チェ・ゲバラ 遥かなる旅 ~イゲラ村~
バジェグランデからイゲラ村へは、公共の交通機関はない。
よって、アクセスする方法は、以下3つに限られる。
①ツーリストインフォメーション主催のツアー ※ガイド付き
②交通のみのタクシーチャーター
③地元民が利用するトラックの荷台 or ヒッチハイク
料金は、①:200ボリ/人、②:200ボリ~/台、③:片道10ボリ~。
料金的には断然③なんだが、そんなに手間隙をかけてはいられない。
さらに、僕は村以外にゲバラが拘束されたチューロ渓谷にも行きたかったため、
①への参加するか、もしくは②で追加料金(+50ボリ)を支払う必要があった。
どうしようかと悩んでいると、そこに救世主・フランス人夫妻が登場。
ご夫婦もイゲラ村に行きたいとのことで、一緒にタクシーをシェアしないか提案してみる。
すると、シェアは快諾いただいたものの、現地で1泊したいと希望される。
聞くところによると、イゲラ村にはフランス人が経営する宿があり、
ご夫婦はそこに泊まりたいのだという。
人口90人弱の村に1泊することにちょっと迷ったが、
“旅は道連れ”、せっかくなのでご一緒させてもらうことに。
結局、②をタクシー+現地1泊待機+チューロ渓谷へのガイド付きにアレンジした。
料金は、400ボリになったが、人数で割れば1人135ボリ。
元々200ボリのツアーに参加しようと思っていた僕にとっては、タナボタだった^^
さっそくバジェグランデからイゲラ村へと向かう。
イゲラ村への道は、完全未舗装のダートコース。
しかも、途中水溜りや土砂崩れ跡地を通らなければならないため、
たった60km超の道のりを進むのに、3時間近くかかる。

完全ダートコース

車幅ギリギリの道も・・・

ゲバラたちはこの絶景の中を行軍した

イゲラ村手前最後の村・プカラ

飲み物を買いに立ち寄っただけだが、人々の閉鎖的な心情は手に取るようにわかった

ニコリともせず、ただ僕ら観光客をじっと見ているだけの住民が印象に残る・・・
イゲラ村への道中には、“Ruta del CHE”と呼ばれる、
『チェの辿った道』を印す看板がいくつかあった。

ゲバラと由縁のある場所に建つ標識
砂埃の舞うダートコースを進むこと3時間。
ついにイゲラ村に到着。

イゲラ村の入口
イゲラ村の第一印象は・・・ほんとなんにもない(笑)
村は1本の道を中心に、両脇に家が立ち並ぶ、典型的な田舎の村。

イゲラ村の様子
ただ、他の村と違うのは、広場にあるこのモニュメント。

全身の銅像

有名な顔の像
そして、この銅像のある広場の奥には、ゲバラが最後の瞬間を迎えた小学校がある。
この小学校に来るために、ここまで来たといっても過言ではない僕は、
ドキドキ感とソワソワ感とで、胸はバクバクだった。
だが、しかし・・・。
あれ??
なんかめっちゃ新しくね??
遠目から見ても一目で分かる一際新しい外観。
それを見た、僕のモチベーションはダダ下がり。
しかも、建物の様子も当時の写真と違うし・・・。
外にあった看板には、『Museo(ミュージアム)』とデカデカと書かれていた。

小学校の外観
う~ん・・・
どうして、こんな風にしちゃったのかな??
言いたいことはたくさんあったが、とりあえず鍵を開けてもらい、中に入る。
しかし、中に入っても、僕のテンションは全く上がらなかった。
中の壁自体も塗り替えられたらしく、上部には大きな絵が描かれていた。
他にも壁一面には、ありきたりな展示物とゲバラ信者からの手紙があったが、
↓の写真で見てお分かりの通り、当時の面影は全くない。

左上の写真が当時の小学校

学校の中は、綺麗に白く塗り替えられていた
そんな僕の落胆を知ってか知らずか、鍵を開けてくれたおばちゃんは、
ご丁寧にも『綺麗になったでしょ!!全部塗り替えたのよ』と言ってきた。
おいおい、余計なことすんなよ



思わず口に出そうになったが、寸前のところで思いとどまる。
すっかり変わってしまった内装に幻滅し、外に出ようとすると、
この名だけのMuseoには入場料というものが存在し、1人10ボリとられた。
嫌味な意味も込めて、『このお金は何に使われるのか?』と聞いてみたら、
彼女はあっけらかんと『この村のために使うのよ』と教えてくれた。
人口90人にも満たない村に、
奇跡的にも世界的な観光資源があるのだから、それを利用するのはかまわない。
ただ、それを利用するのであれば、お願いだから余計なことはしないで欲しい。
観光客の立場からの勝手な言い分だが、ここを訪れてそう思ったのは、僕だけではないはずだ。
アメリカという巨大な資本から南米の独立を促そうとしたゲバラ。
そんなゲバラたちを、閉鎖的な性格もあり、当時全く支援しなかった現地民。
そして今、そんな現地民の生活をゲバラは支えている。
何とも皮肉な話だ

小学校を後にし、今度はチューロ渓谷へと向かう。
チューロ渓谷は、イゲラ村から7kmほどのところにあり、
この渓谷の水辺で、ゲバラはボリビア国軍に捕まった。
イゲラ村から、来た道を車で少し戻り、渓谷へと歩いて下りる。
渓谷への道は、けっこう急な坂が続き、足場も悪いためスニーカーは必須。
さらに水辺には虫も多いため、虫除けとかしてくといいかも。
目的地までは、1回の休憩を挟んで40分の道のりだった。

渓谷への入口

けっこう急な下り坂

至るところにゲバラにまつわるものが・・・
渓谷の水辺まで下り、川沿いを進むと少し開けた場所に出る。
そこには人工的に作られた星印の石畳があった。
そう、ここで43年前ゲバラは拘束されたのだ。

渓谷の一番深い場所にある川

このあたりは43年前と全く変わっていないという

ゲバラを探せ!!

そして、ここがゲバラが捕まった場所
ゲバラたちは、この場所から少し下った場所で最後の銃撃戦を交え、
そこで負傷したゲバラは、仲間のウィリーに抱えられここまで這い上がった。
だが、すでにこの場所にもボリビア兵が待ち伏せしており、
ついにゲバラは自分の名を名乗り、投降した。
今から43年前。
さほど今と変わらないこの風景の中でゲバラは何を想い、何を感じていたのだろう。
キューバとは違ったこの厳しい乾燥地帯の中で、地元民は味方につかず、
仲間にも裏切られながらも、自分の信念を最後まで貫いた男。
一度でいいから、直に会って話しがしてみたかった・・・
心からそう思う。
帰りは来た道を上る。
今度は上りなので、2回休憩を挟みながら、1時間ほどの道のりだった。
この後は、特にすることもなかったので、宿で完全まったりモード。
フランス人ご夫妻が経営するこの宿は、居心地抜群だった。
1泊50ボリと、ちょっと料金は高めだけど、おススメの宿です☆★

宿の入口

オーナー夫妻のセンスのよさが感じられる宿内

宿のハンモックから見た夕日は、とても綺麗だった

夜は電気がないため、ろうそく生活。たまにはいいもんですね。
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