【史上最悪のネットストーカー F】9年前の被害届 | 我々少数派

【史上最悪のネットストーカー F】9年前の被害届

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 今度こそ“絶対悪”Fを追い込むために、過去の資料をいろいろ整理していたら、2001年3月に私が福岡南警察署に提出するために作成し、しかし受理さえしてもらえなかった2通の「被害届」が出てきた。
 警察がこの時にちゃんと動いていれば、ここまで被害は拡大しなかったのだ。
 こともあろうにバカ警察は、この時点ですでにかなり悪質な名誉毀損事件であるこの件についてはまったく対処せず、約1年後、一億歩譲ってもこの千分の一、万分の一のあまりにも些細な一件(福岡県弁護士会幹部のフェミ弁護士を自分のサイトで堂々と批判した)について私を逮捕し、私はその日から丸2年間、殺される(投獄される)ことになったのだ。
 福岡バカ地裁は、この私の「名誉毀損」事件について懲役1年の実刑判決を出したが、私のケース程度で懲役1年なら、Fなど八つ裂き刑どころか一族郎党皆殺しぐらいでないと釣り合わないだろう。ま、それは革命政権樹立後に自分でやるとして、とりあえずは現行の法定刑最大の懲役3年の刑でも食らってもらうかな。
 当時も今も、私は常に冷静であるから、9年前に提出しようとしたこの「被害届」でも、はっきりとFの行為であるという直接証拠のあるものと、そうでないものとは分けて記述してあり、だから2通あるわけだ。
 以下、(それなりの活動家である、もしくはあった人物のそれを別として)実名部分等を伏せて、全文公開。なお文中「誣告罪」とは「虚偽告訴罪」のことである。

          ※          ※          ※

   被害届1

 F(福岡市東区箱崎……に1999年12月時点で居住。現在の居住地は不明)を、私に対する名誉棄損罪、および誣告罪で刑事告訴することを希望し、被害実態について届け出るものです。

 まず、事件の背景について簡単に申し述べます。
 私は97年5月から、A子(福岡市中央区……に住民登録。実際の居住地は不明)といわゆる男女の交際をしておりました。
 99年4月末に、私はA子より一方的に別れを告げられ、これに納得できず、A子に未練のあった私は、7月末までの約3ケ月間、交際を再開しようと頻繁に電話やメール、あるいは時折の訪問などで説得を続けました。
 しかしA子は、その頃すでにFとの交際を始めていた様子で、結局、私の希望はかなえられませんでした。
 A子がFと交際を始めたきっかけは、私からの頻繁な電話などによる精神的苦痛から、自宅を出て、複数の知人宅を転々とする過程で、その中の一人であったFと親しくなったものであるようです。
 私は、上記のとおり、99年7月末の段階で、A子との交際再開を断念し、以後、私の方から積極的にA子に連絡をとることをやめました。
 以上が、事件の背景です。

 これは私の推測にすぎませんが、A子が私からの頻繁な接触から逃れるためのいわば「避難先」であることがA子との交際のきっかけとなったFは、私のA子への積極的接触がなくなったことで、A子が自分を必要としなくなるのではないかとの不安に駆られたものだと思われます。
 そこでFは、99年8月頃から、「外山の標的が自分に向け変えられた」ことを装い、私からの架空の「ストーカー行為」の被害を周囲に吹聴しはじめました。それは例えば、「電話で脅迫された」、「自転車にいたずらをされた」、「バイクで尾行された」、「自宅のチャイムを鳴らして逃げて行った」などといった内容でした。
 もちろん私はそのような行為に及んだことは断じてなく、すべてはFの虚偽であります。
 しかし、Fの作り話を信用する者も、交際相手であるA子をはじめとして一定数存在し、私の名誉感情は著しく傷つけられました。
 なお、Fがそのような虚偽の吹聴をしていたことを知る人物は、私の関知している範囲では、
 ・原健一(福岡市早良区……)  (註.当時「メンズリブ福岡」代表)
 ・伊藤謙児(福岡市中央区…… ただし最近転居した模様)  (註.当時「だめ連福岡」代表)
 ・R(住居不明 自宅電話番号×××-××××)  (註.当時「だめ連福岡」メンバー)
 ・原田直子(A子の代理人)  (註.私の「名誉毀損」事件での自称「被害者」の同僚のフェミ弁護士)
 などですが、前述のとおりこれはあくまでも「私の関知している範囲」であって、実際にはさらに多数の者に前述のような私への名誉棄損行為をおこなったに違いないことは想像に難くありません。
 また、現在、A子は私を相手どって民事訴訟を起こしておりますが、その訴状の中でA子が私から受けた「不法行為」として、このFへの架空の「ストーカー行為」も含まれており、Fが事実無根の虚偽に基づいた私への誹謗中傷を直接に吹聴した範囲は限られているかもしれませんが、民事裁判の提訴理由の重要な要素となっている点など、「社会的影響力」の面で私の受けた被害は甚大なものと云えます。
 よって私は、Fを名誉棄損罪で刑事告訴することを望みます。

 またFは、この架空の「ストーカー行為」に関して、2000年3月19日、中央警察署に被害届を提出しており、これは誣告罪にあたる可能性が濃厚と思われますので、名誉棄損罪と同時に、誣告罪の容疑でもFを刑事告訴することを望みます。

           2001年3月16日   外山恒一

          ※          ※          ※

   被害届2

 ネット上に存在する複数のホームページの掲示板で、私に対する誹謗中傷の書き込みが相次いでおり、これを犯人不明のまま、私に対する名誉棄損の容疑で刑事告訴することを望み、被害状況を届け出るものです。
 私のホームページ「革命家・外山恒一」内の掲示板に、2000年4月頃、「MT」なるハンドルネームで、私がかつて交際していた女性が、私との間にできた子供を中絶し、また交際末期の痴話喧嘩が高じて私に殴られ負傷をしたことなど(それらは事実ではありますが)をセンセーショナルに書き立て、私を口汚く中傷する内容でありました。
 「MT」とはこれより少し前に、別のホームページ「貧民日報」の掲示板において、私との間で激しい論争をした人物です。しかしこの直後、また「MT」名義で、上記の私への誹謗中傷の書き込みをおこなったのは自分ではない、という主旨の書き込みがありました。すると「MT」名義の最初の書き込みをした人物は、自分が他人になりすまそうとしていたことを暗に認め、以後は「2000年安保見つめ隊」なるハンドルネームで、頻繁に私への誹謗中傷の書き込みを繰り返すようになりました。
 初期の書き込みは、文章の調子は口汚く激しいものとはいえ、内容的には、私が過去に交際相手を深く傷つけたことを非難攻撃するものでしたが、時を経るにつれ、私とその元交際相手とのセックスを想像たくましく描写するなど、卑猥極まりないものへと変質していきました。ですからこれらの書き込みは、私への名誉棄損だけにとどまらず、私の元交際相手への名誉棄損でもあるといえます。
 私のホームページの管理者は私自身ではなく、私の当時の交際相手であった千葉在住の女性・Cで、私はCに対し、書き込みの削除を求めましたが、Cは、どのような書き込みであれ削除はせず、むしろそのような書き込みをする人物への非難の書き込みが他の参加者から続出することが想像されるため、それによってこの人物への猛省を促そうという方針を私に対して提示し、私も渋々ながらこれに同意しました。
 結局、別の事情からこの私のホームページ内の掲示板そのものが、2000年5月頃、廃止されました。
 すると、今度は私のホームページからリンクが張られていた複数の友人・知人のホームページの掲示板に、同様の書き込みが頻発するようになりました。これらの書き込みは、それぞれのホームページの管理者の判断で、発見されるたびに即削除されたので、その詳細な記録は残っておりませんが、おおよそのことは、それら管理者である以下の私の友人たちが証言してくれるはずです。
 ・堤繁千代(カメラマン 「ミルオンガク」管理人)
 ・千艘(学生 「らくだ公式ホームページ」管理人)
 ・野口英一郎(鹿児島市議 「en-TAKU」管理人)
 また、上記・堤繁千代によれば、書き込みは「葦原骸吉」なるハンドルネームでおこなわれていたそうですが、これは私の友人でもあり論敵でもある東京在住のフリーライター・Sのペンネームおよびハンドルネームです。Sは自身の主宰するホームページ上で、よく私への批判をおこなっていましたが、私がS本人に電話をして確かめたところ、上記のような書き込みは決しておこなっていないとのことでした。Sは、私とは思想的に対立しておりますが、悪質な嘘をつくような人間ではなく、前述の「MT」の経緯なども勘案し、私はやはりこれら一連の書き込みは、その直前まで私のホームページの掲示板で同様の書き込みを繰り返していた「2000年安保見つめ隊」なる人物が、Sになりすましたものと推測します。
 また同じ時期、私とは何の関係もないホームページの掲示板に、「ただの女」なるハンドルネームでの同様の書き込みがあるのを前記・Cが発見し、直ちにその管理者に削除を要請するメールを出し、まもなく削除されましたが、管理者からの返信メールによると、投稿は匿名サーバからなされており、
 spica.anonymizer.com[216.34.244.103]
 からの発信である痕跡が残っていたそうです。この「anonymizer」は、有名ないわゆる「プロクシ」で、ある程度コンピュータの扱いに慣れた人物なら、ここを経由して書き込みなどのアクセスをおこない、そもそもの発信元を突き止められないように工作することができるのだそうです。
 私やCが気づかなかっただけなのかもしれませんが、2000年6月以降は、このような書き込みはなく、トラブルは収束したかに思えました。
 しかし2001年3月4日、友人から電話で、前述した友人のホームページ「貧民日報」の掲示板に変な書き込みをしているらしいね、と云われ、その時は何のことを云われているのか分からず、早速「貧民日報」の掲示板を閲覧してみると、そこには「全裸主義者 外山恒一」なるハンドルネームで、複数の書き込みがおこなわれておりました。この時点で閲覧できる書き込みは2件で、また、その内容が悪質であったためかすでに管理者によって削除された書き込みが他に2件あることも分かりました。また、それらを本当に私による書き込みであると誤解した複数の参加者から、私を非難する内容の書き込みもおこなわれていました。早速、管理者・Wに連絡し、一連の書き込みをしたのは私ではないことを釈明し、またすでに削除された書き込みがどのような内容のものであったかを問いました。Wによると、すでに削除された書き込みはやはり、私の元交際相手のプライバシーを口汚く暴くような内容のものであったとのことでした。また、この掲示板をよく閲覧していた東京在住の友人・山本夜羽に問い合わせたところ、同様の書き込みは2000年秋頃にも何度かあったという話でした。
 私は、今度こそ本当に頭に来て、これまでに書いたような一連の悪質な書き込みの犯人を突き止めてやろうと、Wに、「全裸主義者 外山恒一」の書き込みは私によるものではないことを含め、事実関係をしばらく公にせず、この犯人をしばらくいわば「泳がせ」ておいてほしいと依頼しました。しかし2001年2月10日21時17分のものを最後に、現在のところ、この「全裸主義者 外山恒一」による新たな書き込みはありません。
 また、現在確認できる2件の書き込みの発信元は、それぞれ、
 atik.anonymizer.com[216.34.244.19]
 proxy5.anonymizer.com[216.34.244.19]
 となっております。
 しかし、コンピュータに関する知識に乏しい私は、これ以上、私個人の力で、犯人を突き止める策を講じるのは困難であると判断し、悪質極まりない名誉棄損事件として、刑事告訴する決意を固めるに至りました。

 なお、犯人の心当たりですが、私が最も疑っているのは、一連の書き込みで私と共に侮辱されていた私の元交際相手であるA子(住民登録は福岡市中央区…… 実際の居住地は不明)が、私と別れた後に交際を始めたF(1999年12月時点で福岡市東区箱崎……に居住。現在の居住地は不明)です。
 Fは、私がA子と別れた1999年4月末の前後からA子と交際しはじめました。私はA子に未練があり、同年7月末までA子に対し、交際の再開を求め続けましたが、A子とFにはこの時期の私の行動がいわゆる「ストーカー行為」と感じられたようです。
 1999年7月28日から翌29日にかけて、Fは私に電話をかけてきましたが、私が留守だったため、留守番電話に6件のメッセージを残しました。それらは、私の「ストーカー行為」を非難する内容でしたが、その口調は、とても正常な精神状態のものとは思えませんでした。そこでこの同じ7月29日、私の方から、Fに電話をかけ、冷静に話し合おうと提案しましたが、Fは「うるさい、キチガイ」などと叫んでこれを一方的に切りました。私は腹を立て、その後、数時間にわたって何十回も一方的に電話を切られながらも、「話し合いに応じろ」と電話をかけ続けましたが、次第にバカバカしくなってきて、Fを相手にするのをやめました。
 するとその翌日あたりから、私の自宅に頻繁な無言電話がかかってくるようになりました。それは、周期的に、頻繁さの度合いを高めたり低めたりを繰り返しましたが、約1年にわたって続きました。
 また、Fは、当時、大野城市にあった私の実家や、現在××市に住む私の妹の家にまで、脅迫じみた内容の電話をかけてきました。
 さらに、別件で被害届を提出したように、Fは、私を冤罪で告発しようと、A子に対してではなくFに対しての私の「ストーカー行為」の話をデッチ上げ、周囲に吹聴したり、警察に虚偽の被害届を提出したりしました。
 99年12月6日に、南署の私服刑事2名が私の自宅を訪ねてきて、私が若い女性を次々と自宅に連れ込んでは麻薬をやらせている、との情報が入ったのだが、そのように疑われる根拠になるようなことに心当たりはないかと尋ねられました。もちろんそんな事実はなく、唯一思い当たるのは、99年7月8日、私の自宅をA子が訪れた際、意見が食い違うとすぐにヒステリックになるA子に、私が当時処方されていた精神安定剤の服用を求めたことです。A子はこの時、私がA子に怪しげなクスリを飲ませて自由を奪おうと画策しているかに疑った様子でした。ですから、南署に入ったという悪質な情報の提供者は、A子か、A子に近しい人物であるに違いありません。
 99年12月末には、Fは、私を中傷する内容の手紙を私に送りつけました。
 そして翌2000年4月頃から始まる、今回、名誉棄損容疑での刑事告訴を希望するネット上での一連の悪質な書き込みです。  (註.被害届にはプリントアウトしたものを添付。要は今もネット上に大量に存在する例のアレ)
 証拠のないことなので、これはあくまでも私の推測にすぎないのですが、やはり私が最も犯人として疑っているのは、上記のような経緯から、Fということになります。しかし、それは私の疑心暗鬼にすぎないのかもしれません。いずれにせよ、犯人不明のまま、2000年4月頃から始まり、現在も継続している、同一人物によるものと思われる一連の悪質な書き込みについて、名誉棄損容疑での立件・捜査を強く希望する次第です。

           2001年3月16日   外山恒一