「くらやみの速さはどれくらい」/光と闇とその速さと | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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エリザベス ムーン, Elizabeth Moon, 小尾 芙佐
くらやみの速さはどれくらい

自閉症のルウ・アレンデイル、三十五歳。
医学の進歩により、彼の暮らす近未来においては、自閉症は幼時の内に治療する事が出来るものになっていた。だから、三十五歳のルウたちは、治療法が間に合わなかった最後の世代の自閉症者。

それでも、ルウの生活は順調だった。抽象化や再反復など、彼の高度なパターン認識を活かした製薬会社での仕事は、車を買い、アパートを借りられるほどの十分な給料になり、趣味のフェンシング・クラスには彼が好意を寄せる女性、マージョリだっている。

ところが、ルウたちが所属するセクションAを目の敵にする新任の管理部長、ミスタ・クレンショウがやって来てから、これまで波風一つ立たなかったルウの生活に変化が訪れる。ミスタ・クレンショウは、ルウたち自閉症者たちが必要とし、与えられていたミニ・ジムや、個室など、彼らに対する「コスト」、「贅沢」を槍玉に挙げる。どうして、彼らは正常(ノーマル)な者たちと同じ境遇では働けないのだ? 更に、ミスタ・クレンショウは、解雇をちらつかせながら、会社が買い取った成人の自閉症の新しい治療法を、ルウたちに受けさせようとする。

無知はくらやみ。知らないことはやみ。知ることは光。
光は速さを持って突き進む。
けれども、光がまだ到達しないところには、いつでもくらやみ、やみがある。
くらやみは光よりも先にあるもの、光の先に存在するもの。
だとしたら、くらやみの速さはどれくらい?

ルウの生活に干渉してくるのは、ミスタ・クレンショウだけではない。ルウに好意を寄せるが故に、彼を公然と攻撃するエミー、自立したルウの境遇を羨み、嫉妬する、ろくでなしのドン。しかしながら、ルウの窮状を見て、彼を助けようとする人々も現れる。フェンシング・クラスの主催者であるトムとルシアはルウへの関わりを深め、ルウの近所に住む警官のダニーは、ルウが必要とする助けのみを与え、またクレンショウにやられるばかりだった、セクションAの管理者、ミスタ・オルドリンもルウたちに対する支援を最後まで諦めなかった。

この物語は主にルウによって語られるけれど、時に語り手はミスタ・オルドリンや、トムへと変わる。正常者と自閉症者の違い。それは優劣の違いではなく、認識や得手不得手の違い。ルウは人の表情を読み取ったり、早い言葉に対応することは不得手だけれど、フェンシングの対戦では、対戦者のパターンを読み込んで素早く対応し、勝利すらおさめることが出来る。しかしながら、ルウがこれまで培ってきた全ての生きるための技、感覚、記憶、感情は、自閉症者としてのもの。それはルウがノーマルになったら、消えてしまうものなのか? 彼らは最初からやり直さなくてはならないのか?

様々な刺激がルウを変える。また、ミスタ・オルドリンの活躍により、ルウたちが新しい治療法を強制される事はなくなったけれど、セクションAの中からは、自発的にこの新しい治療を望むものも現れる・・・。

無知はくらやみ、知ることは光。
相反するものは、それが進む方向以外のあらゆるものを共有する。
くらやみが最初にそこにあり、光はそこに追いつく。

そして、ルウの進む道は・・・。

トムとルウの会話は興味深い。
「きみが彼女からはなれていき(ユー・グロウ・アウェイ・フロム・ハー)、マージョリを傷つけることになろうとも」
「ぼくは彼女からはなれていくとは(アイ・グロウ・アウェイ・フロム・ハー)思いません」
たがいに親しい二つのものがともに成長(グロウ)すれば、それらはもっと近づくことになり、離れていきはしないと、ルウは考えるが・・・。

ルウの変化を望む者、変化は必要ないと思う者。それぞれの思いはあるけれど、既に光は満たされてしまった。そこに現れた光、光自体が触れるものを圧迫する。

 未来を想像してみようとすると―この日の残り、明日、来週、残りの人生―それは私の目の瞳孔をのぞきこむようなもので、ただ黒いものが私を見返しているだけだ。光が速度を上げて入ってくるときすでにそこにある暗闇、光がやってくるまでは未知のもの、知ることができないもの。
 知らないことは知ることの前にやってくる。未来は現在の前にやってくる。この瞬間から、過去と未来は、ちがう方向で同じものになる、しかし私はあちらに行くのであって、こちらに行くのではない。
 私があそこにたどりつくとき、光の速さと暗闇の速さは同じものになるだろう。

そして、ルウは選ぶ。先に進むことを、成功に賭けることを、新しい友人を見つけることを。元・ルウが悩んでいた暗闇は、新しいルウにとって、挑戦する事の出来る新しい領域。新しいルウは、見知らぬ暗闇があり続けることを喜ばしく思う

一見、ハッピーエンドに思えるエピローグだけれど、これは実に複雑な結末。ルウが選んだ事で、得たものと失ったもの。私はルウをルウたらしめていた、自閉症者としての彼の美点を悼み、惜しむ。世界は複雑で変化していくもの。変化から最も遠いところにいるように見えたルウの運命に、嘆息する。
ぐいぐい読ませる名作で、ルウの目に映る世界の鮮やかさにも、目を奪われた。

(オリヴァー・サックスやテンプル・グランディンへの感謝の言葉が、謝辞に記されていました。
→ 関連過去本:オリヴァー サックス, Oliver Sacks, 吉田 利子
      「火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 」)

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。