間を数にすると、特異点になる?

  ホーキング博士。

 
ぼくは、宇宙ほど謎めいた話はないとおもっているのですが、この未知の宇宙には、人類が出会ったこともない暗黒物質があり、それは、全宇宙の96パーセントもあるらしいという話は、数年前からちらほら本で読んだり、聞いたりしていました。佐藤勝彦氏の「宇宙《96%の謎》」(実業之日本社)と題された本が出たのは、200311月でしたが、ちょうどそのころかとおもわれます。
 
  そのころからぼくは、進化論の本とか、宇宙の本などを好んで読むようになりました。なんだかよくわからないけれども、その「暗黒物質」の正体がまだぜんぜんわからないというのですから、宇宙のほとんどをまだ人類はわかっていないということのようです。ですから、宇宙の話をしても、まるで雲をつかむような話で、のらりくらりとヘソのない話をしているようなものです。

1905年にアインシュタインが「相対性理論」を発表し、それからおよそ100年が過ぎたわけですが、この100年間に多くの宇宙にかんする本が出て、世界は宇宙に関心を持つようになりました。宇宙を科学の力で理解しようという動きが見られたのも、アインシュタインの論文が出てからのことのようです。

それはいいのですが、現在わかっていることだけをかんたんにいうとすれば、「宇宙は、《無》から量子論的効果によって生まれた。その誕生直後のミクロ宇宙はインフレーションと呼ばれる急激な膨張により、マクロな火の玉宇宙、ビッグバン宇宙となった。インフレーション中に仕込まれた物質密度の揺らぎ、凸凹はその後次第に成長し、銀河団、銀河、そして星となった。そして豊かな構造をもった現在の宇宙が形成された」(佐藤勝彦氏の「宇宙《96%の謎》」より)。

現在わかっていることをのべれば、これに尽きます。

これ以上のことは何ひとつわかっていないのです。

これが現在の、科学的にひろく受け入れられている宇宙誕生とその進化のシナリオです。これにはとうぜん異説もあり、宇宙が火の玉ではじまったとする専門家もいれば、そうでない考え方をする専門家もいます。ビッグバンによって宇宙が誕生したという説は、1946年にG・ガモフによって提唱されてきた考え方です。格別目新しい考え方ではありませんけれど、その後、「インフレーション理論」や、「無」から創生されたという理論も出て、宇宙誕生から現在の構造まで、だんだんと統一的に宇宙を説明することのできる新しい理論が生まれました。

光電にかんする技術や、人工衛星による観測などから飛躍的にすすみ、この新しいビッグバン理論は、それらの観測によって裏付けられるようになりました。その代表的な例が、CОBE(コービー)衛星による宇宙にある放射の揺らぎの発見です。CОBE(コービー)衛星は、宇宙が誕生してから30万年しかたっていない宇宙の姿を描きだしたというわけです。

このチームの責任者(リーダー)だったG・スムートは、インフレーション理論と一致することを突き止めたのです。そして、彼は2005年にノーベル物理学賞を受賞しました。そして、宇宙の背景放射の温度を精密に測定し、その値が2・725Kであることを突き止めたJ・マザーという専門家にもノーベル賞が授与されました。最新のデータでは、宇宙の年齢は137±1・2億年ということです。

「――ということは、ダークマター(暗黒物質)は、全宇宙をつくっているとでもいうんですか?」と、Kさんは驚きの表情でぼくに質問します。

「そういうことのようですね」

ダークエネルギーの正体は、いまのところぜんぜんわかっていませんが、観測によって、宇宙を構成する物質の割合は、ダークマター233パーセント、ダークエネルギー721パーセント、ふつうの物質を4・6パーセントとしています。そういうわけで、ダークマター、ダークエネルギーの合計を四捨五入すると95パーセントとなります。±を考慮すれば、多くて96パーセントということになるそうです。

スティーブン・ホーキング博士は、おそらく現代でいちばん名前が知られた物理学者でしょう。年齢はぼくとおなじです。20歳でALS(筋委縮性側索硬化症)を発症したホーキングは、いまは、からだがほとんど動かなくなり、しゃべることさえできなくなりましたが、いまでも活躍をつづけている学者です。

ホーキングのこれまでの半生をざっとながめてみると、そのなかにペンローズという男が出てきます。ホーキングの博士論文の審査をしたメンバーにひとりに、そのペンローズがいました。ペンローズとはいわば師弟関係にあるわけです(ロジャー・ペンローズ「皇帝の新しい心」、林一訳、みすず書房)。

ともに研究分野は「アインシュタインの重力理論」で、宇宙全体やブラックホールに適用すると、そこには「特異点」が存在する、ということをいいはじめたふたりです。「ブラックホールの真ん中に特異点がある」といい、ホーキングはこれを受けて、「宇宙のはじまりに特異点ある」こととはおなじではないか、という論文を彼との共著で出しました。そして、宇宙のはじまりである「ビッグバンは特異点である」という結論を得、これを証明しました。これがのちのちのホーキング博士を悩ませます。

ブラックホールというのは、太陽よりも数10培の質量をもった星の寿命が尽きて、超新星爆発を起こしたあとに残る黒い大きなアナのことです。だからブラックホールというわけです。

星の外側は吹き飛んでしまいますが、内側には芯のようなものがあり、これは爆発とは反対に、内に向かって猛烈に縮み現象を起こす。専門家はこれを「爆縮」といっています。

このため、宇宙でもっとも速いはずの光でさえアナに吸い込まれたら外に逃げることができなくなります。光が閉じ込められるので暗くなり、これをさして「ブラック」といっているわけです。

このときにいわれる「特異点」というのは、ブラックホールの真ん中にある温度が「無限大の点」であることを意味します。ふつうの物理学ではうまく説明することができません。なぜなら、特異点の大きさがゼロで、温度やエネルギーが無限大というのですから、想像もできません。

しかし、このような特異点がじっさいに存在するかどうかは、わかっていません。量子論の効果によって、完全に大きさのないこのような点が、はたして物理学的に存在するかどうか、いまのところは、特異点なるものは、数学的な概念にすぎないとおもわれているようです。

宇宙が誕生したとき、それはそもそも有限の大きさだったのだろうか? とか、または大きさのない、ただの点だったのかなどなど、そういうことを考える物理学者は、ビッグバンこそは特異点そのものだったといっているわけです。

でもおかしいですね。

特異点というのは、温度やエネルギーが無限大というのですから、あとで有限になることはあり得ないのです。

現在の宇宙は無限大ではなく、有限の世界で膨張をしつづけていてるわけです。ホーキングにとって、困った事態となりました。なぜなら、宇宙のはじまりにおいていきなり「無限大」になるということは、どんな数学者も、そのはじまりを特定したり、計算することができないからです。

そこで彼がおもいついたのは、「虚時間」という概念です。「時間を虚数にすると、特異点が消える」というわけです。

なんのことかとおもいます。虚数というのは、かんたんにいうと、2乗するとマイナスになるような数のことです。虚数i2乗はマイナス1です。ホーキングの著書「ホーキング、宇宙を語る」(S・W・ホーキング、林一訳、早川書房)では、1秒のかわりに秒となっていて、宇宙開闢(かいびゃく)において、彼は虚数を用いて説明しています。

「虚数! やっぱり出ましたね。虚数が、……」とKさんはうなります。ぼくがたびたび虚数の話なんかするからです。

「それでどうなりました?」とききます。

「ぼくにはわかりませんね。……ただ、ぼくにもわかる話をすると、ホーキング博士は、偉大な学者だけれど、神の悪口をいうものだから、敬虔なクリスチャンだった奥さんは離婚の手続きをし、長年連れ添った彼と別れているという事実には興味ありますねぇ」といいました。莫大な彼の資産をめぐって離婚訴訟を起こし、娘さんと継母のあいだにもおまわりがやってきて、騒動の仲裁に入ったという報道があったとか。

それにしても、身動きできないからだになりながらも、ホーキング博士は、茶目っ気たっぷりで、賭け事にうつつをぬかし、たいがいは敗けているという話です。賭け事とはいっても、宇宙理論の賭け事で、彼は勝ったためしがないそうです。自分の考えが裏目、裏目にでて、こんどは「虚数」を持ち出しました。著書「ホーキング、宇宙を語る」は、世界的なベストセラーになりましたが、こんなにむずかしい本が、よくも売れたものだと感心してしまいます。この人の「虚時間」説をよく理解できる人なんか、おそらくひとりもいないでしょう。