自分のために綴っています。
だってー、年齢を重ねるごとに、少しずつ忘れてしまうから。苦笑
1.病院名を見て自分の病気を知った。けれど、絶対に死んでなんていられないって思った理由。
http://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12057481545.html
「がんの疑いがある」として、入院。
先ずは、がんの疑いがある細胞が、良性なのか悪性なのかを調べる検査手術をする。
万が一、悪性だった場合のことを考えて、これ以上がんと疑わしき細胞が身体中に広がらないよう、右膝の使用を禁止。
車いすでの生活が始まった。
で、検査結果の結果。
主治医が、こう話してくれた。
闘う相手がわからないと、闘えない。
だから、ぼくはちゃんと病名を伝えるようにしている。
みかちゃんは、がんじゃないんじゃないんだ。(←ややこしいでしょ?笑)
まず、身体中に散らばっているかもしれないがん細胞を、1ヶ所に集めるための治療をする。
そして、集まったら、それを手術して、取り除く。
そのあとは、またがん細胞が出ないように、治療をする。
大体1年くらいの入院をしてもらうよ。
元気になって沼津に帰ろう。
こんな内容だったと記憶している。
「がんじゃないんじゃない。」
この言い方が、主治医の優しさでもあって。
主治医他、先生たちがお父さん代わり。
看護師さんたちがお母さん代わり。
そして、同時期に入院生活を送ることになる仲間、いわゆる「同期」のみんなとの生活が始まった。
同じ年の中3が、わたしを含めて3人。
中2が1人。
中1が1人。
その他に、ちょっと年上の20歳前後の人と、高校に通っている人と、小学校に通う人もいてね。
小児病棟ですか?
って思うくらい、20歳未満の子供がいる。
いいえ、ここは整形外科病棟。
それぞれ、発症した部位が違うだけで、がんと闘う仲間。
戦友。
少しずつ話すようになって、
売店に行くよーって誘ってもらったり、
アイスやジュースを買ってもらったり、
みんな、割と家と病院が近いから、ほぼ毎日家族がお見舞いに来てくれていて、戦友のママさんが剥いてくれたリンゴ食べたり。
今までとは違う生活が始まった。
余談ですが。
検査手術の前にちょっとトラブルがあって、意外にも大変な思いをしたわたし。
手術が終わり、麻酔で朦朧としている時、主治医他先生がICUに顔見に来てくれたらしく。
(朦朧としているから、覚えているような覚えていないような。)
先生:「みかちゃん、がんばったね。調子良くなったら美味しいものを食べに行こう。何がいい?」
みか:「・・・・・うなぎ・・・・・」←意識朦朧中。
※うなぎ大好き人間。当時15歳。笑
それから、
わたしのカルテには
「みかちゃんが好きなもの:光GENJI・うなぎ」
と書かれた。笑
始まった入院生活の話は、また。