『希望』と『絶望』は多分隣り合わせにあるものなのだ。
あの日の山口百恵は、
人気の絶頂にありながら、
その才能を輝かせることから、
永遠に降りてしまったわけだが、
それと引き換えに手に入れた私生活において、
キミはその後どのくらいの幸せを得たのだろうか。
キミの生い立ちが、
果たして当時言われていたような不幸なものであったのかどうか、
それさえも定かなものではないけれど、
二十歳のキミが当時何を求めていたのかを、
僕はもう想像することさえ出来ない年齢になってしまっていた。
あの頃はキミの方が随分年上だったのに。
山口百恵は20歳(正確には21歳らしい)で引退したのだと、
カラオケで「さよならの向こう側」を歌ってくれた君に教えると、
君はずいぶん驚いていたね。
マイクを置くシーンに、
「二十歳でこんなことしないでしょう」と、
言ってこちらを向いた君の真顔に、
「と言うか、山口百恵のカラオケなんて、
もう何年も聴いたことがないよ」
と僕は答えた。
夢見るように想って来たほんの僅かな君との時間が、
密閉された小さな空間にあった。
どれほど頑張っても埋められないと思っていた大きなスキマは、
40年の時を超えた歌があっけなく繋いでくれた。
手に触れて、そのまま包んだ。
あの頃桜田淳子でなく山口百恵を好きで良かったなと思う。
「さよならの向こう側」の歌詞が心に響く。
それからもう二度と会うことのなかったキミの歌の世界と、
目の前の君の笑顔と、
左手の中にある温もりは、
その瞬間にだけにある『希望』だ。
それはこの小さな空間を離れてしまえば、
もう僕の元には戻らないことがわかっている、
束の間の輝きである。
『絶望』はその輝きが眩ければ眩いほど、
深く濃い漆黒の度を増すものだ。
だからホントウは僕は、
目の前の宝物のようなキミの手を、
静かにそっと離すしかないのだろう。
誰だってきっとそうだと分かっていることだ。
だけど。
分かっていることと、
そう出来るかということの間には大きな隔たりがあるものだ。
「深くて暗い川がある」と、野坂昭如も歌ったが、
男と女の間には、
いつもそういうものが横たわっている。
だから男はいつも舟を漕ぎださないといけないものなのだ。
簡単に手に入るような物は、
宝物なんかじゃないわよ、
そう君に言わせないように、僕は必死に漕ぎだすよ。
だからこの川の名前を教えてくれないかい。
君が微笑んで歌ってくれたこの歌には、
きっと沢山の答えがあったのだと思うけれど、
それはまだ知りたくないなと、
僕は思った。
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