第三回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第三回・外山恒一賞 受賞者発表

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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。



   第三回外山恒一賞

   レイシストをしばき隊

  授賞理由

 先見の明が数年後に自慢の種となるよう、外山賞はなるべく“まだ光の当たってない”個人やグループに授けることを心がけており、第一回は、すでにそこそこ有名になりつつあったがそれはどちらかと云えば“悪名高い”のニュアンスであった(たぶん今もそう)金友隆幸氏を、第二回は、間違いなく優秀な前衛演劇人なので将来メジャーになるのは確実だが現時点ではまったく無名であろう亀井純太郎氏を選んだが、「レイシストをしばき隊」はわざわざ私が褒め称えるまでもなくすでに活動家界隈では話題の的であり、しかもその多くは賞賛であり、その意味では賞の趣旨から多少ズレる。
 が、この1年間で外山が最も「おおっ!!」と思った運動が「レイシストをしばき隊」のそれであることは事実なので、素直に授賞することにした。念のために云っておくが、「イヤガラセ」ではない。
 知らない人のために解説すると、「レイシストをしばき隊」は、この数年猛威をふるってきた「在特会」(在日特権を許さない市民の会)への対抗運動である。
 在特会は、まあいわば「ネット右翼」が街頭に顕在化したような運動で、詳しくは安田浩一『ネットと愛国』(講談社・2012年)を読めば分かる。同書にも登場してコメントを述べてもいるとおり、外山は在特会を全面的に否定してはおらず、むしろ従来型の硬直した左翼運動がなすスベもなく在特会に一方的に押されまくっている状況を痛快にすら感じてきた。主張の内容は要するにネット右翼レベルなので論外だが、その傍若無人な運動スタイル(とくに2011年の、まあ実際にはとっても栄誉ある“外山賞活動家”である金友隆幸氏の主導によると思われるが、8月6日(!)広島市内での「核武装推進デモ」は素晴らしかった)は、左右ともに市民派ぶってお行儀のいい昨今の風潮からはみ出す(「市民の会」を名乗ってるように在特会自身はそのことに無自覚だろうが)画期的なものだと見ていたし、今もそこは基本的に変わらない。主張がどんなにバカ丸出しだろうが、ネットの内側だけで完結しているネット右翼より街頭に出た在特会の方が一億倍エラいことも間違いない。しょせん学歴エリートで「衣食足りて礼節を知」った結果キレイゴトを云ってるにすぎない左翼どもが、「知性と教養」の共同体から排除された云わば知的下層階級の運動である在特会を、せめて最低限の同情を寄せる素振りさえなく頭ごなしに否定することにもムカついている。
 ……などの話はともかく。
 在特会の猛威に対し、左翼の側もこれまで何ら対抗の試みをおこなってこなかったわけではない。サベツの問題に敏感な左翼であるから、むしろ在特会の存在が目立ち始めた初期の段階から、それなりに“苦闘”してきたとは云える。外山の宿敵・矢部史郎なども、在特会のデモを妨害して2009年4月に逮捕されているように、フリーター労組界隈に結集した新左翼系ノンセクトの諸君が主に反-在特会のアクションをこれまで担ってきた。が、それらはことごとく、勢いに乗る在特会に対してはまったく無力で、完膚なきまでに粉砕されてきた、負け続けてきたと云っていい。原因は明らかで、第一に彼ら高学歴のインテリ左翼どもは、たかが「差別的言動に抗議する」ぐらいのことでムズカシイことを云い過ぎる。相手は無知無学の在特会なのに、ムズカシイこと云ってどうする。文系の院生(のしかも一部)にしか通用しない云い回しで在特会に抗議したって、沿道の通行人にさえ理解されまい。第二に、インテリ左翼どもの反-在特会アクションは全体的にお行儀が良すぎた(現在は宿敵とはいえかつては同志だっただけのことはあって矢部はそこは違うから逮捕されたりもしたんだが)。メインの戦術は在特会のデモへのプラカードなどによる沿道からの「無言の抗議」で、傍若無人がウリの在特会は当然これに盛んに罵声を浴びせるのだが、インテリ左翼どもは「挑発に乗らない」とか自己正当化してただ罵声に耐えることを選んだ。ハタから見ていれば在特会側の圧勝である。すごいぞ在特会、もっとやれ。
 で、この向かうところ敵ナシの状態だった在特会に、この数ヶ月、ようやく初めて対等以上に対抗しえているのが、(少なくとも主観的には)左翼でもなんでもない「レイシストをしばき隊」で、現在ではむしろ在特会の側が「しばき隊」の猛威に震え上がっている様子である。
 「しばき隊」の活動に触発されて、しかしもうちょっと穏健にやりたい人たちによって「ブラカード隊」も結成された。在特会のデモに対する沿道からのプラカードによる抗議、という基本スタイルはこれまでの左翼どものそれと同じだが、「無言の抗議」などではなくむしろデモ隊に盛んに罵声を浴びせたりもする“お行儀の悪い”ところは違うし、何より“限界集落・左翼ムラ”の村民たちだけの参加ではないから人数的にも在特会側を圧倒している。「プラカード隊」は「しばき隊」とは別個の運動だが、「しばき隊」の登場がなければこの「プラカード隊」の登場もなかっただろう。
 「レイシストをしばき隊」は、昨夏以来の首相官邸前での反原発行動を主導してきた首都圏反原発連合の中心人物の1人でもある野間易通氏の提起により結成された。活動内容は以下のとおり。
 在特会はこのところ、東京なら新大久保、大阪なら鶴橋など、在日朝鮮人が多く暮らすエリアをことさらに選んで排外主義を叫ぶデモを繰り返している(それ自体は在特会の活動趣旨からすれば当然ではある)のだが、「しばき隊」はデモそのものについては基本的に放置し、好きにやらせる。ただ、デモ終了後、参加者たちが「散歩」と称して集団でコリアン・タウンを徘徊し、在日が経営する商店などにイヤがらせをおこなう等の例が多々あるので、それは許さん、というのが「しばき隊」の立場である。具体的には、街路のあちこちに隊員が分散して待機・パトロールし、そういう場面があれば逆に集団で取り囲んで説教する、というもの。
 これまでのインテリ左翼どもの、沿道から“遠吠え”的に無言でプラカードを掲げるだけの無意味な“抗議”行動と違って、在特会に結集する具体的な個人にじかにアプローチしようというその直接性、ストレートさがまず良い。しかも、「しばき隊」は場合によっては相手をそのまま飲みに誘い、居酒屋などで粘り強く議論したりしている。ますます偉い。「ウヨクとは話もしたくない」という思い上がったゴーマニズム左翼どもは頭を垂れろ。
 サイト(http://shitback.tumblr.com/)を見れば分かるとおり、イメージ戦略も素晴らしい。実際には完全に非暴力路線で、上記のとおり在特会メンバーと対話をさえ試みているのに、対外的なイメージとしては暴力的で物騒な雰囲気をわざとこれ見よがしに醸し出している。むろんたぶん、そっちの方がカッコいいからである。街頭で接触した在特会メンバーを飲みに誘うことを、あえて「拉致」とか云ってみたりする。要するにセンスが良く、既存の左翼どもに決定的に欠けているのがこの“センス”である。
 蛇足ながら、この「しばき隊」をやたらと誹謗中傷しているのが(もちろん在特会側の人々も誹謗中傷しているがそれは当然として)その既成左翼どもだという構図がまた笑える。反原発運動に針谷大輔氏などの右翼が参加することを拒み、右派の参加も許容しようという反原発主流派への妨害さえ繰り返してきた、界隈ではおなじみのアノ面々が今度は「しばき隊」を否定するのに必死なのだ。ほんとに笑える。
 「しばき隊」界隈では、とくにこうした硬直左翼どもの「在特会も『しばき隊』もサベツ主義者だ」的な“どっちもどっち論”が盛んに槍玉にあげられており(客観的には在特会と硬直左翼どもが“どっちもどっち”であることが炙り出される展開になっているわけだが)、それと同列視されると心外なのだが、外山はむろん「しばき隊」側により強いシンパシーを感じつつ、在特会にも多少は肯定的である。要は街頭に、つまり議会政治などというクダラナイものの枠外に“政治”を現出させている点において、在特会も「しばき隊」も、どっちもとっても偉いのである。
 「しばき隊」の諸君には外山賞など迷惑この上なかろうが、外山を感動させるほど素晴らしい活動を展開してしまったのだから、仕方がないと諦めるしかない。