ラスト・ショー | フィギュアスケート妄想・疾走者

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どこかの民族では、数の概念は「1、2、たくさん」しかなかったとかいう話を聞いたことがある。

一人でも、二人でも、大勢と組んでも、高橋大輔はかっこいい。

大輔ファン界隈ではスイスのアートオンアイスの話で持ち切りだった、この週末。
むろん私も、パソコンの前に噛り付いて動画を見る時間をどう作るか考えつつ、日課をこなしていた。
子どもの前でパソコンやってる姿はあまり見せられない・・・子どもも歯止めが利かなくなる。
いない隙を狙ったり、就寝時間を待ったり。なんか疲れる。
いや、その疲れを吹き飛ばすだけのものはあったからいいんだけど。
特に「ブエノスアイレスの春」。何日目の演技かは忘れたけれど。
背筋がゾクゾクして「この人を追いかけて良かったあ。この時代にこの人を知ってよかったあ」と大げさでなく思ってしまったような演技があった。

ミヤソラ、そして新プロ「Turn Off the Light」、GN「Manerater」。
(しかし、グループナンバーをGNと省略するのって前からやってたっけ?なんか今回初めてみたような気がするんだけど。)
見られない時間も気分だけ浸ろうと、携帯電話の着メロとしてNelly Furtadoのこの二曲をダウンロード。
電話とメールの着信音をこの二つにする。なんか音がなるとドキッとして落ち着かないけどね。

で、そういう状態なのに頭に時々浮かぶのが、カナダのジェレミー・テン選手がフリープログラムで演じた「ハレルヤ」。
カナダ選手権の演技を動画で見てから、頭の中に定着してしまった。それまでも好きだったけれど。
世界選手権で彼の演技がもう一度見られると思うと楽しみで。
もう一人のテン様、デニス・テン選手がその前に四大陸選手権に出るというのに、頭が世界選手権に既に向いているという。
で、何度も頭の中で繰り返すうちに分かってきた。
私がスケートアメリカの「ビートルズメドレー」を見て感じた、このプログラムで見られるかも、と思った世界は、ジェレミー・テンのこの演技の方だと。

「スケートから、人生から得た祝福を、最後に世界に投げ返す」。そんな思いを込めた演技。
・・・じゃ、なくなってたもんなあ、「ビートルズメドレー」は。
最高の場所を目指すために、その場所で立つために、力をギリギリまで放つ演技へ変わっていた。
それはそれで美しく、特にソチ五輪のあの後半の失敗したコンビネーションジャンプは、逆にあまりに髙橋大輔らしくて心に残っているけれど。
(あ、最初はラストの笑顔も印象深かったよ。しかし、あそこは放送され過ぎて記憶が上書きされすぎて、なんか逆に遠くなってしまった)
しかし、それは「最初に見たいと思ったもの」ではなかったんだ、と気が付いた。
いやいいんだけどね、それを忘れてるぐらい「素晴らしいもの」を得たんだから。
ちゃんとその世界は、別の人からこうやって見せてもらえたし。

  *  *  *  *  *

しかしこの、「ラスト・ショー」モチーフが好き、というのはなんでだろう?と過去の自分を探ってみる。
最初に思い出すのは三原順のマンガ「ラスト・ショー」。サーカスの少年の話。
そして次に好きになって「私が死んだらこの曲を葬式にかけてほしい」とまで友人に話していたのが浜田省吾の「ラスト・ショー」。(ちなみに今なら「ビートルズメドレー」がいいです。葬式の曲。)
私の青春は、この歌から程遠いものだったと思うだけど、なぜか好きだったんだよなあ。
浜省のこの歌が好きと言ってたら、浜省の大ファンと知り合って、何度も彼女とコンサートに行ったっけ。
好きな歌もいくつも出来たのになぜか彼自身のファンになることはなく、結局彼女と疎遠になったら浜省を追いかけるのは止めた。

あと、現実のラストショーというと、勤めていた会社の組合関係でSHOW-YAの武道館ラストコンサートチケットが手に入ったっけ。それもほとんど最前列に近い席。
「ファンでもないのにこんないい席ですみません。」と思いながら見たなあ。

ラスト・ショーに関係するのはこれくらい?うーん、理由が思い当たらない。単に好みだな。
「ライブ好き」つまり一期一会という気分が好きだから、その気分をより印象的に感じる状況に惹かれるということなんだろう。

でも、まあ、実際には「ラスト・ショー」がラストにならないなんてこともよくある。
前に挙げた三原順のマンガも、サーカスをやめて街から街へ移動することもなく、一つの街で普通に暮らすことを選ぼうとした少年の話。しかし、最後の公演と思って演じているうち「サーカスが好き」と気が付いた少年はサーカス団に戻った。少年にとってはラスト・ショーじゃないという。
終わったサーカス公演のポスターが風にはがされるのを、彼と親しくなった少女が見つめるのがラストシーンだった。
少女の頃に一度しか読んでいない話なので、記憶と実際が違っていたらごめんなさい。私の記憶ではそうなってるんだけどね。

そして、2014年の世界選手権がラストの筈だったジェレミー・アボット選手が「引退をやめた」のは皆様ご存知の通り。

今から思えば、2013シーズンの髙橋大輔が「最高の場所へと向かうこと」にエネルギーを振り絞ったその執着自体が、そもそもラスト・ショーを演る人間には似つかわしくないように思えてきた。
もっと上へと駆け上がろうとする姿勢は、終わりへ向かうことと結びつかない。
与えられた舞台で、丁寧に滑るジェレミー・テン選手。そして、今シーズンの町田樹選手。最初のスケートアメリカの演技を見て、私、書いていたんだよな。「彼はもう、先へは行かない」「自分の中へ、中心へ。」と('14/10/28)
町田選手は、GPファイナルを棄権することも考えた。より良い舞台に行くことより自分を整えることを一度は希望した。
つまり、外界より自分の内側の方が重要になるのかもしれない。

・・・と、言うわけで。
まだまだ髙橋大輔は、「ラスト・ショー」にはならない筈だ。
一応アートオンアイスが終わったらスケートと離れてみるつもりとは言ってたけど。
まだまだ、海外留学で語学の勉強とか、自分を整えるのではなく変化させる方へ向かっているんだから。

ちょっとサーカスをも連想するアートオンアイスの動画。
それを見ながら思うのであった。



カナダ選手権ジェレミー・テン選手のフリー。
ちなみに大輔ネタが多い文ですが、書き残したかったのはジェレミー・テン選手の方です。


あー、肝心のミヤソラのタイトル間違えてた。コメントで指摘あったので修正。