ある団体から追放された話~歴史修正主義との闘い~ | 続・猫と饒舌の日記

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文筆家・古谷経衡のオフィシャルブログです。
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【イベント情報】2015年4月5日、日曜日夜7時から(下北沢本屋B&Bにて、内田良名古屋大学大学院准教授とトークイベント行います。

内田良×古谷経衡×Yahoo!ニュース個人編集部
ネット空間で建設的な議論は可能か~課題の発見と解決にむけて


リアルnewsHACK presented by Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュース編集スタッフによるブログ「newsHACK」がプロデュースするトークイベントです。


   時間 19:00~21:00 (18:30開場)
    場所 本屋B&B 世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
    入場料 1500yen + 1 drink order

ご予約やイベントの詳細はこちらをご覧ください。

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 ワタクシ、こうみえて、高校時代は写真部の部長をやっておりました。部員ではありません。部長です。

 経緯をお話いたします。札幌市内の中堅進学校に通っていた私は、生来のねじ曲がった根性と世の中を斜めに見る性分が故、友達があまり出来ませんでした。学校側は部活に入ること、を推奨していましたが、こんな性格の私ですから、既存の部活動に入っても、先住者と折り合いがつかず、浮くに決まっています。


 そこで高校1年生当時の私が考えたのが、「部活動を新規で立ち上げること」でした。自分で作った部活ならば、先住者に何気がねなく、好き放題できるからです。


 色々と校則を調べましたところ、「新規の部活立ち上げには、賛同者が5人以上必要」などという規制があることが分かりました。友達に乏しい私に、5人の賛同人を集める(私以外にあと4名)は、至難の業です。新規参入の壁は高いものでありました。


 そこで考えあぐねた私は、「すでに存在しているが、部員ゼロで休眠状態の部活動を復活させる」という、「校則の盲点」を突くという、トリプルAの方法を思いつきました。この方法だと、私一人が部員となるだけで、簡単に部活動を行うことが出来、また当然部員は私一人ですから、自動的に私が部長になります。一人部活、一人部長。性根のねじ曲がった私にとって、こんなに好都合なことはありません。


 つまり今風に言うならば、休眠企業の買収・乗っ取りです。


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 わが校の休眠部活の一覧を早速調査した処、写真部、茶道部、伝統遊戯部(けん玉とかコマ遊びとか)などが存在していることが分かりました。過去のエントリーでも書いたとおり、私は高校時代は一時期美大を目指していたので、写真部が最も都合が良い、という結論に達しました。実際、当時の私はアナログの一眼レフを使って、ポートレートを撮っていたので、まさしく天が与えたもうた僥倖、と言えましょう。


 休眠部活の復活は、予想以上にスムーズに行きました。それまで知らなかったのですが、わが校には、誰も使っていない写真部用の「暗室」が存在し、現像設備が完備されていたのです。写真に詳しい顧問の教師が専任指導者となり、「暗室」のカギも譲り渡され、なんと年間部費が5,000円も拠出され、それが部長の私一人の一存で、事実上使い放題になるという天国のような状況が現出したのです。


 勿論、「写真をとって現像する」という写真部本来の活動は一応行いつつも、実際にはその、10畳位の広さの「暗室」は、私にとって「隠れ家」となりました。放課後、自宅から電気ポッドを持ち込んでコンセントに指し、カップラーメンを食べながら、教養書や小説を読みあさる。そんな桃源郷のような生活が、約1年弱、続いたのであります。本当に充実した時間でした。


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 ところが、そんな夢の様な楽園の日々は、長くは続かなかったのです。私が高校二年に進級してまもなく、大量の新入部員が入ってきたのです。総勢、10名位の女子の集団でした。

 なぜかといいますと、私が高校1年の時に、「写真部部長」という肩書を、同級生に吹聴しまくったせいで、同級生に「写真部」という存在が知れ渡り、なおかつ「古谷が部費の5,000円を好き放題に使っているらしい」という噂が、広まったためでした(噂ではなく事実だったのですが)。

 つまり、楽園の存在を、外部の野心家が嗅ぎつけた、という構造です。レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』状態、といえば、わかりやすいでしょう。

 普通、女子がやってくればハーレム状態、と思うでしょうが、実際にはそんなことはなく、当時童貞だった私は、新規加盟の女子とまともに交流できるわけでもなく、そのそも、前述したとおり、私の写真部復活の動機そのものが、私的で不純なものに満ちていましたから、あれよあれよという間に、私は暗室から追放される事に相成ったのです。

 中世の日本でよく「下克上」という概念が紹介されますが、まさに私の「写真部追放」は、下克上そのものでした。数の力で物を言わせる女子軍団(実際、どの程度カメラに興味があったのかは定かではない)が、旧態依然とした守護大名=ワタクシを、追放したのですから、下克上以外の何物でもありません。

 こうして私は、高校2年の夏頃には、すっかりと暗室から遠ざかり、そして部長たる私の権勢の生命線であった暗室のカギの使用権まで、彼女たちにすっかりと、明け渡すようになったのです。



*参考(写真部のカギの受け渡し書にサインする私=右、とそれを高圧的に見守る下克上した女性新部長H=左)嘘…本当はIMFのカムドシュ専務理事とスハルト。(出典:FAR


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 そして卒業式。私は、いろいろな理由があって高校の卒業式を欠席したのですが(その理由は、いつか別の機会で話します)、我が古巣であった写真部の経緯紹介を伝える卒業アルバムの部活動のコーナーには、私が一人写真部長をやっていた歴史は「無かったこと」にされ、下克上で私を追い出した、メガネ女子のHさんとその取り巻きの面々が、何くわぬ顔で、再興後の初代部長として紹介されていたのです。私の存在は、全く消し去られていたのです。

 まさに、これを歴史修正主義、といわずしてなんというのでしょうか。

 わが校で、何年も休眠の憂き目にあっていた写真部を復活させ、その歴史を再スタートさせた最大の功労者である私の存在は消し去られ、あとから暗室に闖入してきた侵略者どもが、堂々と過去の歴史を改ざんしていたのです。

 わが校の卒業アルバムという「正史」に、私の功績は全く、跡形もなく消されておりますが、歴史の真実は、私に味方しております。

 北海道立札幌◯高校の写真部を、90年代後半に、一人、再興したのはこの私であると、その歴史を消すなと、私は言いたいのです。

 歴史は、勝者によって上書きされます。我々は、歴史の流れの中に消えていった人々の無念を、決して忘れてはならないのです。


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