絶対に裁判員に選ばれないために | 我々少数派

絶対に裁判員に選ばれないために

 日々報道等に接して、思うところを書き記すという、ブログ的にもっとも真っ当なことをいずれココのメインにしていくつもりではあるのだが、革命家養成塾・黒色クートベの効率的な運営スタイルがまだ確立していない現時点では時間的・精神的に余裕がなく、ちょっと難しい。
 ま、いずれそのうちということで。

 今日は、今まで某誌のための原稿を書いていて、書き終わって中途半端に時間が余ったので、ちょっと書いておく。

 裁判員制度である。
 「来年から始まる裁判員制度で、裁判員候補者に選ばれた人への通知書が29日から届き始めた」とのことだ。いよいよ始まろうとしているらしい。
 私はこの新制度に大反対である。私は民主主義に反対するファシストなのだから当然だ。そこらへんの奴らに一票を与えることにさえ反対なのに、まして確実に特定の個人の人生を左右する重大で決定的な判断に、そこらへんの奴らを参加させてはならない。
 専門家であるはずの裁判官でさえ信用ならないのに(私はこのことを声を大にして云う資格のある人間だ)、素人の判断などますます信用ならない。近年の愚かしい「厳罰化」の風潮に洗脳された、ろくでもない衆愚どもに判決を左右されてたまるか。
 自民党と共産党の違いも分からないような奴らに選挙権を与えてはならないように、犯罪者の人権こそがあらゆる人権の中で最も尊重されなければならないという人権論の初歩の初歩さえ理解できていない奴らに、判決を左右する権利など与えてはならない。
 といったような話はいずれまた詳しく書くとして、今日ぜひとも書いておきたいのは、衆愚の中にも身の程を知っている比較的マシな部類の愚民の方々もかなり多いようで、「裁判員になんか選ばれたくない」という声が頻々と上がっているとのこと。
 まったく正しい。諸君に判決を左右される立場におかれることを想像してみれば、諸君が辞退したいと考えることはまったく正しいのだ。

 ところで私は絶対に裁判員に選ばれることがない。
 なぜなら、そもそも裁判員になれないことがあらかじめ宣告されているいくつかの人種の中に、「禁錮以上の刑に処せられた人」というのがあるためだ。
 この規定自体が、このろくでもない制度を作ったろくでもない連中の人権感覚の欠如を露呈させているわけだが、まあこんなろくでもない制度には、たとえ私が正しい判断能力を持った、判決を左右するどころか判決を一人で全部決めることさえ許される「選ばれた少数者」であるとはいえ、協力する気はまったくないので、結果としてはありがたいことだ。禁錮より偉い懲役に2回も処せられた私は、つまり絶対に裁判員には選ばれないのである。
 是が非でも裁判員なんかにはなりたくない、比較的マシな部類の愚劣な大衆のみなさん。
 分かりますね。
 急に70才以上になったり、重い病気やケガをするわけにもいくまい。裁判員を辞退するためだけにどこかの学籍を取得するのもバカバカしい。被告や被害者の親族にもできればなりたくないものだ。国会議員や裁判官や検察官や弁護士や知事や市区町村長や、まして警察官など目指しては革命の暁には地獄に落ちる。法律学の教授にもそう簡単にはなれそうもない。自衛官になら是非なってほしいようにも思うが、裁判員になりたくないというのが志望動機では、国の守りが心配にもなるのでやっぱりやめてほしい。
 となると、残された選択肢は一つしかないではないか。

 諸君、この偉大な私を見習いたまえ。