「名句 歌ごよみ 恋」/うたと色と | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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大岡信「名句 歌ごよみ 恋」

少し前に、「名句 歌ごよみ 夏」の話をした のですが、今度は「恋夏」と一緒に借りてきた。本当はこれらの他に「春」「秋」「冬・新年」があるらしいのだけど、流石にこの暑さの中、他の季節のものを読む気がしなかった。これらはまたその季節が来たら、読んでみたいなぁと思っている。

表紙裏より抜粋 日本の詩歌の二大伝統は、季節の歌と恋の歌である。本巻は、人生を力強く生き抜いた俳人・歌人らの[恋]の秀作の精選集。日本人の恋愛観、自然観を述べた単行本未収録の講演録四編と、シリーズ全五冊の句歌総索引を併載。

目次
和泉式部 ― あくがれ尽きぬ魂の渇き
建礼門右京大夫 ― かえらぬ昔への悲歌の結晶
与謝野晶子 ― 時を超える夫と妻の相聞歌
正岡子規 ― 肉体の苦と精神の至美の世界と
石川啄木 ― 創意とユーモアに生きる
歌人のみどり 自然の緑
唱和する心
日本文学と女性
日本文学の自然観

「名句・名歌アンソロジー」であるので、目次にある人物だけではなく、夏」と同様、多くの歌が載せられている。 句歌に詳しいわけでもないので、夏」同様、この辺はさらさらと流し読み。なぜ、恋」に収められているの?と思うけれど、私はこの歌が好き。

大和は 国の真秀ろば 畳なづく 青垣 山籠れる 大和しうるはし
                            古事記歌謡

古代伝説の悲劇の皇子倭建命(やまとたけるのみこと)が、東国への長征のはてに伊勢の能煩野で絶命する時、故郷をしのんで歌ったとして伝えられる歌の一つ。
(中略)
実際は皇子の事蹟とは無関係に、国見の儀式の時歌われた国ぼめの歌だろうという。しかし、悲運の皇子のいまわのきわの懐郷の歌として読むとき、この歌はまことにあわれ深いものがあり、第二次大戦中も学徒兵などにさまざまな思いをこめて愛誦された歌である。

国の美しさ、国を愛する気持ちを歌っているのはいいけれど、二度と後半部の意味で、使われることがないようにと思う。

その他、実はこの本を読んでいて、とても嬉しいことがあった。それは、「人のみどり 自然の緑」の章の、ある部分に見覚えがあったこと。懐かしい教科書に載せられていた文と再会して、とても嬉しかった。この話と、獅子狩文錦の話は強く印象に残っている。私と同世代の方は、もしかしたら記憶されているかもしれない。

■色の不思議さについて
桜の色は桜の木からとればいい色がとれる。しかしこれは、咲いている花から色がとれるわけではない。桜の花からは、薄ぼんやりした灰色しかとれない。桜が花を咲かせて、美しい花の色を示しているのは、最後の最後の瞬間に生命を使い果たしている色なのだ。桜の色は桜の木の真っ黒なごつごつした皮からとる。しかも、一年中いつの季節でもいいというわけではなく、花が咲くちょっと前、つぼみをもってきた頃に、その木の皮をもらってきて、煮立ててとる。桜の花のあの美しい色は、葉や枝、幹に、木が樹液を送り込んで、太陽の光の協力のもとにつくり出した色素が、最後に全開したものなのだ。大岡氏はこの話を、志村ふくみさん(染色の有名な作家であるとの事)という方から聞いた時、桜の花の美しさというものは、花だけではなく、桜の根にも、木の幹にも、枝にも皮にも、あの色がたっぷりとあるのだということを感じ取って、深く心を打たれたそうだ。

この話を読んだのは、もうずっと前のことなのに、殆どそのままを覚えていた。桜の木が全身を持って作り出す色。桜の花を見たり、染色の本などを読むたびに、思い出していた。

大岡 信
名句歌ごよみ 恋

*臙脂色の文字の部分は引用を、ピンクの文字の部分は引用後要約を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。