「人生のお汁」/創作活動 | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。

田島征三「人生のお汁」

絵本作家・田島征三さんのエッセイ集。私がこの人の存在を知ったのは、灰谷健次郎さん絡みだったと思う。灰谷さん→今江祥智さん→田島さんの流れ。結構豪快な絵を描かれる方と記憶している。


目次
第一章 伊豆に暮らす
 海に帰った女/海草押し葉/胃ガンでバンザイ/“安全な食”が裏目に/ラーメン食べたい/くるべくしてやってきた/植物たちの祟り/キャンの改心

第二章 命を食べる
 もったいない!/アジの干物に愛の言葉を/農耕民から採集民へ/かわいいやつほどウマイ/「グリグリグリッ!」の思想/個性のある野菜、個性のない野菜

第三章 自分をこわす
 アートに常識はいらない/土偶のオーラに受精する/罵詈雑言/“売れっ子”にはならんぜよ!/岡本太郎の呪縛/人生のお汁で描く/ウンコのアーティストたち/絵筆でアートと斬りむすぶ

第四章 木の実とあそぶ
 絵の具をやめよう/モクレンのオチンチン/血を流す少年/ミノガシテクダサイ!/縄文人になりたい/植物たちへの鎮魂歌/木陰のエビフライ

第五章 ふたごに思う
 タシマとタジマ/もうひとりの自分/のろまのブーちゃん/ぞうをもむぜよ!/酒盗とままかり

第六章 血を感じる
 “謎の男”の言いぶん/タクシーで伊勢から大阪まで/もう“息子”ではなく/まさぐる生き方/永遠の二七歳


田島さんの胃ガンの恐らくは原因となったゴミ処分場についての話、食べものの話、絵の具の始末の話、アートについて、きょうだいについて、父母について、自分の子供たちについて。目次を見ても分かるけれど、話は実に多岐に渡る。この世代の熱い男性たちに共通なのかなあ、とも思うのだけど(というか、私が読んだ灰谷さん―田島さんラインに共通なのかな)、多少露悪的な面もある。原始的なことを書くことが尊いことである、といったような、別にそれ書かなくてもいいんじゃないの?、と私には思える部分もある(私の人生経験が浅いせいかもしれない)。

アートに関する部分では「こわす」画家である、田島さんの凄まじさが滲み出る。(ちょっと、
この人と結婚生活を送るのは大変そうです)。でも以下の部分には共感する。引用します。

子どもはいずれ大人になる。子どものころに好きだった絵本を大人になってから見て、「なんだ。こんなチャチな子どもだましだったのか」とガッカリさせたくない。大人になってから見ても「こんなすごい芸術作品だったのか」と驚かせるような絵本しか、存在する意味はないと思う。絵本はアート作品であるべきなのだ。そういう意味では、ぼくは大人に向けて絵本を描いている。ただ、それは子どもを無視していることではない。すぐれた感性をもつ大人がおもしろいと思うものは、子どもだっておもしろがるのである。
世の大人たちは絵本を手にとると、「これ、うちの子にどうかしらね」とか「孫がよろこぶかしら」とかいって悩んでいる。でも、ぼくとしては「あなたはどう思うんだ」と聞きたい。大切なのは、大人のあなたがどう感じて、あなたがどう評価するかであって、子どもの目で見たらどうなのかではない。誰がどうやったら子どもの目になれるんだよ!

広い意味で、良質な児童書も同じであると感じる。良質な児童書というものは、大人の読書にも充分耐えられるもの。

同じく絵本作家である、ふたごのきょうだい田島(こちらは「タシマ」ではなく、タジマと読ませる)征彦さんとの、「絶望的な関係」は哀しい。同じ生業であるだけに、この本の著者である田島征三さんの、圧倒的パワーに耐えられなかったのではないかなあ、と思う。冷静なスタンスにたっての批評と言うものは、身内からは難しいもの。

芸術家としてのパワー、土佐人としての気骨溢れる本でありました。これ、賛否は色々あるのだと思います。全ての人に当てはまる(そして押し付けられる)事ではないのだけれど、これ程正直に真っ直ぐ書かれた文は貴重であると私は感じました。

著者: 田島 征三
タイトル: 人生のお汁

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。