人生初四国 | 我々少数派

人生初四国

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 長かった東京滞在(といっても今回はいつもより短めなんだけど。6/22に東京入りして7/5に東京を発ったので、滞在はちょうど2週間。いつもは結局3週間ぐらい、だららだら居続けてしまう)を終え、往路と同じく車で福岡に向かっている。
 今回の東京での日々をざっと振り返っておこう。

 6/22の夜は阿佐ヶ谷ロフトでイベント。これが今回の主要な上京目的であり、またこのイベントについてはすでに報告済み。
 6/23は夕方近くまで、前夜のイベント出演者である大阪からの千坂恭二氏、福岡からの藤村修氏と高円寺の喫茶店でとりとめもなく雑談を続けた上で解散。夜、今おこなわれている参院選に立候補しているフリーウェイクラブの和合秀典氏と会う。告示前夜である。和合氏については過去にhttp://ameblo.jp/toyamakoichi/entry-10327341508.htmlで言及したこともあるが、おそらくそれを知ってのことだろう、和合氏の支援者からコンタクトがあったので、ちょうど上京しているし、急遽お会いすることになった次第。とても常識的でまっとうな人だった。健闘を祈る。
 6/24の夜は、私より年上なのに今なお早大ノンセクト首領の花咲政之輔氏らと飲んだ。新雑誌『デルクイ』への寄稿依頼が主な用件だったのだが、“右翼雑誌”を標榜しているため「ちょっと考えさせてくれ」とのこと。
 6/25は例によって私のイチオシ劇団「どくんご」の埼玉浦和公演へ。素人の乱セピアの常連さんで、一番気の合うK氏を車で同伴して。
 6/26も引き続き「どくんご」。この日はマイミク諸君が確認できた範囲で5、6名来てくれていた。さらに、「どくんご」のスタッフで昨年はツアーにも音響担当として同行していたP氏の、「職場の元同僚」だという小暮修三氏と数年ぶりに再会し、終演後の打ち上げでかなりディープに交流。小暮氏は上記・花咲氏とたしか同期ぐらいの早大ノンセクト活動家で、初めて会ったのは95年か96年に当時の「だめ連」の拠点だった「高円寺ラスタ庵」で。2度目に会ったのはやはり花咲氏らの早大時代の仲間で、99年に福岡に仕事の関係で住んでいて「だめ連・福岡」後期の交流圏構成員で現在は東京のフリーター労組の中心メンバーの一人である鈴木剛氏の、かなり破天荒な野外結婚式が2000年だったか東京で開催された時に私も出席して、小暮氏がその司会者だったというややこしい事情で。3度目に会ったのは2005年末だったと思うが、やはり東京・フリーター労組界隈の「反戦と抵抗のフェスタ」で、宿敵・矢部史郎派の山口素明らによる“ファシスト帰れ”の罵声で壇上から引きずり下ろされた私を、「なあなあの集会に対立を持ち込むのは素晴らしいことだ」と激励してくれたのが、やはり当時はフリーター労組で活動していた小暮氏だった。なのでこの日がたぶん4度目の交流だったが、相変わらず面白い人だった。
 6/27もまたまた引き続き「どくんご」。この日もマイミク数名の他、セピアの店長・のらねろ氏や、なんと東京在住の私の実弟も観にきてくれた。
 6/28は、昼過ぎまで「どくんご」のバラシを手伝ったものの、2時ごろ、あまりの蒸し暑さに「大休止」が宣言され、つまり2時間ほど休憩して続きは4時過ぎからということで、そうなると終了がたぶん夜7時とかになりそうなので、そのまま抜けることに。夜、かつての「全国高校生会議」の中心的なメンバーの一人だったI氏とたぶん9年ぶりに会い、飲む。当時の“同志”たちとの運動経験のすり合わせのようなことも新雑誌『デルクイ』ではおこなうつもりで、この日の対話も一応録音しておいたが、実際に掲載するかどうかは未定。
 6/29、30はいつものように素人の乱セピア界隈で飲んだくれる。
 7/1の夜は、この数年、ほぼ上京のたびごとに会っている中学時代の同級生3人と、明け方まで飲んだ。
 7/2の夜は、中川文人氏の呼びかけで飲み会。主に出版関係のメンバーだが、元中核派、元戦旗派、なんと元革マル派、元京大黒ヘル、元法大黒ヘル(中川氏ではなくて)、ファシスト(私)、ダダイスト(スタッフS嬢)、ソ連共産党(中川氏)というとんでもない顔ぶれ。かえすがえすもとんでもない。
 7/3はまたしても「劇団どくんご」の埼玉宮代公演へ。今年のツアーではすでに8回目の観劇である。さすがにこんな遠方まで出張って来てくれた首都圏のマイミクはいなかったようだ。
 7/4は夕方までバラシ。テントが建っていたのがヌカルミっぽい土地だわ、トラックは微妙に敷地外までしか入れないわ、むちゃくちゃ暑いわで、「どくんご」らしからぬハードなバラシに。終了後、「どくんご」の面々はそのまま北へ向かって旅立ち、私とS嬢は高円寺へということで、次に観るのはたぶん秋。東京最終日の夜はやはり素人の乱・セピアで飲んだくれて終わる。
 そして今日というかすでに昨日となった7/5、午後1時ごろ東京を出て、途中、ケナゲに私の活動を支え続けてくれているスタッフS嬢の慰労も兼ねて、富士山周辺でも観光して帰るか、と思っていたら、どうにも天候が悪く、それはまたの機会にして、では代わりに急遽、私もS嬢もまだ一度も足を踏み入れたことがなく、実在が疑われつつあった「四国」でも経由してみるか、と。

 そんなわけで、夜8時頃、徳島入り。繁華街でラーメンを食べただけだが、徳島の街は意外と(失礼)栄えていることを学んだ上で、香川県高松市に移動。今夜は同市内でネットカフェ難民となって、明日は高知や愛媛をほとんど通過する程度にだろうがザッと観光して、そういえば思い出した現在は四国在住であるはずの旧友と明日の早いうちに連絡がつけば明日の夜まで四国にとどまり、連絡がつかなければ明日じゅうに福岡に戻る予定。
 福岡に戻ったら、『デルクイ』のテープ起こしなど、やることは大量にある。