号外 チュニジアのジャスミン革命 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 チュニジアはアルジェリアとリビアに挟まれた人口1千万人強の小共和国。カルタゴの遺跡があり、国民は古代にはハンニバルがローマを滅亡寸前まで追い詰めるなど侮りがたい勇気を持つ一方、フェニキア商人の血も引いた社交的で温和な国民が陽気に暮らす観光立国である。

アラブ諸国の中ではトルコと並んで一夫多妻制が禁じられ女性の社会的進出が最も進んでいる国である。ここ数十年来、めのおも含め外から見ている限り国民は平穏に暮らしているものと信じてきた。

 しかし国民は経済的疲弊にあえいでいた。だけでなく独裁者が築いた警察国家に自由を奪われていた。高い失業率に青年たちは未来が見えず閉塞感に打ちのめされていた。

 昨年の12月7日、失業中の26歳の青年が、パンを買う小銭を稼ぐために青空市で無免許で野菜を売ったところ、警察に野菜を取り上げられ辱めを受け、絶望のあまり焼身自殺を遂げた。

 ブルギバ大統領が築いた無宗教、民主主義を引き継いで政権に就いたベン・アリ大統領は、じきに権力と金の亡者に変身し、警察国家を作り23年間も独裁をほしいままにしてきた。

 青年の体制への抗議を籠めた焼身自殺が火付け役となって、ベン・アリ大統領一族の所有するハマメットの豪邸が焼き打ちされるなど、数か所で青年たちが街頭へ出てデモを繰り広げ始めた。

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 遼原の火という言葉がある。青年たちは自由を求めて立ちあがった。インターネットを解禁し、Facebook 等を通じて情報交換し西洋の自由世界の人々が享受している自由を我々も共有したいと要求を掲げた。

 警察と傭兵の護衛隊で身辺を固め、企業からはリベートを公然と取立て、蓄財と豪壮な邸宅で絵に描いたような独裁者の暮らしに明け暮れしてきた大統領夫妻。

 年末、首都チュニス、カルタゴ、ハマメットなど数か所で、街頭へ出た青年たちに、鎮圧に乗り出した軍が発砲し、60余人が死亡した。

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 「オレを撃て」と書いたTシャツの胸を肌けて命を捨てる覚悟で街頭に立った青年たちは警察と軍隊の銃列の前でデモを繰り広げ投石を繰り返した。

 危機的状況を感知した大統領は、来期は大統領選に立候補しないこと。民衆への発砲を止める、インターネットの解禁を認めるなど、テレビで宣言したが、すでに遅きに失した。民衆が求めていたものは自由であり、大統領マフィアと警察国家の解体だからである。

 軍の最高責任者は、民衆への発砲を拒否し、大統領に亡命か逮捕を迫ったという。
 
 2011年1月16日、ついにベン・アリ大統領はサウジに脱出した。辞任宣言をしないまま。大統領の傭兵が残っていた。傭兵のスナイパーは戒厳令で街を警護する軍や民衆に発砲し、混乱を引き起こした。亡命した大統領の指示だったという。

 ブルギバの跡を継いだ当時のベン・アリは民主的なある意味で進歩的な大統領だった。西欧諸国はベン・アリをイスラム原理派への防波堤として歓迎した。数年のうちに独裁体制を固め、美人の大統領夫人の飽くことを知らぬ金銭欲になす術も失った大統領は暴力団そこのけ、マフィアも顔負けの独裁王国を築きあげ、23年間君臨した。

 フランスはじめ西欧諸国の歴代政権は見て見ぬふりをした。

 ベン・アリ大統領の亡命はあっという間の出来事だった。だれも、これほどあっけなく独裁政権が崩壊するなど予想しなかった。

 チュニジアの若者を立ちあがらせたのはインターネット、フェースブックだったといわれる。ネットユーザーの数は360万人で人口の34%と極めて高い普及率。だが、情報は完全には解放されていなかった。

 たとえ禁を破って情報交換したといっても、画面上文字のレベルで情報交換し変革を唱えるだけならば勇気を讃えるに値しない。組織化の道具として役に立ったとは言えるだろうが。

 チュニジア青年たちは街頭へ出て、催涙弾と銃による実弾の発砲に身を曝して自由を闘い取った。その後、自警団を組織し、強盗、打ち壊しの類を抑え、ベン・アリの傭兵を捕まえて軍に引き渡した。

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 命と引き換えに勝ち取った自由は容易に壊せず、後戻りしないと思う。
ジャスミン革命はまだ過渡的段階で危険な要素を沢山抱えてはいるが、チュニジアがアラブ世界の独裁体制からの脱皮の模範となってアルジェリア、ヨルダン、エジプトなど類似したアラブ国家へ自由の要請が波及し少しは情勢が変わるだろう。

 アルジェリアでは、失業中の35歳の男性が家族を養えない、どうにかしてくれと県庁に訴え出たところ、応対に出た役人が、そんなに困ってるならチュニジアで焼身自殺した青年と同じようにすればいいと言ってのけた。

 絶望した青年はすぐにガソリンを全身に浴び県庁の前で抗議の焼身自殺をした。

 アルジェリアでも十カ所近い都市と農村で暴動が起こった。アルジェリアは石油・ガスが出るので政府は即座にパンをはじめ最小限の生活必需品を無税にする措置をとり、暴動を一時的に収拾した。

 チュニジアの青年たちは、これから自分たちの未来を担うに足る政府を選び国を社会を組織して行くであろう。

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 50年前、国会を取り巻く数十万、数百万のデモを実現しながら首相を退陣させただけで、ついに体制そのものを変えることが出来なかった日本の我々の世代の大衆。身の危険を顧みず機動隊と正面からぶつかり命を捨てた樺美智子さんという女子大生。

 身体を張って体制に立ち向かった青年たちを一部の「ハネアガリ」、冒険主義者と決めつけ見殺しにしただけで何もしなかった大衆追随主義の政党。
 
 街頭で軍に立ち向かい「オレを撃て」と書いた胸をはだけて叫ぶチュニジアの若者をテレビで見て、めのおが思ったのは半世紀昔の日本のことでした。

(連載小説「イカルスの墜落」に続きます)

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