荷頃インターン生 | 栃尾サテライト ~復興支援員の奮闘記~

荷頃インターン生

14日 荷頃では2つのお祭りが行われました


午前中は浅間神社のお祭りです

本来は荷頃内を歩いて周るそうですが、あ雨が降ってしまったので、お寺の中で行われました。


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学生が住民のみなさんから話を聞きリサーチによると、

浅間神社祭りは、元々荷頃の川向う側の山がよく崩れるので、

それがなくなるようにという願いから行われるようになったそうです。


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夜は御霊祭りです

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荷頃ではもともと御霊祭りと盆祭りは別々で行っていたそうですが

別で祭りを開催するのが大変だということから、盆祭りと御霊祭りを一緒に行うことになったようです。


ちなみに、荷頃の盆祭りは

戦後から昭和50年代まで盆3日、うら盆2日の計5日間行われていたそうです。

昭和50年代からうら盆が1日に変更し、その後平成3年にうら盆をやめたとのこと。


地震前まで荷頃小学校で開いていましたが、御霊祭りと一緒にするようになり

地震後からお寺で開催することになったそうです。


お寺での開催となると、階段や坂道を登らなくてはいけないので、

なかなかお年寄りがふらっと行くことができなくなってしまった現状があります。


祭はそれぞれの会(育成会や婦人会)に声をかけ、その人達が来ていて、

そこに当てはまらない住民の参加はあまりない感じでした。

せっかく盛大に行っているので、もっと多くの住民が参加する形になるといいねと

学生の意見で出ました。





盆踊りでは、荷頃甚句や栃尾甚句が歌われました

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歌っていたのは80歳以上のみなさん!!

「小さい時から歌っているから、歌詞をみなくてもうたえる!」

と元気に声を出し歌っていました。


祭りの数日前から家や畑で密かに声だしの練習をしているそうです。


「昔は若い人も年寄りも歌いたい人が歌ったんだ」

「女の人は踊りながら大きな声で歌ったんだよ!!」

「踊りも今みたいに小さくなくて、大きく腰を振って踊ったもんだ」


と話をしてくれました。


「自分たちが歌えなくなると若い人たちで歌える者がないから、どうにか誰かに伝えていかないと…」

と、古くから伝わることを次の世代にも伝えていかないとと危機感も持っていました。


と言いながらも、若い人に「ばーちゃん良い声出てたねー!来年もお願いね!!」

と喜ばれ、伝承もしたいし自分たちも歌うことで元気に繋がっているなと感じました。




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祭り後はばーちゃんじーちゃんも含めみんなで打ち上げをするのが荷頃スタイルのようです。




学生たちは、祭り後にいつものようにMTGと新聞づくりをして

残りの1週間に挑みます

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