ヘンリー・フォードとアドルフ・ヒトラー | 雷神トールのブログ

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前々回の記事でヘンリー・フォードが「国際的ユダヤ人」という本を出版して反ユダヤキャンペーンを張ったと書いた。実は、めのおもアメリカ人の先進性、創造性、起業家能力の代表の様なヘンリー・フォードが反ユダヤだったなどということはつい昨日まで知らなかった。アメリカ人は全員が自由とユーモアを愛し自由を抑圧する全体主義ファッシズムを憎んでいると思い込んでいたから。

ヘンリー・フォードは本を出版しただけでなく、ナチが政党として立ち上がった1922年には、外国人としては初めての資金援助をした。ヒトラーはフォードを尊敬し、自宅の居間にフォードの写真を掲げ、訪問者に「国際的ユダヤ人」を与えていたと言う。


フランスの田舎暮らし-フォード


フォードは理想主義者で、発明王エジソンの会社で働いてから自動車会社を起業したが、企業経営とは社会の利益の為にやるもので自分の利益追求のための企業は遠からずして潰れると常々言っていた。「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」労働者には高い給与を払い、休暇も与えた。労働者が豊かになりT型フォードを買い、大量生産が上手く回るようにとの考えからだと言われているが、事実、フォード・システムによりアメリカの産業はどんどん発展し、労働者が豊かになり住宅を持つようになり建設会社も潤うというように良い方向へ発展していった。

初期のヒトラーは、600万人もの失業者と不況に苦しんでいるドイツを立ち直らせようとフォードの考えを取り入れた。自動車の発明者のベンツを持つドイツはT型フォードのドイツ版のフォルクスワーゲン・ビートルの大量生産を始め、高速道路(アウト・バーン)を建設した。実際ドイツ経済はヒトラーの政策により失業者は30万人に減り不況は克服されたのだった。

「国際的ユダヤ人」に書かれたフォードの言葉を引用する。

「ユダヤ人の考えは、営業とはすなわち金であるというものだ。やつらが金儲けにとりかかっている間は、理想もなにもあったものではない。ただ儲ければよいのである。ゆえに、金儲けの邪魔になるような理想家のたわごとなどには耳を貸さない。ユダヤ人以外は自発的に労働者の待遇改善に努力するが、ユダヤ人は自発的改革によって、決してびた一文たりとも支払うようなことはない」 

フォードは労働者の待遇改善が消費を惹き起し産業全体に牽引力を与えると考え高い給料を払ったが、組合には断固反対し、反共主義者だった。「共産主義者の75%がユダヤ人である」という記事も「国際的ユダヤ人」に掲載された。


「フォーデイズムとナチズム」という題で書かれたブログの以下の言葉は的を突いていると思う。


「フォードは、フォーデイズム的な労使の協調を推し進めるために、企業間および国民経済間の境界上に存在するユダヤ国際金融という両義的存在をスケープ・ゴートとして排除しようとしたのだ」


フォードのユダヤ嫌いは、むろん偏見に基づいているが、歴史的に祖国を追われ世界中に離散した民族が頼れるものは「金」しかないという心情をユダヤ人が持ち、祖国に住み、その社会のある集団に所属しているヨーロッパや日本人の普通の人が抱いている世の中には「金」以外に気高い価値を持つものがいっぱいあるといった価値観から見れば侮蔑の対象になりやすいのがユダヤ人だろう。歴史的にヨーロッパ宮廷に融資をして来たのがユダヤ人であったし、戦争の際、双方に金を貸し付けて、どっちが勝っても損の無いようにして生き延びて来たのがユダヤ人だった。

フォードがすべてのユダヤ人を嫌ったかと言うとそうではなく、才能のある優秀な人は認め、フォードの工場はユダヤ系のアルベール・カーンに設計させた。

1922年頃「ニューヨーク・タイムズ」など各紙で「フォードがヒトラーを支援している」という噂が掲載された。この頃フォードが大統領選挙に立候補すると言う噂が流れた。「シカゴ・トリビューン」紙はヒトラーに取材し、インタヴューの際のコメントを掲載した。「私はすぐにでも突撃隊を率いて彼の選挙運動を支援したいと思う。ハインリッヒ(ヘンリーのドイツ読み)こそは米国におけるファシズム運動育成の指導者である」

1937年、フォードの75歳の誕生日に、ナチス・ドイツ政府から「大十字ドイツ鷲勲章」が贈られた。当時、すでにドイツによるユダヤ人迫害の情報はアメリカにも伝わっていたが、フォードは「勲章を捨てるつもりも返すつもりもない」と言明した。
(Wikipedia 「ヘンリー・フォード」から)


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