ひとつ、昔話をするよ。

今を生きるってことは、過去をなかったことにすることじゃなく、込み上げてくるものを噛み締めながら、時には奥歯をすりつぶしながらでも味わいながら呼吸するのね。

昔話をするのは老いた証かしら?

それでも現実味を帯びてたまに夢に見る。あなたの顔も忘れてしまったけどね。夢の中ではあんなに「愛している」なんて叫んでいるのに、目が覚めたら忘れてしまうのだけどね。

誰だっけ。君は誰だっけ。
まぁいっか。

舌にピアスを開けた時のことでも話そうか。
ピカピカ光る裸みたいな衣装を着てさ。男に酒を注いでた時だったよ。
突然抱き締められてキスをされてね。客じゃなくて先輩にね。

誰だっけ。君は誰だっけ。

どうでもいいけど、ビックリするほど気持ちよかったわけ。それで彼女が笑うのよ。
「気持ちいいのを分けてあげたくてね」
なんてさ。子供みたいな顔で。とても感動しちゃったわけ。これって慈愛だろって。だから私も開けたの。
その後凄く腫れちゃって、ご飯は食べられないし滑舌は悪くなるしだったけど、落ち着いたら便利なもんだった。たまに噛んで歯が欠けそうになったけどね。

誰だったっけね。
忘れちゃったよ。

彼女が死んだって聞かされたのは、別の店に移って暫くしてからだったな。仕事中なのに泣いてしまって、なのに思い出せないんだよ。『楽しかった!』それしか出てこない。

無邪気で美しくて、とても孤独な人。
人の中にいて、人に揉まれて、抱き締められて愛されて、愛を突き放して、そうして死んでいったんだ。手首を切ったくらいじゃ死ねないよ、なんてどっかの誰かが知ったかぶりで言ってたけど、そうやって彼女は死んでしまった。

どんな日だったかな。
晴れてたっけ。
雨だったっけ。
わかるわけないか。あの店には窓もないもの。

薄情者なんだよ。
だって思い出せないんだ。
思い出せないんだよ、どうしたってさぁ。



これが本当だったかなんて、もう私にも分からないんだよ。