友人が今年、湘南で海の家をやるらしい。

詳細については、追って連絡しようと思うが
僕も、何日か時間をつくり、手伝いにいこうと
思っている。

手伝いというか、僕はただ、お客さんと話すだけに
徹しようと思っているが・・・

たまに手伝うけど・・・


友人から手伝ってくれない?と言われたが
仕事が立て込んでおり、忙しい。とはじめは断った。

だけど、パソコンを持ち込み、海の家で、
仕事をしながら、お客さんと話すのも面白いかなと思った。

「やっぱ、夏は、海だね」

と、とあるドラマの主人公も言っていたし、海辺で潮風に
吹かれながら仕事するのもアリかなと。

「歩いてきました」をよんでくれているあなたが
湘南の近くに来れるのであれば、声をかけてくれたら
嬉しい。

是非是非、語り合おうではないですか。

旅についてでもいいし、それ以外のことでもいい。
楽しみましょ。

都合があえばだけど。

僕が出勤?出動?する日は「歩いてきました」を通じて
告知をする予定。

もし、みかけたら、是非是非声をかけてほしい。
「もしかして、hiroさんですか?」と。

もし、そうだとしても、僕は「違います」と言う予定だ。

というのは冗談で、きちんと対応します。

何か、良い出逢いがあったら嬉しい。






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一生懸命書いたものは何故か伝わる。
それが、どんなにへたくそな文章であっても伝わる。

だがしかし、手を抜いた文章は、伝わらない。
それがどんなに素敵な文章であっても、ひとに感動を与えられない。

それは文章に限らない。

言葉で何か相手に伝えるとき、自分の言葉に嘘があると
どんな伝え方をしても伝わらない。

けれども、自分の言葉に正直である時、
どんなへたくそな伝え方であっても、ひとに伝わる。

不思議だな。

もしかしたら、ひとはそれを「言霊」と呼ぶのかもしれない。






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ディズニーランドに行ってきた。

何年ぶりだろうか。
随分と久しぶりに行ってきた。

平日のためか、連休あけの為か
ひとは随分と少ない。

少ないと言っても、プーさんのハニーハントは
相変わらずひとが多く、1時間半待ち。

ファストパスも、12時の時点で、
夜8時以降の時間のものしか発行されていない。

すごい人気だなと思いつつ、
僕達は並び、数年前の思い出にひたる。

ただ違うことは、お互いの未来の話をしっかりと
できることになったこと。

今後、どのような未来を一緒に歩んでいきたいか
そんな話を自然としていた。

ふと思い訊いてみた

「昔どんな話をしてたっけ?」

すると彼女は答える。

「う~ん、忘れた。
次どこ行こうかとかじゃないかな?」

そうだったような、違かったような・・・。
ただひとつ確かなことは、あれから
僕たちは、ずっと一緒にいるということ。

あれから、今も、そして、
これからも。

変わるものと、変わらないものがある。


エレクトリカルパレードの時間になり、
いつものように席をとる。

風が強くふき、日中の暖かさと違い、随分と
冷え込んだ。

近くのホテルに戻ろうか?
そんな話をするものも僕等は待つことにした。

1時間くらいして、突然あたりが暗くなった。
あたりがざわつく。

と、同時にけたたましく鳴り響く音楽。

パレード開始の合図だった。

あの音楽が流れると、何故か、いつも涙が流れる。
理由はわからないが、突然涙が溢れる。

それは不思議な感覚だった。

昔と変わらない音楽、パレード。
そのいくつかは、古くなり、新しいものに
代えられていたが、エレクトリカルパレード、それ自体は
何も変わっていない。

その核となる部分は全く変わっていない。


ふと、僕自身は・・・

あれから、いろんな経験をして、随分と変わってしまった。
だけれども、自分の核の部分は何一つ変わっていなかった。

自分の中の、変わってはいけない部分がそのまま
残っているようで、何故か妙に嬉しかった。







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旅に出る前、僕は自分探しの旅というものを
否定していた。

「そんなもん探したってみつからないよ」

そう思っていた。

ただ、旅を終えた今、思うことがある。

「自分探しの旅は、あながち間違いではないのかもしれない」


ただ、多くのひとが言う自分探しの旅と
僕の言う「自分探しの旅」は根本的に違う。

真逆のものだと言っても良いかもしれない。

例えば国語辞典で「自分探し」と、ひいてみると


じぶん‐さがし【自分探し】

それまでの自分の生き方、居場所を脱出して
新しい自分の生き方、居場所を求めること。


と出てくる。

「脱出」という言葉が意味するように、自分ではない何か
に生まれ変わるという意味合いが強い。

それに対して、僕が言う自分探しの旅とは


自分の中に埋もれて見えなくなってしまっている
自分を採掘し磨きあげる作業。


つまり、既に自分の中にあるものを再発見し、再構築する作業。
そう思っている。


それを喚起するもののひとつに、旅先での思わぬトラブルがある。
何度か、「歩いてきました」でも触れているが、旅先では本当に
トラブルが多い。

それも思わぬところから、自分の範疇にない、予想だにしない
部分からそれらは襲ってくる。

そして、そのたびに思う。

「さあ、どうしよう。どう、解決しよう」


旅先では基本的に頼るものがない。

だからこそ、必然的に自分の中の「すでにある何か」でそれを
補っていかなければならない。

つまり自分が今まで経験したこと、体験したこと、
勉強してきたこと、その全てを使い、解決していくしかない。

それも、たった一人で。

そして、そうすることにより、自分の中の普段は隠れている
何かが呼び起こされる。

「ああ、この道具はこんな使い方もあったんだ」とか
「ああ、こうすれば代わりのものができあがるな」とか

「こんな伝え方もあったんだ」とか。


自分にないものでどうにかするのではなく
自分にあるものでどうにかしようとする。

その結果、自分を探すことができる。
その結果、自分をより深く知ることができる。


それを僕は以前「生きる力」と表現していた。

そして、旅に出て身につけたものは、その「生きる力」
だと、そう言っていた。

その言葉に間違いはないし、その思いは今も変わらない。

ただ、日本にいると、それが失われてしまう。

もしかしたら、僕がまた旅に出たいと焦がれる
思いはそこから来ているのかもしれない。

「さあて、そろそろ、また再構築するか」
「さあて、そろそろ、また探しに出かけるか」と。






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最近はなくなったが、以前相談を受けていたことがある。
それは「旅には一体いくら必要なのか?」ということだ。

これに対する答えは様々だが、僕はこう聞かれた時は
大抵、次のように答えていた。

「その前に、あなたがどのような旅をしたいのかが先です」


僕は思う。

はじめに予算ありきではなく、まずはあなたがどんな旅を
したいのか、なのだ。

どの地域をまわる予定なのか?
どんな場所に泊まる予定なのか?

それをまずはっきりさせる必要がある。


最近の傾向をみて僕は思うのだが、節約を目的として
だらだらと旅をしている人が多い。

節約は本来目的ではない。
節約は手段であり、方法なのだ。

そこを間違ってはならない。

多くのひとはこの時点で間違ってしまっていると僕は思う。


どのような旅をしたいのか、それをはっきりとした上で
初めて「じゃあ予算は・・・」という話になる。

その計算方法は簡単だ。
予算なんて、逆算すれば良い。

例えば1日3000円程の旅をみてみよう。

それにあなたの期間をかければ良い。

例えば1年なら365日だから

3000円×365日=1,095,000円

要するに、1日3000円の旅を1年間したいのであれば
約110万円が必要となる。

この1日の金額(ここでは3000円)にはもちろん
宿代、交通費、飯代、つまり生活費が全て含まれる。

するとどうだろう、旅が途端にリアルになる。

予算オーバーであれば期間を短くするしかない。
期間を延ばしたいのであれば、1日当りの金額を減らすしかない。

もちろん旅では使いすぎることもあれば、全く使わない日も
あるので、おおよその金額となる。


使わなかった分は繰り越しになるし、使った分はどこかしらで
節約しなければならない。

この方法が全てではないが、旅の予算はこのようにして
決めると良い。

少し気になったので、書かせて頂いた。







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