ーガールジュナの想3

――人生は空・仮・中である。

そういった人物がいる。天台の智顗(ちぎ)の「一念三千」の教説とならんで、智顗の代表的な教説のひとつに「三諦円融(さんたいえんゆう)」という本がある。

三諦円融というのは、3つのさとりが溶けこんでいる状態をいう。3つのさとりというのは、人生は空であり、人生は仮()であり、人生は中(ちゅう)であるというさとりである。

ひとりの男があり、舎衛城に、仮門(けもん)という美しい女がいるという噂を耳にする。男はこころに喜びを感じ、夜、寝て彼女の夢を見る。女と事をおこなったという艶冶な夢である。朝になって男が目覚めてみると、それは夢。――女がやってきたわけでもなく、男が女のところに出かけて行ったわけでもない。たんなる夢だった。

ところが、この喜びのときめきは、どうしたわけなのだろう。ときめきは、じっさいにあった。男は考えつづける。快楽の記憶はたしかに残っており、その喜びは、まるで実在したかのようである。

智顗は、この三諦円融を説明するのに、この話を譬喩として使っている。夢のなかの快楽は空しい。それはまさに仮のものであったからだ。しかし、この空、――この仮にもかかわらず、この喜びはそのまま残っている。人生においても、まさにそうであるかもしれない。

この人生は空しいもの、仮のものであるとしても、この人生を離れてどこへいけばよいのだろうか。この人生を離れたどこかに、別の世界があるとでもいうのだろうか。そうおもうのは、大きな間違いではないのか。人生を空と知りつつ、人生を仮と知りつつ、しかもこの人生を真剣に生きよ。――それが「中」のさとりなのだと智顗は教えた。

ぼくはこの話を読んで、ニヒリズムの淵を危なっかしく綱渡りする人間の現世というものをおもい知らされた気分だった。

空・仮の人生であっても、この人生を否定する愚を避けよ。この人生をつよく生きよ。人生を空しいと知って、その人生に安住することはいけない。たえずこの人生の空と仮とを観ぜよ。この人生にふたたび帰ってこい。――そういっているようにおもえた。智顗はそこで、ひとつの「諦(たい)」に偏してはいけないと説く。三諦でなければならないと説く。三諦、――すなわち空・仮・中の三諦である。この3つを、この人生にしっかりと足をつけて生きたらどうだ、そういっているようにおもえる。

「レ・パンセ」の作者、パスかルはいっている。

「人生の喜劇がどんなに美しいものであっても、最後はつねに悲劇である。ひとかけらの砂をかける。それですべてはお終いである」と。釈迦は4つの苦をあげて、生の苦、老の苦、病の苦、死の苦を説いた。この人間の相を熟視するところから、釈迦の思索がはじまった。

「中阿含(ちゅうあごん)経」には、青年の釈迦があらわれ、老人や病人、死人を見たときの憂愁についてのべられている。釈迦はまだ若い。

しかし、いつか遠からぬ日に、自分もまたあのように年老いて、病いを得て死んでいくであろう。そうおもったとき、釈迦の若い誇りなどは急に色あせていったとおもわれる。

ちょっと蛇足だけれど、苦諦の生・老・病・死の「生」というのは、「生きる」という意味ではない。生まれるときの「苦」である。まだ人として意識のない、まことに静かな世界。静謐(せいひつ)そのものの世界であり、まさに「空の空にして、これ空の空なるかな(Vanity of vanities, all is vanity.)」の世界であって、赤ん坊のゆりかごでもあり、べつの生へと生まれ変わるまえの褥(しとね)でもあるだろう。

遠大にして、無限の宇宙を感じさせるその胎内のゆりかごから、狭い産道をくぐりぬけて誕生する瞬間的な生命の躍動である。そのときの苦をいっているわけだけれど、そればかりではない。

釈迦は縁起にもとづく輪廻転生を説くなかで、べつの生から人間の生へ、人間の生からべつの生へと輪廻転生する瞬間の苦を、苦諦の最初にもってきた。べつの生というのは前世と来世のことで、その生は、どのような生なのか、だれにもわからない。人が亡くなってべつの生に輪廻する瞬間の苦、――苦諦の話はそこまでふくまれるので、これは人智を超えた話である。

前世の記憶はだれにもない。

そして、生の苦を記憶する人はだれもいない。生まれるまえの世界も、死後の世界も、だれにもわからない。

釈迦は最初、老・病・死の3つの苦諦を説かれた。そして説法の途中から、最初に「生」をおいて四諦のなかの苦諦説を完成されたわけである。

生の苦とはいっても、それを記憶する人はいない。とうに忘却している話である。これを釈迦は、人の誕生をもって生涯の苦のプロセスを論理的に暗示させようとしたのかも知れない。

そうしたことから、釈迦の人生観はあまりにも暗く、厭世的でさえあり、人間としての生の誇りは少しも感じられない。躍動的でポジティブな生は、最後には打ち消されてしまう。

そうであってはいけない。

もっとポジティブな生を取り戻そうではないか。

元気が出る、誇り高い生を取り戻そうではないかとして、釈迦が亡くなられてから400年~500年後、大乗仏教の創始者たちは、釈迦が、出家者たちに説かれなかった、在家者のための、さまざまな経典をつくった。

そこにおいて、釈迦の四諦説は否定され、それを乗り越えた教えを在家の人びとに説きはじめていく。釈迦の思想から脱却しようとする要求から、大乗仏教が生まれていった。――この問題は明らかに、「阿含経」をはじめ、初期仏教の経典にのべられていることと矛盾している。

人間釈迦がおのべになった教説は、人間の一生は短く、そして苦であるとする神秘性のまったくない現世的な考え方を切りかえる必要があるとして、たとえば、大乗仏教を代表する「法華経」の「如来寿量品」のなかにのべられているような久遠(くおん)成仏した如来像を描くことになった。じっさいの人間釈迦ではなくて、法身仏(ほっしんぶつ)としての象徴的な釈迦をつくって、神秘的な釈迦像を描いたのである。

 

余がこの上なく完全な悟りを悟って以来、すでに幾千万億劫という多くの時間が経過しているのである。たとえてみれば、すなわちその数は五十・千万億という世界にある大地の微粒子の数に等しいのである。云々……。

 

――と書かれている。

「劫」というのはカルパ(kalpa)の音写「劫波」の省略した名詞形である。カルパというのは、ヒンドゥ教の世界観をしめすときに使われている数の単位で、1カルパは43億2000万年だから、気後れするくらいの長い時間である。想像することも、計算することもできない長い時間である。

「法華経」に描かれている如来は、生まれるはるかむかしに、すでに成仏していると説かれ、はるか以前に入滅したけれど、「あれは方便であった」とのべられ、通常の時間の概念を、はるかに超えたむかしということをのべている。

 

あのとき、この世で余は入滅したのではない。僧たちよ。あれは余の巧妙な手段なのだ。云々……

 

――とのべられている。

如来が自分の死を示して、あれはたんなる方便なのだと説いた。自分は死んだのではない。自分は死んでみせたのである。それは衆生への巧みな方便のひとつでしかなく、自分は久遠のむかしに成仏し、衆生の世界にくだって入滅してみせたのである、といっている。

また、「弥勒(みろく)の世」とは、大乗仏教では、弥勒菩薩がこの世にくだって衆生を救うとされる未来の世をいうけれど、どれぐらい未来なのだろうか。弥勒は仏になることを確定しているところから、「弥勒仏」ともいわれ、釈迦の入滅から56億7000万年後の未来にこの世にくだり、衆生を救済するとのべられているので、これもまた、とんでもない未来ということになる。

また「般若心経」では、手厳しく釈迦の四諦説を否定している。

小乗仏教においては、四諦は釈迦仏教の根本命題だが、大乗仏教では、あまり四諦には触れられていない。この世は苦であり、苦ばかりであるなどという思想は出てこない。「般若心経」ではむしろ、四諦が否定されている。四諦というのは、苦、集、滅、道の4つだけれど、「般若心経」には、こう書かれている。

 

無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。…………

このようにおしなべて実体がない世の中であってみれば、迷いもなく(無無明)、また、迷いがなくなるということもない(亦無無明尽)。さらには老いることも死もなくなり、また、老いることと死がなくなるということもない。同様に苦しみ()も苦しみの原因()もなく、苦しみを滅することも()、苦しみを滅する道()もなくなるのである。――と。

 

最後の「無苦集滅道」というのが、それである。

そういう苦はないのだとのべている。――釈迦の唱えた四諦はないと、はっきりいい切っている。「無、無、無、……」と書かれているのが特長である。「般若心経」は、大乗仏教の空の思想を解き明かした最初の経典とされている。わずか262文字しかない。

それでいて、遠大な宇宙を感じさせるこのお経は、きわめて短いので、写経にもっとも適したお経として、わが国では人びとに親しまれている。

さて、最も積極的に生を肯定する仏教は、密教である。

日本では空海の真言密教が知られている。――大乗仏教がはじまった背景には、以上のような理由があったと考えられている。

その立場で理論的に体系化して、この世は「空」であると論じたナーガールジュナは、それまでの釈迦仏教をいくぶんかポジティブに反転させ、補強していった最初の人といっていいかもしれない。

しかし、空は空であり、当時のインド哲学において衝撃的な命題となったが、それから100年後にいろいろと緒論があらわれ、先述したようなアーサンガ、バースバンドゥらの出現によって、唯識説が確立されていった。

ナーガールジュナの「中論」は、くりかえすようだが、のちにクマーラジーヴァによって中国に伝えられ、「中観(ちゅうがん)」と訳されて以来、中国では空論時代を迎えた。クマーラジーヴァは、「妙法蓮華経」など多くの経典・論典を漢訳し、中観仏教を中国じゅうにひろめた。

現在、日本人が仏教をやると、かならずといっていいほど、この「中観」を読むわけだけれど、この本の最初にのべられている「不生、不滅、不断、不常、不一、不異、不来(ふたい)、不去」という、いわゆる「八不(はっぷ)」の思想というのが、とにかくわからない。

――たとえば、蛇足だが、梶山雄一氏(京都大学元名誉教授・仏教学)にして、わからないのは自分だけかと思っていたら、そうではないらしいなどといっているくらい、わからないとされている。

ナーガールジュナの「中論」は、ともかく、わからないのが当たり前というのだろうか、中国でも、チベットでも、ヨーロッパでも、日本でもわからないとされている。

いろいろな人が、「八不」の現代的解釈をこころみている。

上田閑照という人が考えた自覚についていえば、たとえば西田幾多郎のことばの定義にもおよんでいる。「主もなく客もない」という純粋経験を表現することばから、純粋経験の自発的な発展(自展)をとおして、「自覚」や「場所」の考えが導かれるというものである。

「主観-客観」は対義語であり、これらのそれぞれの否定「主もなく客もない」は、「不生不滅」で代表される「八不」と構造ととても似ており、「八不」の解釈にも応用できるのではないかと考えられている。――こういうことを考えようというのがインド哲学なのである。

「八不」に示されている対(つい)の構造、すなわちそれぞれ対をなす対立することばのそれぞれは、固定されたある状態を示している。そしてこの対のそれぞれを否定することは、その対を固定した状態にとどまらないという考えを導き出す。

すなわち「八不」は、対立する対のことばのフレームをいったん破り、「無」のかぎりなく開かれた無限の空間へと放たれる状態へと出発し、ふたたびもどってきて、もっと開かれた自由な空間の体系として形づくる。こういうことを考える哲学も日本で生まれている。

「考える自由ですか? ブーメランみたいですね」と彼はいった。

「そもそも日本人は、インド哲学にはなじみがないので、西洋哲学の考え方、――演繹法でものごとを考えてきましたからね。なかなかわかりにくいのですよ」

「演繹法ですか?」

「そうです。その反対は帰納法です。インド人は帰納法で考えますから、川は流れている、いつまでも流れているように見える。しかし、いつまでも存在する川として考えない。いつかは涸れて、水が消えてなくなる。これを空(くう)というわけです」

「空?」

「空は、存在するけれど、非存在でもある。けれども日本語でいう無ではけっしてない。あるけれども、ない。両方の語義がちゃんとあって、……」

「神秘的ですね」と、彼はいった。

自分の神秘主義的な主張を、合理的に説明するというのが、ナーガールジュナの哲学。――つまり、「アビダルマ」とか、「ヴァイシェーシカ」とかいった立場を批判する方法をとっているのが彼の特長である。