監督スティーヴン・スピルバーグ、主演トム・ハンクス、
アメリカとソ連が一触即発の冷戦状態にあった1957年
スパイは人々の中にいる。
アメリカとソ連が冷戦状態になった1957年、一人の男
ロシア人スパイのアベルを演じるのは、名舞台俳優として
1960年にソ連で撃墜されたU-2偵察機のパイロットとの
スパイ交換の交渉を任命され、東ベルリンでの危険な交渉を開始する。
実話であることが信じがたいほどにスリリングなドラマを
真実に基づく奇跡の物語『ブリッジ・オブ・スパイ』(1
(貼り付け終わり)
スティーヴン
11ラウンド、ノックアウトで勝利したが世界での一流選手にはまだ入らない。
公表していないがファイトマネーは精々1000万円程度と思う。
一試合10億円以上稼いで半人前、20億円稼げるチャップになってもらいたい。
↑
訂正→間違えた一試合一億円稼いで半人前です(大晦日は酔っていたので)
家内は習字の師匠はいません我流で書いています。
仕事に関する始末書、訴訟通知書、勤め先稟議書など得意分野で
ずいぶん書かせました。もちろんその頃はパソコンなど無い時代です。
クリスマス・正月飾りは全て自己流で家内が作ります。
正月の花は庭で賄います。全て安上がりでエコ生活です。
横浜では昔 三楽オーシャン(廃業)のロゴ「オーシャンバー」を看板にしている
都橋商店街は東京オリンピック開催が決定してから戦後闇市時代の
夜店、バラック小屋、道路占領した立飲屋を整理して横浜市が
大岡川土手に変わった建物を建設した。
大岡川土手沿いのカーブに沿って建てた飲食街は野毛の名物
野毛から都橋を渡った大岡川沿いはソープランド街になっている。
角海老のネオンは一段と輝かしく見える。
本業の他にプロボクシングジムも経営している。
ソープランドの店名だと思うが入店したことがない。
浜屋ビルはソープランド街にある戦前からの酒屋で私も買い物したことがある。
右側の浜屋酒店は今でも三楽オーシャン時代の看板がかかっている。
上記の写真を拡大する。福富町でオーシャン・ウイスキーの看板は
記憶に残り好きだ。左端のソープランド看板は街の雰囲気を出している。
以前のブログにも昼間の浜屋の看板を取り上げたことがある。
75歳の私には必要なくなったが独身者・若者には必要な施設です。
建前では公然と話せない事でも本音では必要なのです。
ソープランドの一角にある創立1950年(65年前)BARクライスラーの看板にも
オーシャンバー総本店と書かれている。
コースターにもオーシャンバーと書かれているのは横浜と海との関係から
付けられているのでしょう。
自宅と違ってグラスは全て名入りで呑んでいても酔い心地が良い。
居酒屋「まつりや」の開店時間は午前0時とはどんなお客が食べに来るのか
検討がつかない。
今日で75歳の誕生日を迎えることになりました。
昭和から平成時代なってから年取る感覚が早く感じる。
50歳代は→一日が早いなあ~
60歳代は→一週間が早い!
70歳代は→一年が早い・早い。死に急ぐ為なのかなあ~
認知症の気配が気になりだした。
そんなことを考えながら思いつくままにブログを書くことにしました。
12月10日
東京パン連盟工業協同組合の例会・忘年会を台東区
根岸・金杉通りの河豚料理「にびき」の二階で開催いたしました。
現役社長時代は大利根CCでラウンド後、一風呂浴びたのち車で
「にびき」に立ち寄り天然フグを堪能していた。もちろんお得意様の
接待が中心で会社の交際費を好きなだけ使った時代もありました。
その後、浅草・吉原も近く遊んで気持ちよくなっていたが
会社の売り上げも順調に伸ばしたものだ。今はそんないい時代では
ない。
普段は桜木町・野毛付近の立飲み、屋台めぐりの安酒しか飲んでいない。
一回1000円~1500円で十分満足しているが、
今回はパン連盟の費用で ひれ酒・ビール飲み放題もちろん
河豚刺身・河豚鍋その他数点の一品料理食べ放題で勘定は組合持ちである。
相当高い料金についているが、勘定はあえて聞かない様にした。
(聞いて一人当たりの高い金額は体調によくない)
久しぶりに食べたフグ刺しは勘定を気にしないでたらふく食べた。
12月11日
ホテル・オータニで11:30から 木村よしお国会議員のフォーラム
木村先生の一声で厚生省を動かしてパン業界における
画期的な制度を立ち上げる事が出来た。
前日は にびきの河豚料理でひれ酒を飲み過ぎて講演中はウトウトしていた。
連れて行った専務理事は最初から最後でお昼寝の時間でした。
買ったパーティー券の枚数から参加した二人分の昼食弁当代は
一人五万円につきました。
政治家の資金集めはどこでも同じですから仕方がない。
12月12日
今日で75歳になりました。
ア!という間に年寄になってしまった。
65歳当時あざみ野駅前 のせ写真館で葬式用・自宅用四つ切拡大写真
仏壇用写真を用意して飾っている。
結果的には自宅で家内と二人だけの生前葬をしたことになる。
当時65歳の私の髪の毛は黒く顔色はゴルフでの日焼け、プロの写真は
十数枚撮った一枚は男前にしてくれた。
骨壺に使用してもらうベトナムの小銭入れ(地中に埋める)
骨董品屋のオヤジは150年前と言っていたが色つやもよく気にいった一品
このところ孫からもらった誕生日お祝いの一品以外はお祝いはない。
普段通りの一日になると思いますが・・・もしかしたら
横浜山手に住んでいる次男と4歳になる孫が誕生日お祝いと関係なく
遊びに来る予定になっている。持ってくるならば
響 又は白州・シングルモルトスッコチ・ウイスキーでも持って来れば
遠慮なく飲むが家内は酒はいらない!と言っている。
惚れた女も今はいないので自宅でのんびり録画した映画でもみるか。
『杉原千畝 スギハラチウネ』には、アメリカの日系2世部隊がドイツのダッハウ強制収容所の生存者を救う場面がある。これは生存者が後に書き残している実際にあったエピソードだ。敵性外国人として強制収容所に入れられた日系人2世たちで編成された部隊は、合衆国への強い忠誠心を示すために、熾烈な戦いに身を投じ、アメリカ軍の中で最も多くの死傷者を出しながら、最も多くの戦功をあげた。日系人兵士がユダヤ人少年を救い出す短いが印象的な場面には、監督の強い思いが込められている。グラック監督の背景を知ることで、映画の興味深さも、感動も倍増するはずだ。(貼り付け終)
下記の写真と解説文はFacebookから映画「杉原千畝 スギハラチュウネ」
より貼付けしました。
【杉原千畝 豆知識】
千畝がソ連から下された宣告「ペルソナ・ノン・グラータ」とは?
「ペルソナ・ノン・グラータ」とは外交用語の一つで、ラテン語の直訳で「好ましからざる人物」の意から転じ、「歓迎されざる人物」という意味で使用される。
千畝は満洲国外交部を辞任後の1937年、在モスクワ日本大使館赴任予定だったが、ソ連側から「ペルソナ・ノン・グラータ」とされ入国を拒否された。日本政府は国際慣例上先例なきことと抗議するも実らず、千畝は「ペルソナ・ノン・グラータ」に指定された日本で初めての外交官となった。
北満鉄道譲渡交渉で展開した千畝のインテリジェンス活動は、ソ連側の情報をどのようなルートで入手していたかが分からないほど巧みであり、ソ連側にとって不気味な存在として強く警戒された結果だったと推測される。
【杉原千畝 豆知識】
1939年にドイツとソ連によって分割されたポーランドを逃れたペシュをはじめとするポーランド軍のインテリジェンス・オフィサーたちは日本の諜報活動において大きな役割を果たした。
彼らに対して千畝は、日本の公用旅券を密かに提供した。また日本の外交ルートを通じてロンドンのポーランド亡命政府に情報を届けることにも協力した。
「ペシュ」は千畝に協力していた実在のポーランド軍人、ダシュキェヴィチ中尉が用いていた偽名
【杉原千畝 豆知識】
千畝がつかんだ情報、「独ソ開戦」について。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄したドイツがソ連に侵攻した。当時、駐ドイツ日本大使も駐ソ連日本大使も、当のスターリンですら独ソ開戦などはありえないと考えていた。
しかし千畝は、事前に独ソ開戦の情報を時期まで正確につかみ、日本にも伝えていたのだ。
だが、この情報が活かされることはなかった。
【杉原千畝 豆知識】
千畝にヴィザ発行を求めた避難民の多くを占めていた「ユダヤ人」とは?
ユダヤ人とは、主にユダヤ教の信者、あるいはユダヤ教の信者である親をもつ者によって構成される民族集団。特定の国に住んでいるのではなく、それぞれが帰属する国の国籍をもっている。
リトアニアの日本領事館に押し寄せたのは主としてポーランドのユダヤ人。第二次世界大戦前、ヨーロッパで最も多くのユダヤ系住民が暮らしていた国がポーランドであり、その数は300万~400万人だったといわれている。
(貼り付け終)
手嶋龍一氏はポーランドがソ連・ドイツに分割されている時に
ポーランドの元情報機関からの貴重なドイツ情報を
リトアニア領事館に渡し日本に打電したが大本営は握りつぶしてしまった。
そのために日本の敗戦をまねく結果になった大東亜戦争につき進む。
小野寺武官の日本の敗戦後の屈辱的な占領政策「ヤルタ会談」情報は
大本営は握りつぶして米英の敵、ソ連に仲介を頼むつもりでいたのでいたので
完全にだまされた。
↓ 小野寺武官について
右はじはQカフェー工場長です日本を出るときは片道切符で言ってくれ、と頼んだ。
彼も北京で骨を埋める覚悟はできている。ヒット商品を次から次と出しているので
中国のパン経営者から今の給料の3倍だすから来てくれ、と言われたそうですが、
総経理との幇(グワンシ)?きっぱりと断った。なかなかできる事ではない。
赤字で囲っているのは各製造現場に取り付けられたビデオです。
商品の流れをはじめ各部署の仕事ぶりが直ぐに解る。
下丸子工場でも取得できない、とれないISOを数年前に取得している。
ISO 9001顧客に品質のよいモノやサービスを提供すること、
つまり「顧客満足」を目的としている。
ISO 22000 消費者に安全な商品を消費者に届けることを目的とする。
北京に来た時には小雪交じりの寒い時でしたが有酸素運動のつもりで
ホテルから離れている三環路を渡った朝陽区市場視察をしてきました。
赤の囲いが入り口で観光客には縁がない現地人だけの市場です。
家内は寒いので行きたくないと言うので一人で出かける。
市場独特の匂いが嫌で行かないのが本音です。
北京の冬は寒波もきついですが雲南省あたりの果物も多く豊富になんでもある。
10年前には考えられないほど豊かになっているのは、さすがは首都北京
中国国内の東西南北には春夏秋冬どの地区でもある。
小雪まじりの北京で雲南省の温暖な地区タイ族
西双版納(しいさんばんな)の皮付き
マカデアンナッツを買ってきました。赤丸が買った商品です。
自宅で撮った写真です。殻は堅く歯で噛んでも割れない堅さです。
ハワイでお土産でも買えますがナッツ類では値段が一番高い商品でしょう。
かれこれ7~8年前になりますが考察団で訪れたタイ族の多い
雲南省・西双版納(しいさんばんな)で買った思い出があります。