『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』河合隼雄、村上春樹 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』河合隼雄、村上春樹対談  新潮文庫



村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)/河合 隼雄
¥460
Amazon.co.jp



「村上春樹が語るアメリカ体験や’60年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の『物語』を生きることんお重要さを訴える。『個人は日本歴史といかに結びつくか』から『結婚生活の勘どころ』まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする」裏表紙より




小説家・村上春樹と、ユング派の臨床心理学士・河合隼雄の対談。

そのときどきの知的興味の傾向というのはこんな僕にもどうもあるらしくて、そういう意識の向きはじっさいの読書や、それにともなって読むネット上の書評なんかも含めて読むものを規定し、また同時に読んだもののうちで意識のどこかが重要と捉え、これまでならページをめくった瞬間に忘れていたようなことも次に本屋にいくときまでちゃんと覚えていたりして、最近では山本七平がそれだったのだけど、この河合隼雄というひとのものも僕は読みたいなーとずっと考えていて、なんかどっかで見たことある名前だなとおもっていたら、なんのことはない、新潮文庫で村上春樹と対談していたのでした。村上春樹に関して僕は、少なくともオリジナルの小説に関しては、全集にもいちおう目を通したし、未発表のものとかを除いたらほとんど読んでいるとおもうのだけど、随筆や翻訳、ノンフィクションなどには、特に新潮文庫にまだまだ読んでいないものがたくさんあって、これはそのうちの一冊でした。


対談の時期的には、村上春樹が大作『ねじまき鳥クロニクル』を完結させ、ノンフィクションの『アンダーグラウンド』を執筆していたころ。読んでなきゃだめってことはないだろうけど、いちおう『ねじまき鳥クロニクル』はこれを読むうえでは課題図書といっていいとおもう。なにしろ、村上春樹が自作についてどのようなかたちであれ語るというのは、非常に貴重なことなので。




ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)/村上 春樹
¥540
Amazon.co.jp

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)/村上 春樹
¥580
Amazon.co.jp

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)/村上 春樹
¥740
Amazon.co.jp


僕が『ねじまき』を読んだのは高校生のころで、あんまり長いから、好きなところをときどき読み返す程度で、好きな作家であるのに僕には珍しく再読もしていなくて、じつは細かいとこは覚えていなかったりする。というのは、いまのようにストラクチャーを透視して、慎重に「物語」を読み込んでいくということを当時はしていなく、加藤典洋なんかに出会うまでは考えてすらいなかったからです。じゃあオマエはそれまでの十年くらいいったいナニを読んできたのかって、それはもちろん文章とその響きでした。僕がなにかにつけ遠まわしの比喩をつかいたがるのは完全に村上春樹の影響ですし、あたまわるいくせにどこか理屈っぽい言い回しを好むのは、島田荘司の…というか御手洗潔の影響なのです。

まあ言い訳はいいとして、そのせいもあったのか、ちょっとうまく理解できないところも、正直にいうとあった。基本的には、対談というよりは知的な雑談とでもいったほうが近い印象で、内容じたいは決して難しくないのだけど、それだけに、さらっと読めてしまうようなところがあって、特に河合隼雄では、なにか道路をはさんでしゃべっているような、携帯の電波状態が悪いままむりやりはなしを続けるような、どこか「遠い」という印象を受けた。これは、僕が『ねじまき』をあんまり覚えていない、ということは逆にいうと中途半端に覚えているということが大きな原因だとはおもうが、たぶん河合先生の心理学者らしいはなしかた、はなしの引き出しかたが、本来的にそういうものなんではないかともおもう。小説家というのはだいたい聞き上手なもので、村上春樹は特にそういうタイプだとおもうけど、河合先生ではそれがちょっとちがう意味をもつというか…。上手くいえないけど。たとえば、意見の食い違いなどがあって、対立しても、決して否定的な物言いから入ったりはしない…。あたかも患者との対話で解決策を探っていくように、会話の流れを補正(補完?)していくわけです。で、結果として、ぜんたいは読みやすいが、特に河合先生に関しては、どこか遠いような感じがしてしまうのかもしれない。


いま村上春樹を聞き上手と書いたけど、ここでは熱心な生徒みたいで、じつはこういう感じこそが、村上春樹が、そしてこのひとの小説が広く好まれ、愛される理由なんじゃないかともおもった。対談のなかにも出てくるが、何に対しても、態度が慎重であって、こうかもしれないああかもしれないと可能性を検討し、しかしまた直観も大切にしながら、とにかく腕を組んで考え抜き、成長していく。心構えが弁証法的なのですよ。なんというか、このひとは80歳くらいになっても、へんに大家ぶって達観してしまうようなこともなく、熱心に成長し続けるんじゃないかなあとかおもいます。


内容は多岐にわたるので、なんとも書けませんが、なにしろ村上春樹が対談というかたちではあれ自作について語るということじたいが貴重なので、好きなひとはぜったい読む価値があるとおもう。僕は未読ですが、最近はおしまいに紹介する随筆も出ているので、なんということもないのかもしれませんが。ちなみに、ラスト近くで、たぶん僕は『ウォーク・ドント・ラン』以来はじめて目にしたのだけど、村上春樹が村上龍についてわずかに触れ、しかも褒めています。



最後に、本文の補足として、ページ下部の余白(フットノートと呼ぶらしい)に村上春樹が「フィクションについて」という興味深い項目を書き加えているので、引いておきます。


「最近小説が力を失ったというようなことが巷間よく言われるわけですが、ここでも言っているように、僕は決してそうは思いません。小説以外のメディアが小説を越えているように見えるのは、それらのメディアの提供する情報の総量が、圧倒的に小説を越えているからじゃないかと僕は思っています。(略)

でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。(略)

相対的に力を失っているのは、文学という既成のメディア認識によって成立してきた産業体質と。それに寄り掛かって生きてきた人々に過ぎないのではないかと、僕は思います。(略)」





《関連図書》


走ることについて語るときに僕の語ること/村上 春樹
¥1,500
Amazon.co.jp

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)/村上 春樹
¥620
Amazon.co.jp

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)/村上 春樹
¥580
Amazon.co.jp

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)/村上 春樹
¥540
Amazon.co.jp

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)/村上 春樹
¥540
Amazon.co.jp


ウォーク・ドント・ラン/村上 龍
¥1,050
Amazon.co.jp