ばいばい

ばいばい

遥か望む彼方の光
君を照らし出さなくていい
狂おしい花びらを舞い散らせて
堕ちる桜を抱いて 眠る

桜舞い散るDiaryへようこそ
Amebaでブログを始めよう!
ブログを全て削除して、
また書き始める人もいるけど、
せっかくの記録を消してしまえないのと
過去のことを記憶できてないから消せないのとで
このままにするつもり。
心機一転じゃないけど
切り離されたように感覚が変わってしまっているから、
少し前のブログは自分のものだと思わないな。
統合失調症の妄想なんだか、
解離性同一性障害の人格交代なんだかっていう酷い文章ね。
解離性同一性障害について、
演技にしか見えないくらい胡散臭いものだっていう精神科医の見解を読んで、
それでいいの?
そんなもん?
って疑問だな。
統合失調症なら現代の医学では完治しない、
解離性障害は完治する病気…くらいの感覚で認識してるけど。
統合失調症でも寛解することはあるし、
私は鑑別診断待ちのまま、
治療をドロップアウトしちゃったから、
自分で診断されたなかで間違いないと思うのが
発達障害だけなんだよね。
あれは数値の出る検査をするから。
あとは診断基準をわかりやすく満たしていたPTSDくらい。
統合失調症の患者は見た目にわかる特徴があるらしいけど、
自分じゃ見えないし
判断も出来ないもんなー。
PTSDはもはや、症状を感じないし、
解離性障害も特に困らない、
統合失調症も同じく、だから、
それらしく残ってるのは発達障害だけだなぁ。
記憶障害も発達障害から来るものがあるから
生まれつきーなもの以外は今にそれほど響かなかったんだな。
PTSDも解離性障害もトラウマから来るものなんだよね。
トラウマ体験なしに診断されないはずだから、
診断基準だけは満たしたんだよね。
誤診が多い疾病で、
統合失調症と解離性障害、
統合失調症と発達障害…ってあったから、
適当なんじゃねえの?
とか思ったりもするけど。
解離性同一性障害と性同一性障害は同時には診断されないらしいけど。
まぁ、解離性障害だったらそのうち治るもんね。
手術してから自分の性別を認識したんじゃ手遅れだし。

思考の整理と吐き出し。
知識認識の整頓。

久しぶりにブログっていう思考整理ツールを使ったけど、
疲れるなー。
愛していたかは今となっては分からない。
途轍もなく執着していたことだけは分かる。
愛されたかった。
私にだって性欲くらいあったんだ。
ジェンダーアイデンティティ。
性的指向について考えたくらいだ、性的接触のない関係はもどかしかった。
性的虐待もあって距離感なんて分からなかった。
そういう関係を持ちたくないらしい相手に「私もそういうのはいらない」って言って…。
ご機嫌取りに終始してしまうのは、歪んだ親子関係をそのまま恋愛関係に適用していたから。
テンプレートにこだわる私は、誰かに相談することも出来なかった。
カウンセリングも受けていたのに、精神科では精神疾患のことしか語ることは出来なかった。
余裕の欠片もない私と、過去に縛られた人では、未来なんて見えなかった。
破綻したから生きていられるなんて皮肉。
元々の戸籍名は自分のものだという実感がない。
その名前で私を呼ぶ人ももういない。
ハンドルネームだってとっくに終わってる。
私は「月花」ではなくなったのかもしれない。
生きてることのヒリヒリするような痛みはもうない。
生活費の節約にはかなり成功したから安心感がある。
一時は荒れていて買い物依存気味だった。
最近ではゲーム課金と電子書籍に費やしてストレス発散してる。
そっちに絞ったら、案外落ち着いた。
ひとつきの生活費を4万円ほどに抑えられたし障害年金でお釣りがくる。
不思議なのは統合失調症の再発をしていないらしいこと。
薬をやめたら危ないんじゃないかと思っていた。
これまでの自殺企図歴も酷かったわけだし。
でも、少なくとも四月から考えて、一度も死を願ってないな。
精神的にガタガタで過度に緊張して過ごしていた頃から、ぼんやりして目的意識が持てない代わりに安心して過ごせる今。
前も目的意識はなかったんだよね。
持とうとして苦しんだだけで。
人を愛さなければとか、恋しなきゃとか、誰かに必要とされる人間でいなければ、とか。
随分、自分を縛っていた。
憎しみが精神を焦がしたりもするけれど、誰も憎めず、怒りを持つことも自らに許せずの過去よりも、成長したのかもしれない。
私の感情は自己完結してばかり。
誰かを強く思うことはできない。
例えば、誰かをこう思う、から、自分はどう、だとか。
綺麗な心とやらは持てないけど、それでいいと漸く思える。
誰かを憎めないのは醜い自分を認めると、自分が壊れるから、だったみたい。
今の悩みは体重の増減だとか肌が荒れたとか、身体のこと。
精神に強く拘らなくなった。
精神疾患と「病んでる」ってのは違うなーと思ったり。
メンヘラとか自分に言えるほどナルシズムに浸れない。
いつの間にか子供でも思春期でもなくなったんだな。
大人になっていた、か。
誰かを支えなきゃ大人じゃないと思っていた過去との違い。
ひとりきりで立ってるわけじゃない。
けれど、とっくに自立してたんだよね。
基準なんて皆違うけど、私は一人暮らしして、生活費は全て自分で払ってる。
家事もこなしてる。
お金を稼いではいない、家事も完璧ではない。
そんなもんだと思うまでは長かった。
解離性障害の人の心は幼いと何となく思っていたけれど、心の老いた解離性障害の人間というのもネットで散見したけども。
バランスが保たれている今、病名に縋る必要もなくて…。
長かった自分のジュブナイルを、思い起こせても、もう、そうやって過ごすことはないんだ。
25歳にもなって、青春してた自分を懐かしく思ったり、何だか寂しくなったり。
生々しいほど世界に過敏な時期が過ぎ去って、鈍磨したような感覚も、重ねた年月の分の鈍感さ。
過去は帰ってこないけど、降り積もった歴史は私に帰ってきた。
対人関係は相変わらずの不出来な自分だけど、そこそこで過ごすことを覚えて、今の不安は、私の親族の死、くらいかな。
愚かな母も、死んでほしくはない。
生きて会うことはないと思っているだけに、再会することのないように願う。
家族の葬儀なんてもう嫌だ。
妹はもう実家を出て、そろそろ出産する。
祖父は母の心配ばかりしている。
昔は家族がバラバラになることが恐ろしかった。
今は、少し寂しくて、何だか空虚。
一緒にいることに強すぎる憧れがあったのは、孤独が怖かっただけだった。
苦しかった時期を過ぎたことを、何だか寂しく感じている。
随分と遅れた、幼さからの卒業。
背伸びしてたころも、楽しかったかもね。