- 古川 日出男
- 「アビシニアン
」
出会うのは、三者三様の痛みを抱え、痛みを克服する術をそれぞれの手段、それぞれの手法で勝ち得た人々。
義務教育終了後、全ての過去を棄て去った少女は、都心には珍しい巨きな緑地をかかえた公園に還る。
そこにはかつて彼女の家の飼い猫だった、アビシニアンの雄猫がいるはずなのだ・・・。
アビシニアンと再会を果たした彼女は、猫の生態に学び、猫と共にバードサンクチュアリに築いたシェルターの中で、季節を過ごす。
去勢された飼い猫であったアビシニアンは野性味溢れる動物として生き、彼女もまた嗅覚を研ぎ澄まし、独自の体感を発達させる。
そうして、ある日、彼女は強烈なイメージを得る。それは焚書。野生の言葉、ほんとうのことばを識った彼女に、以降、書かれた文字は必要のないものとなる。
大学生の青年は、突然襲い来る偏頭痛の発作に苦しんでいた。それは圧倒的なイメージの奔流であり、言葉にして表す事、他人に対して説明する事が出来ないもの。
発作が何なのか全く分からなかった彼に、ある日開いた雑誌の偏頭痛の特集は啓示となる。それはことばの可能性。
正体不明のものを理解可能なものとするために、青年はシナリオ書きに熱中し、多様な声を聴く事を始める。
青年と彼女はダイニングバー「猫舌」で出会う。彼女に物語る事で、青年のシナリオは加速する。それは顔のない少年と声の物語。顔のない少年は、「顔がない」ゆえに世間から、また両親からすらも識別されず、彼と共にいるのは彼が生れた時から聞こえる声のみだった。物語が進む中、その声からも断ち切られた少年は、最後ににおいを知る少女に見出される。顔がなくとも、においを識る彼女に、少年の識別は可能だ。
ダイニングバーの経営者であるマユコから、彼女に与えられたのは「エンマ」という名前。「エンマ」から青年に与えられたのは「シバ」という名前。
言葉とは、文字に書かれたものだけではない。体で知る言葉、においで知る言葉・・・。真実の言葉とは、体感を伴うものなのか?
マユコのエピソードはちと余計かなぁと思いつつも、古川さんの独特のイメージの奔流をどっぷり楽しめた。物語の力を信じている作家さんの物語は楽しい。
Ⅰ 二〇〇一年、文盲
Ⅱ 無文字
Ⅲ 猫は八つの河を渡る