロシアでは、社会の混乱のさなか、若きショスタコーヴィッチはドライな雄叫びをあげ、声高に時代の物語を語った。

ふだん、ぼくはたいてい、ドビュッシーの「月の光」をまわして聴いている。

すると、フランスの「印象派」という新しい絵画の出現と同時に、その音楽がはじまったことを嫌でもおもい知らされる。それはどういうものだったか、ラヴェルの音楽と同時にはじまった印象派音楽に、絵画同様の芸術性を感じないではいられない。

このふたりの印象派の巨匠の作品のなかでも、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は忘れがたい音楽になって聴こえてくる。この一曲で、これまでの作曲家たちが使ってきた音楽語法というものが、根本から変えられたことを知る。ドビュッシーやラヴェルの東洋的なオリエンタリズムは、これまでの音の流れを目覚めさせ、パリ万博における日本の雅楽や、ジャワ、東南アジアの音楽を汲みとったものである。

ドビュッシーにとって音楽とは、個人的な感動の物語ではなく、イマジネーション豊かな「夢の領域」を指向するものだった。感覚的な印象を描くことに心血をそそいだ。ドビュッシーは若いころ、フォン・メック夫人の子供たちのピアノの先生を務めたこともあり、彼女は、チャイコフスキーに年金を送って経済的な支援をした女性としても知られている。このふたりは一度も会うことはなかった。

ぼくは現代音楽というものを、はっきり知っているわけではないけれど、ポール・グリフィスのことばを借りれば、「現代音楽にはっきりした始まりがあるといえるなら、それはドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》冒頭の、フルートの旋律が示している」といえるかもしれないなとおもう。

きょうは2月7日、絵を見るために越谷へ行った。――その帰りに、コーヒーを飲みながら本を読んだ。いつものことである。そしてぼくは、きょうは音楽について考えた。みんなすぐれた音楽だったなとおもう。それはオーケストラや指揮者にもよるだろう。

ぼくの人生に音楽があったことを幸せにおもっている。

イェーツという詩人は音楽のことを詩に書いていない。少しは音楽に触れていたことだろうに。ジェームズ・ジョイスとは違うのだ。ジョイスはアイルランドの舞台に立って、オペラのアリアを歌うほどの実力を持っていたが、それはともかく、ぼくには忘れがたい指揮者が何人かいる。いや、何人もいる。現代の名指揮者ランキングというのがあって、さいきんの発表――30人の批評家が選んだ指揮者ランキングなのだが、――それを見ると、第1位はサイモン・ラトル、第2位はマリス・ヤンソンス、飛んで、第6位にヴァレリー・ゲルギェフ、リッカルド・ムーティ、エサ=ペッカ・サロネンとつづく。――

圧倒的にサイモン・ラトルの人気が高い。ここ数年というか、10年はサイモン・ラトルの黄金時代がつづいている。それは認めよう。たしかにサイモン・ラトル指揮による音楽は、どこか聴くたびに新鮮な感じがするし、わくわくする。聴きなれた音楽が、新鮮なのだ。

むかしはカール・ベームの時代があり、カラヤンの時代があり、短かったがレナード・バースタインの時代があった。それは過去のランキングだ。それでもぼくの耳は保守的で、少なくとも、カール・ベームやレナード・バースタインの音楽が依然すてきだとおもいつづけている。それでもいいじゃないか、とおもうようになった。

もっともポピュラーな「ウェストサイド・ストーリー」の音楽。

そして、彼の作曲による「キャンディード序曲」など、レナード・バーンスタインの音楽はとても刺激的だ。タイン・ショスタコーヴィチの「交響曲5番」ロンドン交響楽団指揮は、1966年の名曲といっていいだろう。彼の若いころの指揮ぶりが映像としていま見ることができる。そしてマーラーの「交響曲第5番」。

ぼくの過去は、音楽とともにあったし、いまもそうだ。なのに、ぼくは音楽家を目指そうと一度もおもわなかった。数学にあこがれたが、数学者を目指そうとはおもわなかった。小説を読みつづけたけれど、作家になろうなんて、一度もおもわなかった。写真を見つづけたけれど、写真家になろうなんて一度もおもわなかった。

いったい、どうして?

読んだり、聴いたりする喜びを知ってしまったからである。これはひとつの才能かもしれないぞ、とおもう。小説を書いて、おもしろく読んでもらわないことには忘れられる。だが、忘れられている作品や、誤解されている作品を引っ張り出してきて、再評価することにぼくは情熱をもった。

いまふり返って、シェーンベルクや彼の弟子だったベルクの音楽に、もう一度耳を傾け、バルトークのシリアスな音楽にも耳を傾け、そのころパリを出奔したストラヴィンスキーの音楽にも、ふたたび時代の指揮者たちによる音楽に耳を傾けて、聴き直すのもわるくない、そうおもっている。

偉大な先人たちの思惑などどこ吹く風と、つぎつぎと新しい音楽の担い手たちがあらわれている。好きとか、きらいとか、偏見なしで聴いてみようとおもうのである。春の花のふくいくと咲き乱れるその木陰に、また新しい鬼才がたたずんでいるかもしれないのだ。5月を待つこともなく、あす、2月の人に会いに行こうという気分で。……