少年K | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

少年K

今日は 私の教員時代のことを書きたいと思う。

 

私は 約10年間 多感な中学生と生活をしてきた。

 

普通中学の教員は副担で学級経営の観察をすることから始まる。

だが 私は いきなりクラスを持たされて

全くわけのわからぬまま 1,2,3 1,2,3  2,3 1と 学級担任をしてきた。

息子がおなかに宿り 育児休暇 復帰するものの 息子の度重なる再発で仕事をやめた。

 

約10年間の教員人生で感じたこと

それは ドラマ金八先生のように 連帯感100%のクラスなど 簡単にできあがるわけはないということ。

 

社会人になったある卒業生からは

「あのクラスのことは 本当に思い出したくないんですよ・・・」と 言われたこともある。

うまく歯車がかみあわず 学級崩壊寸前で

毎日毎日夜もうなされて起きてしまうような そんな日々も正直あった。 

 

担任である私が 

『このクラスはいいクラスだった・・・』と振り返ったとしても それは自己満足。

中には担任である私の言動で思い切り傷つき 心を閉ざしてしまった子もたくさんいると思う。

 

ある子にとっては 私は○だし ある子にとって私は×なのだ。

 

 

なぜいきなり こんな内容をかこうと決めたのか・・・

それは どうしても ある少年のことを書きたかったからだ。

 

私にとって初めての卒業生。

中学2,3年 私のクラスだった男子生徒のことを綴ろうと思う。

 

 

 

ちょっぴり長くなるけれど よかったら おつきあい下さい。

 

 

 

 

 


 

 

 

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

Kは誰からも愛される少年だった。

 

身長は180をこえる大男。

 

三男坊の末っ子で

体に似合わず茶目っ気たっぷりの甘えん坊。

素直で飾らない人柄。

 

 

 

 

 

 

Kは サッカー部のゴールキーパー。

 

 

 

 

 

 

ゴールキーパー気質からか クラスで何かをする時などいつも  

「やろ~ぜっ!!」

と一番に声を出し みんなのモチベーションをぐいっと引きあげてくれた。

 

 

男女問わず いつも周りに仲間がいた。

 

 

何か楽しいことをしていると その中心に彼はいた。

 

 

お世辞にも勉強はできたとはいえないK。

 

 

だが彼の存在に担任の私は どれだけ救われたかしれない。

 


 

 

 

中学校といえば合唱コンクール。

 

燃えた燃えた

2年で最優秀賞を受賞していた我がクラスは連覇を狙い 毎朝どのクラスよりも早く集まり一致団結して練習に励んだ。休みも返上だった。

 

2年の時は私がかなり牽引したのだが 3年生となるとリーダーの子がしっかりと育っており、私は

 

リーダーの子達のガス抜き係。私がほとんど何も言わずとも 子ども達は頂点目指して突き進んでいた。

 

 

 

 


 

こけた。下馬評でもダントツ一位だった我がクラス。 だが本番でこけたのだ。

クラス女子はみんな大号泣。男子の涙も ちらほら。

みんな放心状態だった・・・


 


 

そして翌日

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


 

いつもの朝7時・・・

みんな よくがんばったよなぁ・・・


 

がらんとした教室をみて しみじみ


 


 

 

すると 


 

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


 


「おはようございま~す」

 

Kをはじめ 男子が5人。

静かに教室に入ってきた。


 


 


 


何?何?

もうあんた達 合唱は終わったんだよ・・・・との私に


 


 


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


 


「オレ達 そうじします!!」

普段は 遊んでばかり。

やれと言ってもやりもしない?掃除を彼らははじめたのだ。





 

 

こんな少年達は あとにも先にもK達以外出会っていない。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

Kは やんちゃだった。

たばこを吸い 何度か親も呼び出された。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

「おいおい 

 

 

 あんまり お母さんに心配かけちゃダメだよ・・・

 私みたいになっちゃうぞ!!」

 

Kの母親はガンだった。

何度か手術入院をしていた。

普通に生活はしていたが薬を手放せない生活をしていた。


 

 

 

私はある時期 本当にどうしようもなく母親に心配をかけさせていたことがある。

 

 

「あなたが そんなんだと お母さん辛くて苦しくて 胃が痛い・・・」

あまり弱音を吐かない母が 私に吐露した。

胃潰瘍かもしれないと病院に向かった母は ほぼ末期の胃ガンと診断されて帰ってきた。

 

 

私はちょうどKのクラスを持ってまもなく ひと月の看護休暇をとり その夏に母を亡くした。

 

 

 

母が生死の境目にあり そこで生きる私を多感な彼らは毎日みていた。

 

 

母がいつ逝くかわからない現実

 

そして どこを探しても母がいないどうしようもない喪失感


普段は 努めて明るく振る舞っていたが

時をみて、母の現状 そして他界した後は 母の最期や会いたくてもあえない辛さ どんなにうっとうしくても いかにかけがえのない唯一無二の存在であったかということを生徒達に伝えていた。
 

Kも母親の話をふると 大きな体を小さくつぼめて 私にいろいろなことを話してくれた。

 

 

 

 

 

教師といえども人間。

 

 

 

 

 

あまり大きな声では言えないが 生徒達との相性というものがある。

 

私とKは抜群に相性がよかった。

 

年齢は違えど 感覚が似ているところがとてもあった。

たぶん同じ世代の同性だったら いつも彼と私はつるんでいたと思う。

 

Kは 私にとてもなついていた。自分にとって大きな大きな一番大きな弟のようなK。

 

 

 

当時 まだ独身だった私は ある時自宅に戻ると

 

 

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

「さっき 大きな男の子達が4人

 

 

 『せんせ~いますか?』って来たぞ。

 いないっていうと このクッキー置いて 帰ってったぞ・・・」

 

と 父がかなり驚いた表情。

 

 

 

 

 

 

受験まっただ中の冬

 

 

 

 

 

お勉強嫌いな少年K達は 電車とバスを乗り継いで1時間。 アポなしで 我が家を訪ねてきたのだ。

 

 

 

 

Kは私の心にも敏感だった。

 

 

 

 

嬉しいこと 楽しいこと 悲しいこと 悔しいこと 

いいことも悪いことも私から感じたことを ずけずけと口にする少年。

 

ある時
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

 

「せんせー

 男できたろ!? 顔に書いてあるぞ!」


 

 

 

 

 

 

ちょぴりプライベートで浮きだつことがあったことを 15の少年に見抜かれてしまった25歳。

 

 

 

 

 

 

「結婚式 呼んでくれよな! 俺 絶対行くから!!」

 


 

いつくるかわからない そんな未来のことを よく口にしていたK。


 

 

別れの季節だ。

卒業式が終わり 3年間 わけもわからず走り続けた私のT中での3年間が終わった。

 

異動・・・

 

 

3月の末 新聞で異動先が発表された。

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

 

「せんせー W中に行くんだなぁ~

 

 

  ガンバレよっ!!

俺の高校から結構近いから遊びにいくよ!」


 


 


 


片付けの最中 朝一番に電話をくれたのは Kだった。



 

 

 

 

 

まさか これが彼と交わす最期の言葉になろうとは この時、夢にも思わなかった・・・



 


 

6月

新天地 W中の体育祭。 真っ青な晴天だった。

生徒達の活躍を脇に、係の仕事でかけずり廻っていた私。

ちょうどお昼 お弁当休憩時間に入ろうとしていた時 突然校内放送が入った。


 

「とっティー先生 とっティー先生。至急事務室まで来てください!!」


 

なんだか胸騒ぎがした。

なんだろう。こんな呼び出しなど 今まで誰にもない。慌てて事務室に飛び込むと

W中でお世話になった主任からの電話だった。

 

 

 

 

 

「落ち着いてきいてくれ・・・・

 Kが Kが死んだ・・・ 今 NHKのニュースで2日間意識不明だったKが亡くなったって・・・・」

 

 

 

仲間3人と高校からの帰宅途中、他校の生徒から恐喝にあい

 

 

唯一抵抗したKが後ろからビール瓶で頭をなぐられ意識不明に・・・そして亡くなったという。


 


 

この時のこと 私はあまり覚えていない。

とにかく ガタガタと震え なぜなぜなぜと心がカラカラに渇きだしたことくらいしか覚えていない。

 

ウソだ ウソだ 絶対にウソだ。

 

Kが死ぬわけなんかない! あんなに大きくて元気だったKがいなくなるわけない!!

 

通夜 葬式の時間が告げられた。

 

彼の姿をみるまでは 私は絶対に信じない!!

 

 

その時が来るのが本当に怖かった。認めたくなかった。ウソであってほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

通夜 葬式・・・

 

 

 

 

 

会場に入りきらないほど 本当にたくさんの高校生が集まっていた。

制服はみんなバラバラ 

卒業後 同窓会ではなく こんな形で生徒達と再会することになるとは夢にも思わなかった。

 

ウソだ・・・

 

まだ信じたくない自分

 

けれど会場に入ると 祭壇には いつもの顔で笑うKの大きな遺影。

 

 

あまりにも突然すぎる無惨な16歳の死を 私を含め誰もが受け止めることができず

 

会場は 慟哭 嗚咽・・・ 悲しみと悔しさと怒りの涙であふれていた。 

 

 

 

 

 

 

今でもはっきり覚えている。

 

彼の大好きだったSPEEDの曲が流れる中の Kとの最期の別れ・・・

 

 

 

200人を優に超える高校生の中に私はいた。

 

 

誰もが涙で顔をくしゃくしゃにし Kとの別れの列にいた。

 

 

傍らで髪をなで続ける母親。

 

 

憔悴しきった母親の姿が 本当に本当に痛々しい。

 

ほんの3ヶ月前 高校合格を喜びあい、

 

そして卒業式後 彼女と抱き合って泣いた記憶がよみがえってくる。

 

 

長い時間を経て 自分の番がきた。

 

 

 

大きな棺の中で サッカーのユニフォームを着て眠るK。

 

顔がぱんぱんに腫れており やはり普通の死でなかったことを強烈に感じさせられた。

 

「K・・・・」

 

私が そう語りかけようとした時
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

 

「K・・・

 

 

 

 あなたの大好きなとっティー先生がきてくれたよ・・・

 あなた いつもいつも家に帰ると 

 とっティー先生のこと話してくれたもんね・・・」

 

 

 

 

 

私に目もあわせず そう静かに語りかける言葉を聞き 私は初めて声をあげて泣いた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

K・・・ 痛かったね・・・

 

 

 

K・・・ 苦しかったね・・・・

辛いね・・・ 悔しいね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

許せない・・・ 許せない・・・・

なんで なんで Kが殺されなくちゃいけなかったんだ・・・

これが生まれながらにしてKに与えられた運命だったのか・・・・

 

許せない・・・・・

 

 

みんな同じ気持ちだった。

 

 

 

 

式後 学年主任と生徒指導兼サッカー部の顧問が Kとつるんでいたやんちゃな連中を集めた。

 

 

顔を真っ赤にし、遠くを睨み続ける少年達

 

「おまえ達 バカなことを考えてねぇだろうな!

 

 やった連中の学校に仕返しにいくなんてこと考えてねぇだろうな!

 そんなことしたって Kは喜ばねぇぞ!! いいか!絶対にバカなことするな!!」


彼らの肩をつかみ強く諭す上司。  唇をかみしめながら彼らにそう訴えていた。

 

 

 

私は クラスの子達を集め

 

 

 

「生きたくても生きられないKの分まで生きよう・・・」ということが精一杯だった。

 

 

 

ある生徒からきいた

 

「先生・・・私達 実は先生抜きの同窓会しちゃってたんです。

 

 5月 突然Kが集まろうぜ!って・・・

 30人以上 ほとんどみんな集まったんですよ。近くの海に・・・ みんなで花火したんです。

 Kがみんなを集めてくれたんです・・・。あれが最期になっちゃうなんて・・・

 Kだから これだけの人が集まるんですよね・・・」

 

やっぱりKだ。

 

突然の海岸同窓会は 

楽しさの中心にいたKのみんなへの最期のプレゼントだったのかもしれない。

 

 

 

 

その日から数ヶ月

 

 

 

 

のどがカラカラに渇き、突然激しい動悸に襲われる。そして涙が知れずと流れ出る。

そんな日々が続いた。

 

もしクラスにいた中で彼を失っていたら もっともっと時間が必要だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど 卒業でいったんKとの生活にピリオドを打った。

悲しいかな この距離があったからこそ 徐々にではあるが私は普通の生活を取り戻していった。


 


 

そして3年の月日が経った時

Kがこの世にもう存在しないことを認めざるをえない出来事があった。

 

 

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

 

私の結婚式・・・

卒業生の輪の中に Kの姿はどこにもなかった。

 

もしKが生きてたら

 

きっと大きな花束を抱えて 照れくさそうに

おめでとっ せんせーって言ってくれたろうな・・・

 

 

そんなことを片隅に思っていた私だった。 

 

 

 

 

 

 

 

一周忌は私用で出席できなかったのだが 彼のお墓には卒業生達と何度も足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

墓石で造られたサッカーボール。

 

 

そして墓の真ん中には しっかりとゴールを守るKの姿が掘られている。

 

ご両親・ご家族の思いが いっぱい詰まったKの墓。

 

 

 

 

先日 久しぶりにKの墓を訪ねた。

 

 

 

子どもが産まれて以来 申し訳ないが墓参りをしていない非を詫びた。

 

「しばらく顔出さないでごめんね・・・

 

 私 こどもが産まれたよ 男の子と女の子一人ずつ

 K・・・ごめんね。先生 やめちゃったよ・・・ 今 お母さんしてるよ・・・」

 

 

どこかで見ているかもしれないKにむかって 私は話しかけた。

 

 

Kは今 大好きなお母さんと一緒に墓で眠っている。

 

 

 

教室にいた時 みんなに好きな色画用紙を選んでもらい なんでその色が好きか書いてもらったことがある。

 

 

 

 

Kは緑を選んだ。

 

「ぼくが緑を選んだ理由は ぼくは自然が好きだからです。都会にいるよりも 緑がいっぱいのいなかの方がいい。 ぼくは将来バイクに乗って日本中を旅したい。そして大好きな場所をみつけて そこで暮らしたい・・・」


 


 

15年前の今日 6月14日。

16歳の彼は 突然未来を断ち切られた。

 

もし生きていたら 31歳。

 

 

 

バイクで思いっきり風を切りたかったろうな・・・

 

 

ドキドキワクワクする恋愛 したかったろうな・・・

サッカー もっともっとやりたかったろうな・・・

ワールドカップ 応援したかったろうな・・・

勉強嫌いだったけど作業は大好きだったKのことだから、自分でしっかり稼ぎだかったろうな・・・

 

 

 

 

 

K・・・

 

 

 

 

 

忘れないよ

ずっとずっと忘れないよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K・・・大好きだよ・・・

これからも ずっとみんなのことを見守っていてね・・・









長い話につきあってくださり 本当にありがとうございました。

しんみりと長すぎる内容で申し訳ありませんでしたが

Kの命 16歳で散ってしまった命について どうしても記しておきたかった・・・。

 

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どうもありがとうございました。