迷車列伝、ここ数回は残念なことに活躍できなかったF1エンジンを紹介して行こうと思う・・・今回取り上げるのは・・・

目指せ!東洋一のカーマニア

<スバル・モトーリモデルニ1235>

いきなりこれの登場ですが・・・

スバルが元アルファロメオのエンジニア、カルロ・キティ博士率いる「モトーリ・モデルニ」社との共同開発で作られたエンジン。カルロ・キティ博士は水平対向エンジンの権威で水平対向エンジンについて語りだしたら止まらないほどの水平対向フリークで「最高の水平対向エンジンを作ろう」とスバルに働きかけ、1988年に完成した。

水平対向エンジンと言えば、フェラーリ312Tシリーズや、ブラバム・アルファロメオで勝利を記録するエンジンで、重心の低さやエンジン振動の低さで定評のあるエンジンである。


<幻のミナルディ・スバル>
当初は、モトーリ・モデルニと関係が深かったミナルディF1チームでテスト走行を行うも、ミナルディ・スバルが実現することは無かった。

それはミナルディは既に90年モデル(M190)のデザインをコスワースDFRエンジン搭載を前提に済ませており(ちなみに、このときのデザイナーは当時28歳のアルド・コスタ、彼は後にフェラーリでチーフデザイナーについた後、メルセデスAMGのエンジニアリングディレクターに就いている)急な対応が出来なかったとされているが、これには裏もある。それについては後述することとする。

$東洋一のカーマニア”改”
ミナルディは中の下F1チームとしての認識ではあるが
アットホームな雰囲気が古きよきF1チームの印象を醸し出している
ちなみにミナルディのケータリングはF1チームの中で最高といわれている


しかし、皮肉なことに90年前半のミナルディの活躍は目を見張るもので、開幕戦のアメリカGPでは旧型モデルに乗るピエルルイジ・マルティニが予選時に最後の数分でセナに抜かれるまで暫定ポールポジション(これはピレリの予選用「Qタイヤ」がフェニックスの路面とマッチしており、アレジ、チェザリスも好タイムを記録していたことからも裏付けられる)を守っていたほどのパフォーマンスを誇っていた。


<水平対向ならではのデメリット>
もちろん、理由はそれだけではない。ミナルディだってパワーのあるエンジンはのどから手が出るほど欲しいのは言うまでもない。だが水平対向エンジンは低重心、低振動などのメリットだけではなく、デメリットもあった。

$東洋一のカーマニア”改”
ご覧の通りシャシーとエンジンを取り付ける面積が、V型エンジンと比べると小さく、エンジンも車体構造物とする近代F1の理論からは不利と判断されてしまう。

それは、水平対向エンジンの致命的ともいえるところであり、エンジン自身は低重心で低いが、水平であるゆえにエンジンが横に広く、排気管の取り回しが難しい他、エンジンを補強構造物として使うF1の設計思想に対にして、横方向にしか面積が無い水平対向はボディの補強にむいていないなど、現代のF1に使用するにはあまり適していなかったというのが本音で、ミナルディ側としてもハイパワーなエンジンは無論欲しかったが、このエンジンはそれに見合っていないと考えたのである。


<スバル・コローニ誕生・・・だが>
エンジンを載せるパートナーを探していたスバルはイタリアの弱小チーム「コローニ」の株を買い取り「スバル・コローニ」として90年の開幕戦にクルマを持ち込むことができたが、アメリカGPの予備予選(本予選に出るために行われた下位チームだけで行われた予選)で予備予選トップが1分30秒台で走っている中、スバル・コローニは5分15秒(シフト・リンケージの破損で満足に走ることが出来なかった)という惨憺たる有様で、予備予選後に小さなサーキットでテストを行い、不具合の洗い出しを行うことからも、このチームには時間が無かったことが伺われる。

$東洋一のカーマニア”改”
スバルコローニC3B
実は昨年モデルC3を元にスバルエンジンを搭載できるように改造した代物と言われている。


結局、朝に行われる予備予選を通過することなく、シーズン途中でスバルはコローニと袂を分かち撤退、コローニはそれまで搭載していたコスワースDFRエンジンに変えて出走する事となった。


スバルエンジン最後の出走、ドライバーはベルトラン・ガショー
スバルコローニの走行が写されている数少ない映像



<実は食わせ物エンジン?>
ちなみに、ポニーキャニオンから出ているF1の音声を録音したCD「Ferrali!Ferrali!」に数秒ではあるもののスバル・モトーリモデルニのエンジン始動から走り出す所までが収録されている。

そのときにも感じたのだが、このスバルのフラット12、とにかく火が入るまでに時間がかかり、圧搾空気を使ったスターターを長時間かけないと始動できない気難しさが、このエンジンの素性を物語るかもしれない。


この動画の一番最初で長いクランキングをしているエンジンこそ、スバルMM1235である。

しかし、エンジンに火が入ったときのエンジン音の勇ましさは惚れ惚れするのだが、これがコースに入ってエンジン音を効くと、それほどいい音はしないので肩透かしを食らう。F1ジャーナリストが当時「カルロ・キティ博士は音痴になってしまった」と揶揄するほどで「アイドリング番長」の異名を持つ食わせ物エンジンの様相を呈している。

これは諸説あるものの結論からいえば、カルロ・キティにの情熱に振り回され、おりしのバブルが後押ししたこともあり実現したともいえる。だが、この水平対向12気筒60バルブ(1気等辺り5バルブという恐ろしく複雑な)エンジンは、カルロ・キティ博士晩年のあだ花として、記憶に残ることとなる。


<幻はバブルと共に・・・>
実はこのエンジン、F1だけではなくスーパースポーツカーのエンジンとして、童夢とワコールのジョイントで「ジオット・キャスピタ」の名前で登場する予定だったが、このエンジンの戦績が体たらくだったために採用を見送られ、当時F1で使われていたジャッドエンジンにスイッチして開発する事となるが、バブル崩壊により頓挫、開発をされることなくお蔵入りになってしまった悲運のクルマとなってしまった。

$東洋一のカーマニア”改”
ジオット・キャスピタ
シャシーデザインに童夢、車体デザインにワコールとジオットが関わり、この車のエンジンにスバル1235が搭載される予定だったが、度重なる予備予選敗退でレースに出ることのなく撤退するエンジンを搭載するのは憚られ、搭載計画は立ち消えになった。


このスバル・モトーリモデルニエンジン、以前は御殿場にあるレーシング・パレスに展示してあったのだが、現在レーシング・パレスが閉鎖され、現在、存在するエンジンはスバル本社と個人の方が所有していると聞く。実機を見るチャンスは非常に低いが、スバルファンのイベントでお目見えすることもあるといわれている。