曽野綾子女史「危うさを感じる閣僚の意識」 | 下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog

曽野綾子女史「危うさを感じる閣僚の意識」

購読者の少ない産経新聞ですが話題のネタが多く読みやすく
思想信条について左右のバランスのとれた素晴らしい新聞です。

曽野綾子女史が「危うさを感じる閣僚の意識」と題して
「小さな親切、大きなお世話」の記事を昨日に続きで張付けました。

(貼り付け始め)
私たち国民が困るのは、こういう常識さえ最初から持っていない
人(一川国防相、蓮舫行政刷新大臣)が政治や防衛の責任者に
なるということなのだ。一川大臣は就任に当たって「安全保障に
関しては素人だが、これがほんとうのシビリアンコントロール」だ
と言った人だ。

こういう人物は市井の人ならいいのだが政治家にも、閣僚にも
指導者にもなってもらうと困るというものだろう。

外国国王の歓迎晩餐会を欠席して民主党議員のパーティーに出席し、
「宮中行事より、私にはこちらの方が大切だ」という迷文句を口にした
のは、この手の政治家は国家や日本のために地味な任務を果たそうと
しているのではなく、自分が政治家や閣僚になるために動いている
のであって、関心も視線もそちらにだけ向けられていることを示している。

蓮舫大臣の携帯電話事件も、私の周囲の若い人たちには、
「映画館だってまず携帯は切りますよね。私だってそれぐらいの
礼儀は守っています」と、国家的行事と映画館をごちゃ混ぜにしている
ところはあるが、それが近年では庶民さえ守る礼儀になっていたのである。

オウム裁判が終わって、被害者の人たちの17年間の忍耐が、
一挙に吹きだした感はあるが、私は死刑判決に判を押さない
法務大臣の卑怯さを改めて感じている。

死刑に反対するのは一つの見識だ。しかしそれなら、現状では
期日内に死刑を執行する義務を有する法務大臣のポストだけは
請われても辞退するという信念を見せて当然だ。

またそれは簡単にできることなのだ。人間としての器はないのに、
大臣のポストにだけは恋々とする人を見るのは、
実に興ざめなことである。

民主党には、ほんとうにこれほど人材がいないのだろうか。
それとも逸材は隠れていて、総理に人を見る眼がないという
ことなのだろう。    (その あやこ)
(貼り付け終わり