今週の闇金ウシジマくん/第402話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第402話/逃亡者くん⑭






そうとは知らず、戌亥との、また丑嶋との接触を2時間後にしたマサルは、その間のどかのためにいろいろ動いている。まず第一の目的としては、暴力で金をむしりとっていく元旦那からのどかを救いたい。マサルはのどかのことがふつうに好きなので、自覚はないかもしれないが、いまとなっては風俗業じたいから離したいという気持ちもあるかもしれない。そもそも、お金に困って副業をしなくてはならない原因の半分、いや、たぶん70パーセントくらいは旦那が原因だろう。旦那からのどかを引き離すことができれば、のどかを暴力から守れるし、うまくいけば風俗から足を洗わせることもできる。以前までのマサルなら、違法な方法、要は暴力でことを解決したかもしれない。もし旦那の新城がものすごい大柄な男だったとしても、苅べーたちにそうしたように、獏木のように友人の手を借りるというような手もあっただろう。しかしここは沖縄で、コネクションもなく、だいいちマサルは逃げ隠れている生活なので、目立つ行動は避けたい。だから、合法的に、多少もどかしくてもそういう支援団体にのどかを預ける方法をとりたい。

というわけでマサルは、のどかを家の前で待っている。その支援団体の職員とのどかを直接あわせなければならないのだ。昼から杏奈と酒を飲みにいっていた帰りのふたりが、のどかの家の近くにいたマサルと遭遇する。コメントでも指摘があったのだけど、前回、丑嶋がうつったコマから雨が降り始めていて、ここでも降っている。

マサルは単刀直入にDV被害の支援団体に行くぞとぶっきらぼうにいう。のどかのほうの、マサルへの感情は、正直いっていままでよくわからなかった。風俗嬢と客、にしてはフレンドリーで裏表がない感じだから、気があるのかなという気もするが、それがのどかの魅力であって、仕事だろうがプライベートだろうがかんけいなく、誰にでも感じがいい女の子というぶぶんもないではない。のどかじしんは、仕事をはじめて日が浅いので経験はないだろうが、客のうちには恋愛感情を抱いてしまうものも少なくないわけで、いままでマサルに感情移入して見て来たから気づかなかったけど、じっさいにマサルがのどかにこうやって提案というかほとんど命令しているのをみてみると、アレレ、という感じがないではない。おもっていたほどマサルとのどかの距離が近くないのである。


いきなりそんなこといわれても、というのもあっただろう。のどかは、先ほど杏奈と話していた東京行きについてマサルに聞かせる。といっても、つめて考えたわけではないし、だから当然東京行きが決定しているわけでもない。マサルは、東京にいってかんぜんに風俗嬢になるのかと問う。のどかは、貯金がたまるまではそうして、あとは追々・・・くらいの考えっぽいのだが、東京で実物をたくさん見てきたマサルからすれば、「元の生活に戻れなくなる」としかおもえない。

しかし、おもえばそもそものどかは風俗業にそれほど抵抗がない。やらないにこしたことはないけど、別にやってもいい、くらい。マサルからすれば、風俗業にどっぷりつかって、身も心も疲弊し、どこかで生活がほどけて、借金でもつくってしまえば、あとは転落するだけ、という典型的図が見えているわけだが、風俗に抵抗がないのどかは、その「疲弊」だとか、そこからホストとかギャンブルに金をつかったりだとかいう道のりがうまく想像できない。風俗をはじめる前のもとの生活も、それはそれでうんざりしているようで、なによりお金が入って生活が楽になるのがうれしいみたいだ。マサルにいわせれば、東京だろうと沖縄だろうと、風俗をやめて、いまの人間関係からも離れて、つまりつきあう人間など根本から生活を変えないと意味がない、というところである。たとえば、新城のような男が張り付くのは、のどかにおけるそういう、ある種のゆるさとか弱さが、彼を引き寄せるという理由もあるだろう。東京にいって風俗嬢になって、いまより稼いだとしても、けっきょく寄ってくる男は新城と大差ない連中かもしれない。マサルがいっているのはそういうことだろう。

のどかは杏奈を信頼している。いっしょに東京にいけばなにか変われる気がする。しかしマサルからすれば杏奈は、行くとこまで行った風俗嬢である。それはそうかもしれないが、杏奈の特殊な点はそれを乗り越えちゃってるところだよね。どんな形であれ、いまの杏奈には強い生命力が宿っており、そのしたたかさからは、いわゆる意味での「行くとこまで行った」様子はぜんぜんない。じぶんが話題に出されて、杏奈もはなしに入ってくる。偉そうだけど、のどかの父親か、それともストーカーかと皮肉る。

杏奈はのどかに優しいわけだが、それをマサルは当たり前だとする。要は、東京にのどかを連れて行って店に紹介すれば、売り上げの何割かは杏奈に入ってくるようになるのである。

はなしがごちゃごちゃしてきたせいか、それとも飲みすぎたか、くらくらしてきたと、のどかが家に入っていくことで、マサルと杏奈がふたりきりになる。おい・・・よく知らないひとどうしをふたりきりにするんじゃないよ・・・!

でも、ふたりは知らない仲ではない。マサルは、杏奈がじぶんのことを誰か知っているとはおもっていないはずだが、なぜか「杏奈」と呼びかける。たしかにさっきのどかがそう呼んでいたので、そう呼ぶのは不可能ではないけど、いくぶん不自然ではある。マサルはいちど沖縄で杏奈を見かけている。それから、それが「あの杏奈」だったかどうかをときどき考えていた、いま目の前にしたらまちがいなくそうだから、うっかり呼んでしまったというところかもしれない。

それを受けて、杏奈が鋭い三白眼になる。じぶんがどれだけ地獄を見たかわかるかと。いまの杏奈は仲間のところでまともに働いているが、売られた当初は中出しが前提みたいな、病気になるのが当たり前みたいなところで働いていたはずである。どういうパワーでそれを乗り切ったのかは不明だが、たぶん、運よく大病にはかからず、借金を返して、ほかの店に流れたのだろうと考えるしかない。

そして、杏奈はマサルが丑嶋のところで働いていたことも思い出している。杏奈がマサルのことを、少なくとも視界にいれていたのは、作中では見たところ2回だけだ。フーゾクくんの最初のほうで社長といっしょに店にいって、すれちがってこちらを見る(にらむ)杏奈の美貌にマサルが打ち震えるところと、ファミレスで杏奈や瑞樹たちがいるところにたまたま遭遇し、マサルが遠くから大声で話しかけてデリカシーのなさを露呈させたところである。後者では、いっしょにいた顔を見られたくない芳則が電話で杏奈を移動させてしまったから、ほとんど見ていないも同然かもしれない。だから杏奈がマサルを覚えているのはけっこう奇跡的かもしれない。ただ、丑嶋のことは覚えているだろう。店長と仕事の関係だったわけだし、だいたいあの風貌である。作中描かれていないだけで、丑嶋は何度もあの店を訪れているだろうし、そのときにマサルもくっついていれば、杏奈もセットで記憶している可能性はある。というか、げんに記憶しているわけだが。

ともかく、杏奈のいいたいことは、そんなマサルがなぜここにいるかとか、逃げてきたんだろうとか、そういうことではなく、金融屋ならお金の大事さはわかるだろうということだ。マサルは杏奈を金のことしか頭にないといったが、それを杏奈は否定しないわけである。おもえば前回も似たようなことをいっていた。杏奈のなかには瑞樹が宿っている。そして瑞樹は、貯金額を支えに、あのリスキーな仕事をプロ意識をもって行ってきたのである。

杏奈にはお金のためという動機があるが、無理強いするわけではない。選択するのは、のどかだ。そもそも選択肢を与えなければ選択することもないわけで、その意味でマサルは、杏奈にのどかと関わってほしくないわけだが、それは個人の自由である。いちおう、裏事情についてはいまマサルが説明したわけだし、その可能性もこみで、これからのどかは適切な選択をするはずなのだ。


家に戻った杏奈は、雨が降っているのに洗濯物が出しっぱなしであることに気づく。家の中では母親と息子が抱き合って震えており、例によって土足のままの新城が、瓶のまま泡盛をくちゅくちゅ飲んでいる。

家のなかから外の様子を見ていたようだ、いっちょまえに独占欲はあるみたいだ。外の男とできてるのかと、新城が瓶を振りかぶる。それで殴るのか?!中身はもうカラッポのようだが・・・下手したら死ぬんじゃないか。

そこにマサルが割り込んで瓶を十字受けする。

泡盛がぶ飲みしてたわけだし、新城もけっこう酔っているのだろうか。こんな状況では「死なすぞ!!」としかいえないというのはあるかもしれない。





「よせ。


子供に父親の無様な姿を見せたくねェ」





さらに瓶を振りかぶる新城。十字受けでたぶん腕がしびれているとおもうが、しっかり後ろ足を蹴り込んで、マサルは新城にお手本のような右ストレートをくらわす。いや、新城はマサルよりでかそうなので、じゃっかんフック気味のパンチかもしれない。どうでもいいけど。ふっとんでひっくり返る新城を、のどかは引きつった表情で見ているのだった。





つづく。





新城が家に入ってきたことで、のどかの母の栄子は震え上がって、洗濯物をしまえなかった。ということは、雨が降る前に新城は家に入ってきたことになる。前回マサルがのどかに電話をかけていたときは、まだ雨が降っていなかった。ふつうに考えたら、のどかの家の前で張り込みしているマサルが、新城が家に入っていくところを見ていたら、のどかが帰宅しようとしたときなんらかのリアクションをするだろうから、マサルが到着した時点ではすでに新城は家にいたことになる。しかし、これはちょっと奇妙である。というのは、今日ののどかは仕事に出かけてからほんの数時間でもどってきたはずなのである。保育士の仕事は、土日に研修が入るとかで、ほとんど休みがないっぽい。36巻を読み返すと、のどかは保育士を「昼の仕事」と呼び、風俗を「夜の仕事」と呼んでいる。たぶん、たとえば、子供のころ北海道にすんでいた祖母を、近くに引っ越してきたいまでも「北海道のおばあちゃん」と呼び続けるようなもので、正確な呼び方というよりは、経験的なものであると考えられる。基本は、昼保育士をして、時間や体力のある夜中に、風俗の仕事を入れていると、たぶんそんなスケジュールなのだろう。ただ今回は、その掲載誌が手元にないので確認できないが、どうも朝の出勤っぽかった。とすると、保育士関係の仕事が丸々お休みで、一日あいているから、仕事をいれたということだろう。具体的な勤務の入れ方についてはわからないが、一応「遅刻」というものがあるらしいことからして、なんとなくいって、仕事があったらやって、ということではないようだ。つまり、カレンダーを見て、ああこの日は一日休みだとわかり、前もって入れていたと、こういうことになるだろう。

母の栄子がのどかの仕事のことをどこまで知っているかはわからないが、実家とはいえ子供を預けるわけだし、帰りがいつごろになるのかというようなはなしはしているはずだ。新城的には、金は要求するくせに、のどかの風俗勤めは認めていないようなところがある。独占欲が強いのである。前回の考察の流れからいえば「所有」が新城の愛の形なのである。のどかが休日であるわけだから、保育園がお休みで、なおかつ研修とかがない土日ということになり、新城はおそらくのどかが休みにちがいないと考えて家にやってきたはずである。だがいない。栄子は仕事に出かけたというだろう。その時点で新城は、その「仕事」というのは風俗なわけだから、かなりイラつくはずである。しかし、常識的に考えて、たとえば朝の9時に出勤したのどかが、昼前に帰ってくるとは考えにくい。のどかも、細かいところは忘れたが、なにか晩飯のことを考えていたくだりがあったので、夕飯までには帰る、みたいなことをいっていたはずである。そして、ということは、栄子も、「のどかは夕飯まで戻りません」といったはずである。

新城は雨が降る前から家にいた。振りかぶられた泡盛の瓶からは、一滴もこぼれていないから、どうもぜんぶ飲み干したっぽい。こういうことからして、新城はけっこう長居をしていたのではないかと推測できるわけである。今日はしばらく戻らないと、おそらく栄子が伝えているにもかかわらずだ。これがいささか奇妙なわけである。

ひとつには、なにか差し迫った状態で金が必要であるという状況が考えられる。のどかのところにいけばたいして苦労せず大金が手に入る。いまはそれ以外用事がない。だから、酒でも飲んで待つつもりだったのである。

もうひとつには、新城の独占欲のあらわれということだ。風俗の仕事に出かけているのどかは、どこかの知らない男にからだを預けている。本来であれば「所有」しているじぶんしか知らないからだの特定の箇所を使って、仕事をしている。かといって、職場に乗り込んでのどかを強奪していくわけにもいかない。まず職場を知らないだろうし、だいたい、新城はのどかがそうして稼いだ金をあてにしているところがあるわけだから、ここには互いに否定しあう欲望が共存しているわけである。そうした、ひょっとすると無自覚な、行き場のない苛立ちを、新城はのどかの家を制圧することで解消している可能性がある。ひとは家を基本にして生活している。家という概念が、出勤を可能にし、休息を可能にし、蓄積を可能にする。会社に向かうにつれて徐々にメイクを落とし、家に戻るにつれてメイクを完成に近づけるというようなひとはいない。家は、基本的にはもっとも「なにものでもない」じぶんに近づける場所であり、家との物理的距離は、その「じぶん」からの距離と比例する。近くのコンビニに出かけるときはパジャマ姿でも、遠出をするときはオシャレをするものだし、そのひとは家では全裸で過ごしているかもしれない。仕事という視点で見たとき、家は体勢を立て直す基地になるのであり、「家」のない生活、つまり遊牧民的生活においては、手持ちの資源はそのたびごとに調達し、使い切っていくので、そもそも蓄積が行われず、貨幣の概念も弱く、したがって不自然に遠い会社に出社するということも起こらない。

家は、そのひとの生活の根幹をなす。新城は、肝心ののどかが手元からいなくなってしまっていることに苛立ち、ここを土足で踏み荒らして、強さを表現することで、のどかの尻尾をつかまえている気分を演出している可能性があるのだ。洗脳くんやそのモデルの事件があれだけおそろしいことの理由のひとつとして、この「家」がおさえられているということがあるのはまちがいない。ストーカー被害にかんしても、なによりおそろしいのは家をつきとめられることである。新城の土足は、じっさいのところかなり演出くさいぶぶんがある。あんな重いブーツみたいなの年中はいてたら足が疲れちゃうし、いつ襲われるかわからないようなところならともかく、あれではリラックスしようもない。つまり、新城は意図的に、のどかの家を制圧するというその効果を期待して、土足であがりこんでいるのである。


今回は1巻の丑嶋と酷似したセリフをマサルがくちにしていた。子供の前で云々というやつ。金主への返済が近くてイライラしている、とかいう回で、土下座する父親を丑嶋がそう怒鳴りつけたのである。杏奈のなかで瑞樹が生きているように、マサルのなかに丑嶋が生きていることもまちがいないので、たんじゅんにそうとらえることもできる。マサルは、丑嶋に父を見出し、その父が、ヤクザの要求には応えて平気でひとを地獄送りにしているのを見て、丑嶋も地獄行きにすることに決めていた。ここには複雑なものが読み取れたが、どこかいいわけ臭いものも感じられた。マサルのなかにも、復讐についてそれなりの葛藤があったのではないかとおもわれたのである。あれだけ世話になっていれば、もうあのときのことは水に流して、盗めるだけ技術を盗んだら、そっと独立しよう・・・くらいのことをマサルがおもわなかったとは言い切れないのだ。しかし、本来は、理性を超えて、ふつふつと煮えたぎるものであるはずの復讐心を、おそらくマサルは自ら、主体的に呼び起こしていた。それは、丑嶋によってもたらされた「いまのこの生」を認めないことで成り立ってきた生を、マサルが生きてきたからである。その復讐心の足場については何度か考えたのであまりくりかえさない。もしマサルが、愛沢事件の以前を足場に復讐を実行していたなら、つまり、「ほんとうはじぶんの人生はこんなではなかった、あのころに戻りたい」というつもりで行っていたら、あるいはそれは成功していたかもしれない。しかしマサルは、「愛沢以前」の象徴である村上仁と訣別して、「愛沢以後」、つまり丑嶋社長のエピゴーネンとして復讐の主体を選んだのである。これは自殺にほかならない。もしマサルが、当時のことは忘れて・・・というふうに考えることができたら、事態はいろいろちがったことになっていただろう。たいていのひとは、日常的にそういうことをしている。コンビニでいやな接客をされたからといって、店員の帰りを待ち伏せして、感じた嫌な気分と等量の嫌な気分を店員に与えようとはしない。しかし、丑嶋に似て潔癖症というか、完ぺき主義というか、マサルはそれをつねに「負債」としてとらえてきた。ある意味では、通常の親子関係でも、「生んでもらった」、親がいなければじぶんは存在していなかったという点で、わたしたちは良心に「負債」がある。しかしそんなことはいちいち意識されないし、意識されたとしても、それは「親孝行」という善行のかたちをとる。マサルにおいては、もともと「愛沢以前」の生がじっさいあったということもある。それは抱えなくてもよかったかもしれない「負債」なわけである。だからマサルはどうしても、この生を貫徹するために、その復讐心を呼び起こさないわけにはいかなかったのである。それが、あのセリフがどうも言い訳くさかった理由だろう。

ともかく、マサルのなかには、丑嶋由来のものかどうかはともかく、父親は強くあるべき、という思想がある。というか、少なくとも、子供にそれを見せるべきではないと。じぶんは、丑嶋のそういう面を見て(厳密にはみずからの解釈を経由して見出して)、復讐を決意したわけなのだ。とすれば、ここには、彼が決行した復讐への後悔が見て取れるかもしれない。父親の悪い面を見出して復讐することが正しいのであれば、子は父のダメなところをどんどん見ていくべきである。しかしそれを諌めるということは、マサルは、復讐を行ったじぶんを間接的に否定し、それを行わなかった、あったかもしれないじぶん、つまり丑嶋の息子として生長していくじぶんを肯定していることになるかもしれない。そしてじっさい、ここで封印していたマサルの暴力が解き放たれたのは、そしてそれがじぶんより大きい男性をひっくり返すほどのものであるのは、丑嶋の姿が重なっているからだろう。

子供は父親の悪いぶぶん、醜いぶぶんを見るべきではないのだということを仮に認めたとすると、この当為の文章の話者は、父親に醜いぶぶんがあるということを知っている人物である。そしてなおかつ、知ることによって子供におとずれる変化を経験、ないし熟知している人物である。それが丑嶋の立ち位置だったわけだが、今回マサルがこれを口にしたことによって、彼は丑嶋と同様の精神構造になった可能性が見えてくる。子供の前で土下座する父親に丑嶋が激怒していたことからして、丑嶋もまた、「知ってしまい」、同時にいまの生になってしまったことについてわずかながらにでも悔しさのようなものがあるにちがいない。ただし、ここには、「知っていない」じぶんへもどりたいというような郷愁は感じられない。むしろこれは悟りに近いかもしれない。今回、不器用にものどかにいろいろ指示するマサルを、杏奈は奇しくも「父親か」とつっこんでいた。のどかの意見を聞かず、いや聞いたとしてもほとんどを正論で論破し、とにかくこうすべきなのだとする口調は、たしかに父親的だ。この点については、なぜのどかへの愛情表現が父親のもののようになってしまっているのか、というふうに問いを立てるべきだろう。しかしそれ以前に、おそらくマサルにおいては、父である丑嶋のありようが、困難にぶつかったときのロールモデルになっている、という現実的な理由があるようにもおもえる。丑嶋が愛のことばをくちにしたことはウサギ以外にはない。おもえば丑嶋は誰に対しても父親みたいなしゃべりかただった。現実的にはそれが出ちゃってるんじゃないかな、とおもわれるのだ。と同時に、愛のかたちはさまざまとはいえ、もしそれを新城の「所有すること」とマサルの「幸せを願うこと」の対立としてとらえたとしたら、後者はたしかに父親のものに近いのである。





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