今回は「回想2008新春旅②日目」の続き写真をご覧いただきながら、
前々回のブログ「M~愛すべき人がいて」の最後に書いた、
カウンセラー長谷川泰三先生に救われたお話をしたいと思います。


(気比神宮社務所)


その昔30代の頃、エキサイト携帯ホームページという携帯電話で作れるホームページを作っていました。

その同じエキサイトの中に「カウンセラーの作ったホームページ」というのがありました。
名前は覚えていませんが、車椅子のカウンセラーと書いてあったのはよく覚えています。


(敦賀駅へ帰る)


彼のホームページには、そもそもカウンセラーとはどんな職業なのか、自分が障がい者になった理由と、辛かった日々をカウンセラー師匠との出会いで今を感謝の日々で過ごしていること、
電話でのカウンセリング相談実例、
そのほか前々回のブログ「M~愛すべき人がいて」の下のほうでリンクをしている過去ブログに書いたような、人の心の仕組みが綴られていました。

読めばうなづくことも多く、彼のホームページをお気に入りリンクしました。


(名古屋駅─夏と同じネットカフェで一泊)


そんな私のホームページタイトルは、
──「彼女を好きになった日」。──

同じ職場の女性への片想いの毎日を日記に綴っていました。
それは失恋で幕を閉じましたが、日記は続けていました。


(車窓より淀川の朝焼け)


その私のホームページの読者に、感受性の豊かな音楽好きの女性がいました。

ホームページ上のメール機能や、幾度かの掲示板交流を経て、僕と彼女はメールフレンドになり、物理的距離を越えて交流を楽しんでいました。

彼女は自己嫌悪と言っていましたが、その感受性、文面が好きでした。


(大阪駅に着く一瞬、車窓からビルを貫通している阪神高速が見える。撮影タイミングが難しい。)

けれども、優しさを見せてくれるのに、その心の繊細さゆえに…

彼女と親しくしていたホームページに私が彼女より先にリンクを貼った、
メールの反応が遅い、
そんな自分の何の悪気もない行為を
「私に嫌な思いをしたから貴方はそんな反応をするのでしょう?」と彼女は受け止めてしまうのでした。

近寄ろうとするたびに「こんな私は嫌いでしょう?」といくつもハードルを置くのでした。
「そうじゃない、貴女が嫌いなわけないじゃない」と伝える自分もほとほと疲れてしまうほどに。


(三ノ宮駅前にて朝食。その後は広島へ帰る)


僕は、車椅子のカウンセラーさんに「自己嫌悪が強い人」について尋ねました。

それは、感受性の強い人が周りの言葉や行動に自分が傷つかないための「自虐」という鎧なのだそうです。
傷ついた心が、幸せになろうとすると自分を壊したくなる「破壊衝動」、いろいろな心理学的な言葉があるようです。

(僕が広島にいた三年間、観察し続けた原爆ドーム対岸の桜。撮影:2008年2月22日)

「人はそのハードルを乗り越え、ボロボ
ロになって傷ついた姿を見せて、こんなに君を思っていると証明しようとします。」

「すると、あなたをボロボロにしてしまった罪の意識から逃げようとして、相手は離れていってしまう」

「人は罪の意識を感じる場所や人には近づきません。」

「置いたハードルを乗り越えることではなく、許しを伝えられることで、人はその場所に、人に安心して近づくようにななります。」

そんな内容でした。


(平和公園にはたくさんの桜があるが、この桜にはえぐれたような傷がある。それでも春には立派に花を咲かせる。)

車椅子のカウンセラー先生のアドバイスは的確でした。

僕は、彼女に出会えてよかったこと、感謝の言葉を伝えました。

それから距離は嘘のように縮まり、
メールフレンドから実際に出会うことになったのでした。


(原爆ドーム前という特異な位置にあって、この桜の受けている傷は、戦禍を連想させてしまう。)

音楽好きの彼女は、私がホームページに書いた浜崎あゆみの詞に感動し、ライブチケットを取り、僕を誘ってくれたのです。(当時のあゆのライブはプラチナチケットです。なかなか取れるものではありません。)

僕は車椅子のカウンセラーの掲示板で質問しただけです。

カウンセリング料金もいりませんでした。


(しかし、桜が被爆当時からここにあったはずはなく、この傷が何に由来するのかは不明です。)

けれども僕の人生にとって、
恋愛とはいえないけれども、

本来は顔も知らないまま終わるはずの、一人の女性と出会えたことは忘れられない良い思い出となっているのです。


(同年3月8日、海田市駅構内にある、2月には咲き始める早咲きの桜。メジロがその蜜を求めて訪れる。)

音楽好きの彼女にとって、それまで浜崎あゆみはアイドルのような印象だったらしいのですが、ライブ後、彼女が泣き出したのが今も忘れられない思い出です。
何の涙だったのかは僕にもわかりません。
あゆの歌なのか、それとも今まで一人だったライブを誰かと一緒に見に行ったという状況なのか、彼女の心の深いところに、アクセスするものがあったのでしょう。

2007年9月、エキサイトが携帯ホームページのサービスを終了し、交流の場が失われて数年後。


(メジロはすばしこく、枝から枝へ移動するので撮影は難しい。)

車椅子のカウンセラー、
長谷川泰三先生の人生が、嵐の二ノ宮くんの主演で24時間テレビの企画ドラマになっていたことを知りました。そのドラマはビデオ作品にもなっており、後にレンタルで視聴しました。
薬師丸ひろ子さんや上戸彩さんも出ています。


(僕は桜が好きだ。この桜の品種はわからないが、ソメイヨシノが咲く頃には散り去ってしまうほどの早咲き。)

原作の彼の著書を買って読み、
カウンセラーとして独立し、駆け出しの頃はお客さんもなく生活に困窮する中、開設していた携帯ホームページが立ち直るきっかけとなった…ことを知りました。
車椅子というキーワード、僕をあの頃救ってくれたのは長谷川泰三先生に間違いありませんでした。

生活が困窮していたのに、電話カウンセリングに導くでもなく、無料で解説してくれた彼のアドバイス。


(海田市駅は広島駅から上り方向三つ先の駅。2月下旬には咲くこの桜は、ホームに入らなければ撮影は困難な場所にある。)

残念ながら、その事実に気づいた時には、先生はすでにこの世にいませんでした。

逢ってありがとうを伝えたかった。


(桜や鳥は人の心を和ませる。)

人の心を癒すこと…
起こった事実は変わらないけれど、過去に対する捉え方を変えることで、人は痛みから解放されるということ。
心のあり方次第で人生は大きく変わることを教えてくれました。

彼の著作
「命のカウンセリング」
「車イスが教えてくれたありがとう」
紹介動画はこちら


※彼は故人です、本人のブログが決して更新されることはありませんが、アメブロにも残されています。
このブログにたどり着いた方には、何かの縁があるのかもしれません。
感ずるものがある方は、一読してみてください。

前回に続き能登の気多大社です。
「大社」とあるように、ここの御祭神は大国主神です。
本殿はこじんまりと小さめで、改修工事中でした。しかし、この寒い中、おおらかな暖かな気を感じました。まさに大国主神の気だと思います。

帰り道に「縁結びの道」があり、たくさんの絵馬が掛けられています。

縁結びの道を抜けると、こちらにも天満宮がありました。菅原道真は学問の神様ですが…

羽咋駅に戻ります。向こうに能登の海があるのでしょうか?高い建物は見あたりません。

雪の中、電車がやって来ました。
石川さゆりの「能登半島」などを歌ってみます。

乗り込む人は少ない。線路にある雪が、自分には珍しく思えて撮影しています。
ここから一気に金沢、福井を抜け敦賀まで帰ります。

福井駅を通過。今朝の明け方までカラオケをしていた街。まだ雪が残っている福井市内です。

車窓の向こうの山は雪化粧。

さて、この後、敦賀駅に降りるのですが、近くなのはわかっていますが全く東西南北がわかりません。
15時半、おたおたしていると神社は閉まってしまいます。駅前でタクシーに乗り込みました。

ガイドブックにはタクシー5分と書いてあったのですが、なんと1メーター、2分で着いてしまいました(笑)
あんまり運転手さんには喜ばれなかったような…

正門に回ってみます。ちなみに雪ではなくて雨でした。

気比神宮は「神宮」とある通り、天皇に縁のある神様が祀られているのでしょう。御祭神は伊奢沙別命(いささわけ)、仲哀天皇、神功皇后でした。

出ましたね、神功皇后。仲哀天皇の皇后ですが、少し前に出石神社のところで書いた「越の国から九州に向かい、新羅征討した皇后。」
ここは神功皇后の里なのかもしれません。

右手の資料室に入ると、歴代天皇の肖像画がずらりと並んでいます。

神社一ノ宮巡拝67社め◆気比神宮(越前国一ノ宮)
福井県敦賀市曙町11-68
JR敦賀駅より徒歩15分。
《その他交通手段》
敦賀駅松橋線乗り場よりバス10分。
100台の無料駐車場あり。