勝手に仮説 | フィギュアスケート妄想・疾走者

フィギュアスケート妄想・疾走者

どこかの民族では、数の概念は「1、2、たくさん」しかなかったとかいう話を聞いたことがある。

一人でも、二人でも、大勢と組んでも、高橋大輔はかっこいい。

ちょっと、あるブログでコメントのやり取りをした。
髙橋大輔が「I'm kissing you」という曲で演じたことについて、羽生選手がらみで異を唱えていたのだ。
「僕にとって中庭くんの曲」と挙げたことに対して、「それって何?羽生選手とは二年戦ってきた・・・」と中庭選手のことを脇に置いて、ただ羽生選手との関係だけで話を進めているから切れた。
おい、誰かの行動を批評するなら、その誰かの発言の意味をきちんと調べてからにしてくれっ。
言葉を無視して気になった行動だけ批評しないでほしい。中庭くんはあの曲を演技しているんだ。
それを踏まえて文章を書いてくれ。

で、そのブログではあの曲を選んだタイミングについて色々言ってたけど、「それについて」そこで反論する気は起きなかった。

スケーターが曲を選ぶ理由は「滑りたいから」だ。
怪我をして、出たいと願っていた世界選手権、出たら二度と滑れないかもと言われた。
滑ることができない可能性に直面したとき「やりたい曲はやれるうちにやっておかなきゃ」と思ったのではないかと。
私は初期ガンを患って、五年生存率95%と言われた。
たった5%の悪い可能性に過ぎなかったけれど、それでも「やりたいことの後回しはやめよう」と思った。

ごく若い頃からずっと惹かれていた曲を「もう後回しにするのはやめよう」と思っただけではないか。
と、シンプルに考えていたんだけど、なんかややこしく考えたい人のようで、この部分は書かなかった。

リサイクル

ん?あれ?ちょっと待って?
大輔さん、ずっと惹かれていた曲が「あの編曲で」演じられるのを見てきたわけか、1シーズン。
あれ?

私は、デズリーの「I'm kissing you」もデュカプリオの映画「ロミオとジュリエット」も知らなかった。
あの曲は羽生選手の「ロミオとジュリエット」で初めて聞いた。
あの音は、まるでロミオに安らぎを与えようとするジュリエットの気持ちのようで、それを受けたロミオはゆるやかに氷の上を泳いでいるようだった。
そして曲のテンポが変わり、安らぎの時間は消え、それでもロミオは愛を全身で受け止める。そんな感じを受けた。

で、後日、髙橋大輔が「I'm kissing you」を演じるというので、youtubeの動画で歌をチェックした。
デュカプリオが出てくる動画も見た。演技を見る前に予習した。
あの音は、伴奏は、確かに献身的な愛。
ただ、その伴奏に乗るデズリーのボーカルは、その愛を捧げる苦しさを歌っていた。
二重構造なのか、この歌は、と驚いた。

心からの愛を表す音と、それを苦しみと感じつつ貫く女の孤独と強さ。
そしてこの歌が表したいのは後者だった。

羽生選手の「ロミオとジュリエット」は、それを換骨奪胎していた。愛を表す音と、その愛に包まれ想いを返す若者の姿に変わった。

当時のフィギュアスケートシングルはボーカル入りの曲は駄目、というルールだった。
だから、ボーカルを抜いたら曲がどのように変化するのか、振付師やコーチは自然にチェックしていたのだろうけれど。
曲のテーマが変わるほどの変化を、むしろ利用して使うとは、阿部奈々美先生、剛腕だ。

それを1シーズン、髙橋大輔は見ていた。
そして翌シーズン、ショートプログラムの振付を阿部奈々美先生に依頼した。

アート

で、ここからは私の勝手な仮説。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

阿部先生に振付を頼んだのはつまり、そういう表現をしてみたかった、ということか?と考えてしまった。
曲のすべての音を身体でひろって表現する、そう皆から言われていた髙橋大輔の演技。
男に合わせて意見も趣味も変える「可愛い女」のように、曲にどこまでも合わせる。
曲のすべてを表現、普通の人間が曲だけを聞いても見えないもの、それすら感じさせるスケーター。

曲の半分を切り捨て、曲のテーマを変えて、スケーターに合う形にしていくのはアプローチが逆。
しかし、その逆の形を「やってみたい、身につけてみたい」と思ったのでは、と。
自分が曲に合わせるのではなく、自分のイメージと曲のイメージに少し距離があるまま、つながっているような形の表現を、と。

そして多分、出来なかった、のかな。
2012シーズン、本当にフィギュアに時間取れなくて。リアルタイムで見ていない。
「ロックンロールメドレー」を見たのは2014年。
ソチオリンピック直前に、過去のNHK杯の選手の演技を特集でNHKが放送していて、そこで見た。
初見の印象。「これ、他の選手がやってもいいんじゃない?」
カッコいい髙橋大輔はいた、でも「髙橋大輔のカッコよさ」じゃないと思った。最後のステップ以外、髙橋大輔ならではの楽しさは感じなかった。
カッコいいんだから嫌いなわけじゃない、好きだし楽しい。ただ、髙橋大輔で「酔いたい」人間としてはちょっと残念なんである。
すごく上等なアップルタイザーを飲んでいる気分というか。
美味しいんだけどアルコールが入ってない、あーシードルが飲みたい~というか。
(あ、呑んべなのがバレますね)

シーズン途中でプログラムを変更した理由は、点が取れないから、だっけ?そのあたりは技術関係にうとい私にはよく分からない。
ただ、やっぱり曲へのアプローチ自体も、合ってなかったんだろう。
今回、この記事書くので初めて「月光」を見てみた。
(そう、まだ見てなかったの。時系列に動画を辿る旅はまだ2011シーズン。最新情報があるとついそっちに時間とられるもんで進んでない。今、アートオンアイスのアリ地獄にハマっている状態で、「思い出のマーニー」CM演技も来るし、いつ進むんだ、旅の方。)
音楽が身体から滴り落ちるような、そこまで曲と一体化した演技。

・・・これよ~、やっぱり!!


「I'm kissing you」の演技の際、髙橋大輔が羽生選手のことに触れなかったことにおかんむりの方。
当たり前だが引用・参照・参考にしたものは口にした方がいい。
しかし、羽生選手の演技は「参考に出来なかった」のだと思う。演技のアプローチ方法が違いすぎて。そのことを身体で既に知っていた。
だから口にしなかった。「あれとはまったく別物です。」なんて言ったら、余計に角が立つ。

羽生選手は、髙橋大輔に出来ないことをやっている、と思えばいいんじゃない?なんて思う。
逆に羽生選手に出来ないことを髙橋大輔はやってるんだし。それでいいのだ。

バカボンのパパ

この人は「これでいいのだ」でしたね。
(www.koredeiinoda.net)