「ユダヤ人解放令」について - その④ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

興味深いのは、第一次大戦で敗北したドイツも、敗戦の原因は、ユダヤ人が政財界に入り込みドイツを弱体化させたためだと主張したことだ。 28年後にドイツに敗北したフランスも同じことを言った。「余所者」であるユダヤ人の数人が権力構造の内部に入り込んだことを、ヒトラーやゲッペルスは誇大化してプロパガンダに使い、民衆に広範にあった反ユダヤの風潮を利用し、ついには政権を 獲得したことだ。

世間にはプロパガンダが時として猛威を振るうことがあるので、自分の眼
と心と理性で善悪を判断しなければならない。

めのおがユダヤ人の迫害について、いつかはもっと知りたいと思ったきっかけは「ジャパン・バッシング」だった。80年代初頭のアメリカやフランスでも日本企業に対する偏見が吹き荒れたのだった。

ちょうどその頃、フランスで日系企業に勤務していためのおは、しがない仕事の必要から知り合ったユダヤ人男女に日本人と似た感性と考えがあることに気付き共感を抱いた。

倹約に対する考え、貧しくても真面目に自己の人生と家族を築き維持してゆく「賢父・賢母」たろうとするユダヤ人。勤勉で細かいところにも気配りが働く。彼らの感性の細やかさはすぐに感じ取れた。世間に自己の魅力を押し出してゆこうとする本能的な自己顕示欲や、時に見せるパラノイアック(被害妄想的)な反応は日本人には無いもので、迫害の長い歴史から身についたものだろうと思った。

日本車は輸入が規制されていたし、コンサルテイングの仕事で工場へ行くと、「スパイ」という罵声が飛んできた。改善のために現場で設備のスケッチをしていたエンジニアが「スパイ行為!」の現場を押さえたとスケッチを取り上げられたことさえあった。

もう一つは、中国の文化大革命。めのおが学生時代、毛沢東と側近の権力争いが原因で、紅衛兵など組織された少年が「造反有理」を叫び、知識人を反動・反革命として吊るしあげた。この運動はカンボジアまで広がり、ポルポトの支配のもとにメガネを掛けているだけで竹の籠に入れられ川に漬けられた。
ジェノサイドが行われ、百万にも達する人間が殺された。

めのおが怖ろしく思ったのは、普段温和で文化的な暮らしをする普通の人間の奥底に果てしない憎悪、悪が潜んでいることだった。めのお自身の少年期を振り返っても、今でいう「イジメ」の原初的な関係を身近な少年・少女と持ったことに思い当たる。

ジャパンバッシングは日本が経済的に「ナンバーワン」になることが許せないと欧米の人間に感じられ、日本がバブルに差し掛かる頃に出た。

ドレフュス大尉がユダヤ人として初めてフランスの軍の中枢、それも参謀部の将校となったことが愛国的なフランス軍人には許せなかった。愛国的ながら敵に情報を流しては報酬をせしめていた退廃的な軍人が沢山いたのだが。

ユダヤ人問題については、めのおは調べ始めたばかりで、巨像を撫でる盲目の狭い認識を出ていないかもしれない。それでも、ヨーロッパを理解したいと青春期に願った者として避けて通れないテーマなのだ。

最後に、め
のおが学生時代に知って分からなかったことが以下の文を読むうち、氷解したので、それを挙げておきたい。以下の文とは前々回挙げたのと同じハンナ・アーレントの本です。

「ドレフュス再審のために尽力したレンヌのヴィクトル・バッシュの家には三人の司祭の指揮のもとに襲撃が加えられた。(1898年 1月 21 日 Herzog, Zeittafeln)

ドミニコ派の神父デイドンのような人までが「剣を抜き、恐怖をまきちらし、首を斬り、荒れ狂い、打ちかかれ」とコレージュ・ダルクイユの生徒たちに呼びかけた。

最後に下級聖職界の三百人の司祭が、当時のフランス国民の驚くべき荒み果てた状態を末代までも伝えるあの悪名高い「モニュマン・アンリ(注)」に署名したのである。

(注:ドレフュスを有罪に陥れるために贋の電報を偽造して証拠品として提出したユベール・ジョセフ・アンリは有能な将校で、1897年に大佐に昇格し幾つもの勲章を得たが、法廷でドレフュス有罪の決め手となった贋の証拠を作ったのは私だと自白し、モン・ヴァレリアンの独房で剃刀で喉を掻き切って自殺した。これを機に、ドレフュス事件の再審要求を長年拒否してきた控訴院は拒否を撤回し再審を受け入れた。1898年12月にはアンリは証拠品偽造だけでなくエステラジーと共謀して情報をドイツに売っていたとの容疑がかけられた。同年12月14日、反ユダヤ主義の新聞「自由言論ーーリーブル・パロル」はアンリ未亡人のために名誉棄損裁判費用の義捐金を呼び掛け、十三万フランを集めた。アンリを記念して銅像を建立すべきだとキャンペーンを呼び掛け、二万五千人の著名人が署名した。
」 (ハンナ・アーレント著「全体主義の起源」 I 、 反ユダヤ主義、みすず書房)

この記述を読んだめのおは、長年疑問に思っていたことが、初めて明らかになったので著者に感謝したくなった。

それというのも、この二万五千人の著名人の中に、めのおが敬愛するポール・ヴァレリーが入っていたからである。


学生の頃、「ヴァレリーは最初、反ドレフュスだったが、ドイツ占領下でレジスタンスに味方するようになった」という文を読んだ時に、「ふうん。ヴァレリーもやっぱり大部分のフランス人と同じように伝統的保守、カトリックだったんだ」と思った。20世紀フランスを代表する詩人だ。仕方のないことかとも思ったのだが。



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