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 そういえば矢吹駆シリーズの最新刊(『吸血鬼の精神分析』というタイトルでの雑誌連載はもうとっくの昔に終わっていて、毎回登場する実在の思想家・哲学者をモデルにした重要サブキャラは今回ラカンらしい)ってまだ単行本化されてないのかなーと思って調べてみたら、まあそれはまだまだ先の話になりそうだとのことだったんだけれども、雑誌連載の形ではいつのまにかその次のやつ(『煉獄の時』というタイトルで、登場するのはサルトルらしい)まで発表済であることを知り、さらに驚いたことにはあの『国家民営化論』以来の本格的な(ミステリ小説分野以外の)長編評論『例外社会』ってのが今年に入って出ていることに今ごろ気づいた。

 笠井潔さんが新刊『例外社会』 豊かさ失った現代考察

 『国家民営化論』は非常に面白かったしむろんそれなりに影響されもしたけれども、私は『テロルの現象学』から『ユートピアの冒険』までの時期の笠井思想を、笠井自身がそれを放棄して以降も護持して、いわば初期笠井潔原理主義者として2003年のファシズム転向までを過ごし、だから90年代以降の笠井言説については、機会あるごとに一応律儀に熟読しつつも「なんかヘンな方向に行ってるなあ。面白いんだけど」とずっと感じていた。そしてその「ヘン」さは、(その後知って強く影響を受け始めることになる、例えばだめ連の交流会みたいな場にそれこそ「一兵卒」として頻繁に参加してきた90年代半ば以降のスガ秀実と違って)笠井は革命を論じながらもその現場からは撤退し、つまり80年代の「青いムーブメント」の存在にも90年代の「まったり革命(仮称・要はだめ連に象徴されるムーブメント)」の存在にも気づかなかったために時代認識が狂ってしまっていることに由来すると判断していた(東浩紀を私たち70年前後生まれの代表的論客であるかに見なすトンチンカンなど)。
 だから今回の『例外社会』刊行についても、「おっ」とは思ったが、同時に「いよいよ本格的にがっかりさせられるのではないか」との不安も感じた。
 4200円か高いなあと思いつつ、急いで買うか一応頭の片隅に置いたまま後回しにするかどうかの参考までに、すでに読んだ人たちの言及に目をとおしてみるか……。
 すると!

 『例外社会』(笠井潔)を読む(1)

 驚いた。
 「21世紀の社会は分裂し、人間を「群れ」として管理する権力が露わになるというのが笠井の厳しい見方だ」として、こんな記述が引用されたりしている。

          ※          ※          ※

 第1次大戦以降、われわれの社会にとって必然的な例外状態は、国家が社会化した20世紀的な例外国家(社会の隅々にまで生権力を展開する国家)から、社会の国家化としての21世紀的な例外社会(国家の社会領域からの撤退に応じ、生権力を自生化する社会)に変貌した。「ゆたかな社会」の崩壊以降、社会領域から撤退した国家は、人口を生と死に分割する人種主義的な例外国家を模倣しはじめる。同時に社会それ自体が、監視カメラの事例からも窺われるように、例外状態を構造化するようになる。

 戦争それ自体が、グローバルな規模でネットワーク化された。冷戦後のアメリカ一極体制に例外状態を突き付けた9・11は、グローバルな規模での内戦状態を現出させた。世界内戦として戦われる21世紀の戦争は、主権国家による合法的な戦争という前時代の戦争観を完全に過去のものとする。

          ※          ※          ※

 まんま引用ではないのだろうが、引用者によればつまり「かつてのように国と国の軍隊がどこかの決められた戦場でぶつかるという光景ではない。社会のなかにグローバルなレベルで突然戦場が出現するのだ。そして戦争を担うのは正規軍とは限らず、政治理念で結びついたゲリラやパルチザン、さらには民間の請負業者だったりもする」という認識も表明されているという。
 いやビックリした。
 私自身がもともと熱烈な笠井主義者であって、なんというか路上の長渕小憎たちがどんどんギターの腕前を上達させていきながらしかし随所にいかにも長渕的な手クセを残してしまうように(例えがヘンか)、私がものを考える際にもそんな「手癖」のようなものとして笠井色はずっと残っているのに違いないし、そもそも同じこの世界に生きているのであってそういう関係(「初期笠井潔主義」の“元教祖”と“元信者”)の人間が世界を見る見方はどうしても似てくるのは当然だし、しかもその際に手かがりにしている先行する文献もどうも重なっているようだし(例えば笠井はアガンベンを、私はそんな難しいもん読めないのでアガンベンをふまえた日本の論者の文章を参照していたり)、むしろこういうことにならない方がおかしいのかもしれないけれども。

 とにかく、「急いで買って読まなきゃ」という結論である。