パリ自爆テロについて | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

長い間ご無沙汰しました。

9月半ばから11月初めまで約7週間、南紀の勝浦で過ごしていました。釣りと草刈り、外壁のペンキの塗り替えをしてきました。暖かく明るい太陽が懐かしいです。

フランスへ帰って10日経ったばかり、パリで起きた惨劇に驚愕がまだ続いています。

16日午後、フランスではオランド大統領の招集でヴェルサイユに上下院議員
約900人出席のもと特別国会が開かれました。ヴェルサイユ議会はフランス大革命の時代に国民公会が開かれた歴史的な場所でもあります。

大統領が45分にわたる演説を行った後、上下それぞれの党派の長が壇上に立って演説をしました。議題はもちろん13日夜にパリで起こったイスラム過激派によるテロに今後どう対処するか? リベラル共和派から社会党、共産党、極右のFN(国民戦線:普段は必ず二大政党を批判するル・ペン率いる欧州離脱、移民の排斥を訴える政党です)、中道派、急進派、環境派など、党派の違い、保守革新、与野党の違いを超えて、この日は演壇に立ったすべての党派が例外なく一致団結を呼びかけ、大統領の政策を概ね肯定し、フランス共和国の「自由、平等、友愛」のスローガンで演説を締めくくりました。普段は必ず意見が割れるフランス人の議論が「挙国一致」で一枚岩の団結を示したのは「イスラム国」からのテロ攻撃を受け疑似戦争状態に突入した状況下にあるとはいえ異例な出来事でした。

大統領の方針演説で際立った点は、2つに要約できると思います。

ひとつは、防衛と警備の強化です。
今後2年間で国防、警察、司法分野に5000人の人員を増やし、テロ関連の捜査、訴追、処罰を迅速かつ厳しいものとし国民の安全保護をより強化する。
今まで予算不足のため軍と警察が十分な予防措置を講じ得なかった。(サルコジ大統領の治世下で裁判所と裁判官の数を減らす措置がとられた。フランスだけで現在テロ要注意人物の数が1万数千、中でも最も危険度の高いSカードに分類されている者の数は7000人もいて、24時間365日見張ることは不可能)
「国民の安全は安定(負債の削減)よりも優先する」として赤字でも軍事・警察の予算を増やす方針を明らかにしました。そしてそのために必要となる法改革を進めるために憲法改正を提議する。

この憲法改正という大統領の提言に対しては、野党(旧UMP、現共和党)の一部議員が、現行の憲法のままで十分対応できる。今は憲法改正など手間が掛かり国民を戸惑わせることより迅速な行動が求められる時ではないかとの批判が出ました。例えば、過激なイスラム教への悪しき感化を行っているモスクは1905年に制定された法律で取り締まり、閉鎖し、外国から無鑑査でフランスへ入国し説教を行う僧侶を国外追放処分にできる、など。

テロが起きた13日深夜、大統領は即座に緊急事態宣言を全土に発し、これは今後3か月間維持されることになります。大きな変化は、いままでEUのどこか一か所で入国検査が行われていた、いわゆるシェンゲン協定によるEU域内での自由な行き来を改め、フランスの国境で入出国検査を行うようになったことです。

これは、今回のテロが起こる前は、国境での検査を復活せよなどという発言は、時代錯誤、とんでもない反動だとひとことで右からも左からも断罪されていました。公然とフランスの国境を強化しフランス人の利益と安全を第一にすべきだと唱えていたのは極右のFN(マリンヌ・ル・ペン女史率いるフロン・ナショナル=国民戦線)だけだったのですが、今回の自爆テロにより、FNの反動的な主張が実行されることになったのは歴史の皮肉、逆説というよりほかありません。

もうひとつは国連安保理(フランスは国連の安保理常任理事国のひとつです)の招集を要求し、「イスラム国」が世界規模の危険を持つという認識を国際間で
共有し、フランスは、オバマ大統領、プーチン大統領の仲介役の立場を取ることで「イスラム国」に対して軍事だけでなく財政・金融・政治的に国際間の連携を強化し、一体となって対応する。具体的にシリアのアサド政権への対応が米ソ間で隔たりがあったわけですが、当面の敵は「イスラム国」であり、アサド大統領の退陣は第一義的なものではない、というフランスの方針転換が明らかにされました。今年の1月から夏まではフランスはファビウス外相が主張するシリア不介入方針を維持し空爆はイラクの「イスラム国」に限ってきましたが、イスラム国はイラク・シリアの国境は無視して両国にまたがって支配勢力圏を広げているのでシリア空爆を開始したわけで、今回のテロリストに中にも「これはシリアへ手を出したオランドへの罰だ。それを許したお前らが悪いんだ」と叫びながら無差別殺戮を繰り広げた男が居たとの証言もあります。フランスはもちろんテロには屈せず、翌日「イスラム国」の拠点を空爆しました。

どの政党の代表者も一様に、共和国の価値、フランスが大革命から数百年かけて血の代償と共に築き上げて来た「人権・自由・友愛」という人類共通の普遍的な価値は、野蛮な暴力によって壊れるものではなく、逆にこの思想を地球上に広め影響を与え続けるだろう、という強い意志の表明でした。これは共和国に生れたのではない僕にとっては真似することが出来ない強い確信、自信の表れとして日本人のおれは違うなと感じざるをえない点です。

もうひとつの共通点は「無宗教」というより「非宗教=laique=ライック」という立場の確認です。これは日本人にはなじみの薄い言葉ですので、すこし説明が要るかと思うのですが、非宗教とは宗教を否定するのではなく、どのような宗教に対しても寛容であれという立場、もちろん無神論も含みますが、個人の信仰、信条を尊重し、どのような宗教をも互いに尊重しようという立場なんです。
国の政治と宗教を分離する、いわゆる「政教分離」の立場のことです。
「イスラム国」が掲げるセラフィー主義、イスラム教のカリフが政治と宗教の長を
司る、というイデオロギーはフランスの「ライシテ=無宗教=政教分離」主義とは相いれない。フランスは18世紀の啓蒙主義の思想家たち、彼らに感化され中世から続いた教会と貴族の支配を打ち倒してブルジョワジー、国民主権の共和政を文字通り血を流して闘い取った歴史があります。したがって、セラフィー主義の様な政教一致を唱えるイデオロギーとは断固戦うという立場なのです。

もう一点、とても印象深かったのは、環境派の共同党首で元都市住宅相だったセシル・デユフロ女史の演説でした。彼女は、こんどのテロリストたちが攻撃対象に選んだ地区は、老若男女、様々な人種、宗教、国籍の混じりあう最もパリらしいコスモポリタンな地区だった。(これはパリ市長のイダルゴ女史の発言とも共通していますが)昨日までで身元が明らかにされたテロリストの5人はすべてフランス国籍を持つ、マグレブ出身の親を持つ移民の2世3世です。フランスで生まれフランスで教育を受けている。知人たちは一様に彼らがテロに関与したことを
驚きとともに信じられない。普通の、いやサンパチックな(感じのいい)、いいやつだったのに、と証言しています。ある日から引き籠るようになり、過激思想に感化され、自爆テロという激しい行為に走って死んだ。彼らはフランスという彼ら自身が生まれ育った社会と文化を破壊しようとした。昨日までの警察の捜査で明らかにされたことは、テロリストたちすべてがシリアに渡り、軍事訓練を受け、うち一人はギリシャ経由で難民申請をしてベルギーに入り込み、そこでテロ実行グループに加わった。年齢は20歳から33歳、1995年から1982年までの間に
生まれた若者ばかりです。6人または7人のテロリストはブラッセルから黒いゴルフとセアットに乗りパリへ入り、カンボジアレストランやカフェのテラス(野外のテーブル)に座っていた客に向けカラシニコフを乱射し15人10人と殺害していった。このうちの難民に紛れて入り込んだテロリストは、パリ郊外のサッカースタジアムで自爆し、遺体の傍にシリアのパスポートが落ちていたため難民が浮き彫りになったのですが、後でパスポートの氏名は偽名とわかりましたが、落ちていた指の指紋がギリシャに入国した際に残したものと一致したため、難民に混じってEUに入ったと判明したものです。

共和国への挑戦は断固撥ね退け戦って守り抜く、という各党派の長の演説を聴いていて、う~ん、やっぱり日本とはずいぶん違うなという印象を抱いたのは、この夏の日本の安保関連法案の審議と強行採決を見ていたためですが、外国からの攻撃に対しては断固戦う、そこには疑念を挟む余地はまったくない、というフランス共和国の人々の例外のない立場です。

日本は戦後70年間平和を維持してこれたわけですが、戦後の平和憲法、憲法第9条の理想主義に対して、僕らの世代は簡単に絶ち切れない未練がある。しかし、日本の戦争放棄の考えは、世界中のどの国もが、理性を持って、文明の維持と各国の平和的な発展をともに協力して築いて行こうという良き時代の国連中心主義、いわばカントの永遠の平和的な思想が普及している文明世界でこそ有効なのであり、暴力により、ジャーナリストや人道的ボランテイアを虐殺し、その場面を誇示して見せたり、他宗教の人々を支配し女性を犯し奴隷化したり、人類の文化遺産を破壊し、その場面を誇示したり……と、残虐と暴虐の限りを尽くす集団が現れた現代においては、自国民の安全と平和を保護する防衛戦争までをも放棄する、などと考える人が憲法第9条を護ろうと主張するのは、まったくもって空論であり無責任どころか危険極まりないものと断言せざるを得ないと思います。カラシニコフを乱射するテロリストの前で非暴力主義はまったく無意味です。テロリストらは秋の宵を友達と食事しながら、また好きなバンドのコンサートを聴きに来た民衆を無差別に乱射し殺してしまうのですから。そういう集団を前にして、非暴力を唱えることなどまったくの無意味です。破壊のための破壊、殺人のための殺人、暴力のための暴力に対しては暴力をもって立ち向かう以外にありえないのです。

ポップの女王のマドンナがコンサートに集まった数千人を前にして、自分たちが好きなことをして楽しむ喜びを否定する権利はだれにもない、と言い、「ラ・ヴィ・エ・ローズ」を歌ったのが印象的でした。
セラフィー主義にとって享楽は敵なのでしょう。ロック・コンサートを襲撃の的に選んだこともテロリストが信奉するイスラム教の現世否定、享楽断罪、偶像破壊と関係があるのでしょう。

フランスのメデイアなどが随分前から、自爆テロを「カミカゼ」と呼んでいることに対して、日本人の僕は、やはりあるものを感じてしまう。もちろん「カミカゼ」は太平洋戦争の末期、日本が最後の手段として選んだ「神風特別攻撃隊」に発していることはいうまでもありません。思うに、第二次世界大戦の戦勝国は、英国が女王陛下を戴く「君主制議会政治」を敷いていることを別にしてすべて共和国、共和制の国だった。その英国の指導者チャーチルはアメリカと血のつながりのある家庭で生まれた。アメリカもソ連も中国も、そしてフランスはナチスドイツに占領され対独協力政権を作りながら英国はじめ連合国に助けられ、ロンドンでレジスタンスを指導したドゴール将軍の存在によって戦後戦勝国の仲間入りをしました。

若き命を祖国に捧げた日本の神風特攻隊の戦士をフランスのたとえばアンドレ・マルローという作家が英雄視することも例外的にあるけれども、大概は、特攻攻撃を怖れたアメリカの兵士たちと見方は隔たっていないと思います。ということは、自爆テロをカミカゼと呼ぶことの背景には、日本の特攻隊員と国家の関係、セラフィー主義のイデオロギーに命を捧げる若いテロリストたちの自己犠牲を受容する精神構造とに類似性を感じるからなのでしょう。つまり、カミカゼを実行した当時の日本は政教分離ではなかったし、国家神道というイデオロギーをまとっていた。だからあのような狂信的なことができたんだ、という見方です。中国や韓国の指導者が日本の指導者にたいして「歴史を重視し振り返れ」と主張して止まないのは、こうした日本の過去にたいする見方がいまだ払拭されていないからだと思います。

イスラム国のテロリストの狙いは、フランスの国民を不安に陥れ、EUとか難民受け入れとか、シリアへの対し方とかにつき民意が分裂し、まとまって対応できなくすることでしょう。だからこそ、フランスの国会議員たちは前代未聞の一致団結の姿勢を見せたのでした。今後、憲法改正や、難民受け入れを巡ってフランスの世論がどのような動向をみせるか? また、EUの一端、シェンゲン条約が実質的に崩れてしまった今、これからどうなるのか? 先行きが見定めがたいヨーロッパとなってきました。


(追記)

ひとつ書き忘れたことがあります。
ヴェルサイユ国会とは関係ないですが、ローマ法王がパリテロ事件について発言した締め括りの言葉。

「神の名において暴力を正当化することは神への冒涜である」