「しばらくの間、ようなら」とーンズは言った。


 スコットランドの詩人ロバート・バーンズ。

  ロバート・バーンズ(Robert Burns
1759-1796)は、スコットランドの国民的な詩人。ああ、ぼくはバーンズの詩にどんなに勇気づけられたことだろう、とおもう。15歳のぼくはバーンズを知らなかった。けれども大きくなって、ちょっと大人びたバーンズのこころを知った。

彼は貧しい小作人の子として生まれたが、こころまで貧しくなくて、それどころか、とっても初々しい気持ちで、少年のころから詩を書きはじめている。しかし詩人としての彼の15歳は決して早くなくて、むしろ遅すぎたくらいだ。エミリー・ブロンテは5歳で詩を書いている。なんという早熟な女の子だったのだろうとおもう。

北海道のいなかの田園に生まれたぼくは、詩人にはなれなかったが、あのさまざまな情景は、いまでも詩人のように「燃えるひまわり」を想いだすことができる。バーンズの「赤い、赤い薔薇(A Red, Red Rose)」は、ぼくのこころに残るとってもいい詩だ。バーンズの代表作といっていいだろう。引用の詩は「ああ、ぼくのあの子は、六月に花咲く/赤い、赤い薔薇のよう/ああ、ぼくのあの子は、みごとに奏でられた/あまい調べのよう」という歌い出す抒情歌曲、その最後のむすびの部分だ。

 

元気でね、ぼくの大切なきみ

しばらくの間、さようなら

かならず帰るよ、ぼくの大切なきみ

たとえどんなに遠い道のりでも

And fare thee weel, my only Luve,

And fare thee weel awhile!

And I will come again, my Luve,

Tho'it were ten thousand mile.  

 

weelというのは、スコットランドの方言で、現代英語のwellLuveLoveである。――ぼくには、こんなことをいう相手はいなかったけれど、その気持ちはわかるよ、とおもった。ぼくはバーンズなんて、知らなかったけど、女性も知らないうぶな学生のころ、ぼくは西條八十という詩人の本を読んでいて、バーンズの存在を知った。

「……スコットランドかあ」とおもった。

スコットランドにはジェイムズ・マクファーソンという詩人もいて、まったく同時代の人で、ふたりはおなじ1796年に亡くなっているが、バーンズのほうが圧倒的に知られ、詩人として、あるいは作家として活躍したウォルター・スコットも偉大な人だった。スコットの「アイヴァンホー」は、歴史的事実に即して描きながら、まったく架空の人物をおもしろく描き、歴史小説作家としてゆるぎないものにした。ぼくは英語のほんらいの意味を、この小説から存分に汲みとることができた。小説のなかに、いちいち語源の解釈なんて入れて、食卓にのぼる食べ物の由来が書かれていたりして、読んでいてとっても勉強になった。豚肉のことをなぜポーク(pork)といわれるようになったか、そんな由来がちゃんと書かれている。

いっぽうバーンズは、スコットランドの方言をいろいろと使い、抒情詩人として成功したが、バーンズはリウマチ熱に苦しみ、1796年、心疾患のため37歳の若さで亡くなった。

バーンズが収集し、みずから改作した数々のスコットランド民謡は、世界各地で親しまれているようだ。日本でも「Auld Lang Syne」は「蛍の光」として知られ、「Comin Thro' The Rye」は「故郷の空」としてとてもなじみ深い曲である。こんなすてきな詩を書いたバーンズは、ずっと、ぼくのこころをつかんで放さない。もう一度、声をあげて読んでみたい。

 

元気でね、ぼくの大切なきみ

しばらくの間、さようなら

かならず帰るよ、ぼくの大切なきみ

たとえどんなに遠い道のりでも