小熊英二『1968』 | 我々少数派

小熊英二『1968』

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 戦後の左翼運動史は、80年代半ばあたりでワンサイクルを終えている。
 最初の10年間は、革命を指導する「唯一の前衛党」であるはずだった日本共産党がろくでもないことを繰り返して、だんだん信用を失っていく過程だが、その結果、50年代半ばから、これに代わる「新左翼」の運動が急速に発展・展開していく。60年安保闘争の主役だった「ブント」や、70年前後の学生運動「全共闘」ももちろんこの「新左翼」運動のそれぞれの時期の形である。
 80年前後には、ポストモダン思想やラジカルな「サブカルチャー」が流行するが、これもまた「新左翼」運動のその時期の形であることは、例えば宮台真司や大塚英志だって指摘しているし、当時の「若者たちの神々」の代表格が坂本龍一や糸井重里といった全共闘体験者であることからも分かる。
 これら「新左翼」の諸運動に共通するメンタリティは「ニヒリズムとラディカリズム」であるとスガ氏の本にもあるが、80年代半ばにこれと入れ替わるように台頭してきたのは、素朴ないわゆる「社民」的なムードである。ピースボートや反管理教育運動や反原発運動、あるいは尾崎豊やブルーハーツに象徴されるそれら80年代後半の展開については、拙著『青いムーブメント』で詳述したとおりだ。
 小熊英二という近年ブイブイいわしている批評家も、この社民的な“青いムーブメント”の中で自己形成した一人である(ピースボートや反管理教育運動と連動する形で登場し、尾崎豊なども出演していた反核ロック・コンサートの運営主体・ACFのスタッフだったそうだ)。
 80年代半ば以降の左派系の運動は、ほとんどの場合、社民的なノリの枠内で盛り上がったり盛り下がったりしており、その枠を超えて「ニヒリズムとラディカリズム」を自らのものとするまでに突出するのは、私を含めて数えるほどしかいない、例外中の例外的である。松本哉の運動も、いわば「過激な社民」であるにすぎない。
 であるから、小熊英二が全共闘を論じた新刊『1968』がろくなものではないことは、読まなくても分かる。社民の枠からついにはみ出すことのできなかった、私からすれば“醜悪な非転向分子”に、全共闘をピークとする「ニヒリズムとラディカリズム」の運動が理解できるはずがないのである。
 で、実際、私はこの本をまだ読んでない。そもそも「くだらない」ことが分かってる上に、ぶ厚くて、したがって当然、高いのである。それぞれ約1000ページの上下巻で、定価も各7000円(+税)。まさしく鬼である。ひどい。
 しかし私みたいな、いー加減な人間と違って、スガ氏やその界隈の「ちゃんとした」、つまり運動から身を引くでもなく、志を持続しているつもりでいつのまにか共産党や社民党とまるで変わらない戦後民主主義に先祖がえりしているわけでもない、ごくごく少数の例外的な良質の全共闘世代の論客たちは早くも律儀に目をとおしているようで、当然、みなさん非難ゴウゴウなのである。「メタボ本」なんてフレーズが、この小熊本を指す悪口として流通しはじめてもいるようである。
 気持ちは分かる。
 が、私は彼らのそういう反応にも同調できない。
 というのも、目次を見ると感心せざるをえないのである。

          ※          ※          ※

◆1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景――目次



序 章

第I部

第1章 時代的・世代的背景(上)―政治と教育における背景と「文化革命」の神話
高度成長と議会制民主主義への不信/都市の変化と人口状況/教育界の変貌/生徒たちのメンタリティ/ベトナム戦争の影響/「加害者意識」と貧しさ/「政治と文化の革命」という神話/「神話」誕生の背景

第2章 時代的・世代的背景(下)―高度成長への戸惑いと「現代的不幸」
幼少期との文化ギャップと「量の力」/少年期文化の影響/性にたいする感覚/大学での経験/教授からみた学生像/空虚感と「現代的不幸」/「空虚さ」から「政治運動」へ/言葉にならない「現代的不幸」へのもがき

第3章 セクト(上)―その源流から六〇年安保闘争後の分裂まで
敗戦と「全学連」の誕生/共産党の穏健化とブントの結成/ブントと六〇年安保闘争/安保闘争の盛りあがりと「敗北」/ブントの分裂/学生運動の低迷と内ゲバの開始/「中核派」と「革マル派」の誕生

第4章 セクト(下)―活動家の心理と各派の「スタイル」
ベストセラーになった活動家の日記/活動家たちの日常生活/活動家の出身階層と家庭環境/社会的開眼とマルクス主義理解/活動参加の契機と運動への見解/運動への迷いと内ゲバへの見解/無関心派の学生たち/セクトの「スタイル」/セクト加入へのパターン/「カッコよさ」と「ファッション」/セクトの自治会支配と権益/セクトと叛乱の関係/反戦青年委員会


第II部

第5章 慶大闘争
闘争の自然発生と高度成長のひずみ/バリケード内の「直接民主主義」と「日吉コンミューン」/闘争の実情と終焉

第6章 早大闘争
理科系拡充のための学費値上げ/「学園祭前夜」の雰囲気と「産学協同反対」/「教育工場」にたいする「人間性回復の闘い」/闘争長期化と一般学生の乖離/闘争の泥沼化と内部分裂/共闘会議の孤立と闘争の終焉

第7章 横浜国大闘争・中大闘争
「大学自主管理」としての横浜国大闘争/「生き甲斐」を求めての運動/自主管理の現実と限界/六五年末の「中大コミューン」/セクトの独走に終わった明大闘争/勝利におわった中大闘争/大学闘争の「一般法則」


第III部

第8章 「激動の七ヵ月」――羽田・佐世保・三里塚・王子
第一次羽田闘争/批判一色だったマスコミ/「10・8ショック」/少数派だった「10・8ショック」組/「完敗」だった第二次羽田闘争/転機となった佐世保闘争/戦争の記憶との共鳴/学生と市民の対話/三里塚闘争の開始/暴動と化した王子野戦病院反対闘争/触発とすれちがいと

第9章 日大闘争
恐怖政治下のマンモス営利大学/日大闘争の爆発/日大全共闘の結成と「主体性」/全学ストと世論の支持/バリケード「解放区」の実情/九月の闘争高揚/支持の減少とセクトの侵食/「大衆団交」の実現/苦境におちいった日大全共闘/東大全共闘との共闘の内実/日大を追われた全共闘/闘争終焉と変わらなかった日大

第10章 東大闘争(上)
東大闘争の特徴/医学部闘争の性格/医学部不当処分事件の発生/安田講堂占拠と機動隊導入/「大学の自治」観の世代間相違/全学的に火がついた東大闘争/噴火した大学院生の不満とミニメディアの氾濫/安田講堂再占拠と闘争の質的転換/東大全共闘の結成/全共闘と一般学生の乖離/「民主化闘争」「学内闘争」としての初期東大闘争/東大全共闘の特徴/「八・一〇告示」と全学封鎖闘争の開始/研究室封鎖と「自己否定」/学部学生に波及した「自己否定」/全学ストの成立と大河内の辞任/「進歩的文化人」への反感/「闘争の高揚」の実態/「言葉がみつからない」/民青の「行動隊」導入/共産党の方針転換と全学封鎖の挫折

第11章 東大闘争(下)
文部省の対策と加藤新執行部の登場/「七項目」の限界と全共闘の「政治」嫌悪/「民主主義」批判の台頭/学内世論の動向とゲバルトの横行/共鳴と反発の双方をひきおこした「自己否定」/第三勢力の台頭/「東大・日大闘争勝利全国総決起集会」の内幕/ノンセクトの台頭とリゴリズムへの傾斜/闘争の荒廃と内ゲバの激化/逃された「勝利」の最後の機会/セクトの思惑と大学院生のメンタリティ/代表団交渉と最後の内ゲバ合戦/安田講堂攻防戦前夜の舞台裏/攻防戦の開始と終焉/運動の後退と丸山眞男批判/闘争のあと



◆1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産――目次

第12章 高校闘争
高校生運動の出現/高校生活動家の実例/蓄積されていた不満と叛乱の芽/「卒業式叛乱」の頻発/六九年秋以前の高校闘争/最大の叛乱となった青山高校闘争/高校闘争の連続発火/高校闘争の顛末

第13章 六八年から六九年へ――新宿事件・各地全共闘・街頭闘争の連敗
三派全学連の分裂とセクト間抗争の激化/六八年の「国際反戦デー」/「新宿騒乱」事件/世論の離反を招いた新宿事件/ブームとなった全共闘運動/自己目的化したバリケード封鎖/各地の「全共闘運動」の理想と現実/六九年の全共闘運動の結末/「全国全共闘」の結成/完敗に終わった「沖縄デー」/打ちつづく街頭闘争の敗退/「ゲバ棒とヘルメット」の時代の終わり

第IV部

第14章 一九七〇年のパラダイム転換
「戦後民主主義」という言葉/マルクス主義者とブントの「民主主義」批判/マルクス主義者の「近代主義」「市民主義」批判/六〇年安保後の『民主主義の神話』/ベ平連周辺の「戦後民主主義」再検討/新左翼と全共闘の「戦後民主主義」批判/破壊された「わだつみ像」/アジアとマイノリティへの注目/「ナンセンス・ドジカル」から入管法闘争へ/「民族的“原罪”」としての差別と戦争責任/華青闘の新左翼批判と七〇年のパラダイム転換/転換の背景と問題点/武装闘争論の台頭/内ゲバの激化

第15章 ベ平連
ベ平連の結成/穏健とみられていた初期ベ平連/ベ平連の転換点/若者の流入と各地ベ平連の結成/ベ平連を躍進させた脱走兵援助/脱走兵援助の舞台裏/佐世保での活動と佐世保ベ平連の誕生/「新しい型のコミュニケーションを作り出す運動」/「六月行動」での市民団体共闘/年長者と若者の対立とセクトの介入/ベ平連の「急進化」/年長者と若者との緊張と協調/花を抱えたデモ/全共闘運動との関係/脱走兵援助の実情とスパイ/新宿西口フォーク・ゲリラ/衝突現場に突き進んだ花束デモ/不定型の運動/六九年六月一五日の成功/ベ平連の拡大と「黒幕探し」/「ハンパク」での糾弾騒動/「オールド・ベ平連」批判/高揚から停滞へ/一つの季節の終わり/分散化していくベ平連/『冷え物』論争/「一粒の麦もし死なずば」

第16章 連合赤軍
赤軍派の誕生/内ゲバ初の死者と赤軍派結成/壮大な計画とその失敗/ハイジャック成功と解体していく赤軍派/重信房子の出国と森恒夫の赤軍派トップ就任/ヒューマニストだった坂口弘と永田洋子/革命左派の結成/革命左派の群像と武装闘争/永田の最高指導者就任/強盗を行なった赤軍派/革命左派の交番襲撃/赤軍派との接触と革命左派の処刑未遂/追いつめられる革命左派/山に集められた革命左派/煽りあう赤軍派と革命左派/二人の処刑実行/「連合赤軍」結成と事件の背景/永田による遠山批判/リンチの始まりとその理由/失なわれた最後の機会/大槻と金子のリンチ死/森と永田の結婚と逮捕/「ミニ・ディズニーランド」での銃撃戦/警察の報道操作と「覗き見趣味」の報道/過剰反応を示した若者たち/連合赤軍事件の虚像と実像

第17章 リブと「私」
女性活動家たちの境遇と不満/「性解放」と「性的搾取」/リブの誕生前夜/リブ・グループの主張/「言葉がみつからない」苦悩/田中美津とその経歴/田中のリブ活動の開始/武装闘争論への傾斜/田中の転換/「革命の大義」からの脱却/「自分の分身」としての連合赤軍解釈/連合赤軍解釈から消費社会の肯定へ

結論
「あの時代」の叛乱とは何だったのか/民主教育の下地とアイデンティティ・クライシス/なぜ「政治」だったのか/「政治運動」としての評価/「自我の世代」の自己確認運動/「彼ら」が批判されるべき点/国際比較/高度成長期の運動/高度成長に適合した運動形態/大衆消費社会への「二段階転向」/「一九七〇年パラダイム」の限界/それぞれの「一九六八年」  彼らの「失敗」から学ぶもの

          ※          ※          ※

 要するに、一連の出来事を時系列で詳細に追ってくれた本が、他にないじゃないか。
 それぞれの闘争については、「これを読めばだいたいのところは分かる」という本もある(しかし例えば「プレ全共闘」として重要だとされてはいる慶応大や早稲田の闘争について、今も入手が容易な本はたぶんない)。しかしそれらの全体を総覧できるような本は、他にないのである。
 本来なら、全共闘世代がとっくにやっておくべき仕事である。例えば私だって、まだ途中までだが、自分たちの時代の運動の全体像について、『青いムーブメント』でそれをやろうとしている。
 スガ氏の一連の仕事は素晴らしいが、それを理解するためにまず運動史に関する知識が必要で、それを得られる本がない。
 小熊本がダメだというのはまったくそのとおりだと思うが、だったらちゃんとしたものを、全共闘世代の著者にまず書いてもらいたい。

 というわけで、スガ氏の全共闘論である『革命的な、あまりに革命的な』をテキストとした「夏期講習」、初日をやってみてどうも参加者に必要な予備知識がないことに困り、昨日は一日、立花隆の『中核vs革マル』上巻の読書会でつぶした。新左翼運動史の入門としては、結局いまだにこれにまさるものがない。しかも、あくまで相対評価でそうであるだけで、(そもそもテーマが新左翼運動史ではなく内ゲバなんだから)まったく不十分である。
 ほんと、誰かにもっとちゃんとしたものを書いてほしい。