旅に出る前、僕は自分探しの旅というものを
否定していた。

「そんなもん探したってみつからないよ」

そう思っていた。

ただ、旅を終えた今、思うことがある。

「自分探しの旅は、あながち間違いではないのかもしれない」


ただ、多くのひとが言う自分探しの旅と
僕の言う「自分探しの旅」は根本的に違う。

真逆のものだと言っても良いかもしれない。

例えば国語辞典で「自分探し」と、ひいてみると


 じぶん‐さがし【自分探し】

 それまでの自分の生き方、居場所を脱出して
 新しい自分の生き方、居場所を求めること。


と出てくる。

「脱出」という言葉が意味するように、自分ではない何か
に生まれ変わるという意味合いが強い。

それに対して、僕が言う自分探しの旅とは


 自分の中に埋もれて見えなくなってしまっている
 自分を採掘し磨きあげる作業。


つまり、既に自分の中にあるものを再発見し、再構築する作業。
そう思っている。


それを喚起するもののひとつに、旅先での思わぬトラブルがある。
何度か、「歩いてきました」でも触れているが、旅先では本当に
トラブルが多い。

それも思わぬところから、自分の範疇にない、予想だにしない
部分からそれらは襲ってくる。

そして、そのたびに思う。

「さあ、どうしよう。どう、解決しよう」


旅先では基本的に頼るものがない。

だからこそ、必然的に自分の中の「すでにある何か」でそれを
補っていかなければならない。

つまり自分が今まで経験したこと、体験したこと、
勉強してきたこと、その全てを使い、解決していくしかない。

それも、たった一人で。

そして、そうすることにより、自分の中の普段は隠れている
何かが呼び起こされる。

「ああ、この道具はこんな使い方もあったんだ」とか
「ああ、こうすれば代わりのものができあがるな」とか

「こんな伝え方もあったんだ」とか。


自分にないものでどうにかするのではなく
自分にあるものでどうにかしようとする。

その結果、自分を探すことができる。
その結果、自分をより深く知ることができる。


それを僕は以前「生きる力」と表現していた。

そして、旅に出て身につけたものは、その「生きる力」
だと、そう言っていた。

その言葉に間違いはないし、その思いは今も変わらない。

ただ、日本にいると、それが失われてしまう。

もしかしたら、僕がまた旅に出たいと焦がれる
思いはそこから来ているのかもしれない。

「さあて、そろそろ、また再構築するか」
「さあて、そろそろ、また探しに出かけるか」と。






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