『待望の短篇は忘却の彼方に』中原昌也 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『待望の短篇は忘却の彼方に』中原昌也 河出文庫



待望の短篇は忘却の彼方に (河出文庫)/中原 昌也
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「あまりにも凶暴、あまりにも理不尽、しかし圧倒的に純粋―足を踏み入れたら決して抜けだせない、狂気と快楽にまみれた世界を体感せよ。奇才・中原昌也が「世界」への絶対的な「憎悪」と「愛」を込めて描き出した、極上にして待望の小説集、ついに刊行」裏表紙より




どれくらいぶりかわからない、中原昌也の待望の短篇集です。

文庫が何冊か出ていて、同じ河出書房新社から『子猫が読む乱暴者日記』『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』、新潮文庫から『あらゆる場所に花束が…』の三冊を読んでから、もう何年たったかわからないが、ともかく、久しぶりの小説だ(といっても、あいだになにも書いてないというわけではなく、知らなかったけど2010年には文春文庫から作品集が出ていたらしい。いずれにしても、寡作ということでまちがいないだろう)。



名もなき孤児たちの墓 (文春文庫)/中原 昌也
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まったく、紹介のしにくい作家である。

「小説」とか「文学」とか「小説を書くひと」とかもちろん「小説を書くじぶん」とか、いままさにその内容が記され、読まれている本という成り立ちにまつわるあらゆることを憎み、呪い、強烈な矛盾を抱えながら、しかしそのことを呪うべき手段で、記していくのである。



太宰治みたいに、小説が書けないこととか、じぶんという存在の卑しさを書くだけで「小説」にしてしまうひとはいる。しかし中原昌也は、ほとんどそれしか書いてない、という次元の作家である。いや、むかしの作品はちがったのかもしれないが、すくなくとも本書はそうだ。



デビューから何年もたっているのに、いまだにこれほどの作家的毒を維持し続けているというのは、ちょっと信じられないことである。ふつう、デビュー時に抱えていた「ファック・ザ・ワールド」の感覚というものは、その毒の吐き方が作法化し、権威を帯びてしまうことで、失われてしまう。これはどんな表現でもそうだ。だから、もしその毒を失わないようにしようとすると、なかなかたいへんなことになる。というのは、その毒は、くりかえすように、いちど文字になって明らかになったときから動性を失って、硬化し、最初の「白色」をなくしてしまうからだ。つまり、この毒をふたたびべつの方法で書こうとしても、たいていのばあい、最初のフレッシュネスは失われ、作家個人に帰属する固有のものになってしまうのだ。

ある意味では、中原昌也では、それが様式化してるといえなくもないけど、それでも、作品の不定感というか、秩序を拒否した感じはたいへんなもので、読者を不安な気持ちにさせる。

本書を読んだ感じでは、このひとでは、むしろはじまりは逆なのかもしれない。はじまりが、むしろ定式化した「中原昌也」であり、その出発そのものを、未来の地点から、呪い続けているのだ。


といっても、久しぶりに読んで作家そのものについて分析をするのは、このひとのばあいではあまりに危険すぎる。そういう作家だ。


物語とか、教訓とか、秩序とか、リテラシーとか、そうしたものを求めて本書を手にすると、大ダメージを受けるにちがいない。あるいは、「物語を求めないという物語」とか、「教養を拒むという教養」とか、なんでもいいが、そういうラディカルな批判思想的なもの(批判の対象となる思想ありきの副次的思想)を求めて本書を手にしても、ダメージは大きい。つまり、なにも求めてはならない。「なにも求めてはならない」というありようを様式として受け入れても、やはり内面のどこかは損なわれる。本書は、水の上を走るような、そうした更新の連続みたいなものが、定まることを拒んで、混沌と、破壊的に記されているものである。


読んだことがないひとには、この作家はとりあえずオススメです。



子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)/中原 昌也
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マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション)/中原 昌也
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あらゆる場所に花束が… (新潮文庫)/中原 昌也
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