トゥルーマン・ショー(8点) | 日米映画批評 from Hollywood

トゥルーマン・ショー(8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
1998年12月1日(映画館)
主演:ジム・キャリー、エド・ハリス
監督:ピーター・ウィアー


【一口コメント】
 ストーリーの根本的な考え方が他にはない作品。「素晴らしい!」の一言!!


【感想】

 この映画を見終わって映画館を出たあとすぐに、まわりに隠しカメラがあるんじゃないかと疑った。この映画はそれほどまでに脚本のアイデアが他にはないものであり、しかも論理的にも正当なものである。


 主人公トゥルーマンはその誕生の瞬間からテレビで放映され、その人生を世界中の人が見守ってきた。非常に大きな作り物の世界の中で、与えられた人生(与えられた友人、与えられた両親、与えられた恋人、与えられた妻、すべてが与えられたもの)を過ごしてきたトゥルーマン本人だけが、そのことを知らない。世界中の人は彼の毎日の生活を、作られた世界の、至る所にある隠しカメラを通して、見ているというのに・・・。そんなある日、ふとしたことから、何か自分のまわりが変なことに気付くトゥルーマン。そしていろいろと努力して外の世界に行こうとするトゥルーマンとそれを阻止しようとするTV番組のディレクター、2人の駆け引きがまた面白い。そして最後は・・・。

 大体こんな感じのストーリーだが、皆さんはどうですか?もし自分の人生が誰かによって作られたものだとしたら・・・。毎日の通勤・通学電車の中に隠しカメラがあり、自分を撮影している。まわりにいる人も全員キャストであり、自分のことをキャスト全員が知っている。さらにそれをTVのむこうで見ている人も世界中にいる。もちろんそれを普通の人生として受け止めていれば、なんの支障もない。が、ふとしたことからそのことに気付いてしまったら、外の世界を、作り物でない世界を知りたくなるのではないだろうか。

 もしこの地球という星が誰かの作り物であり、自分のまわりの人間が実は演技をしているだけの俳優であり、親や友人、恋人でさえもそうだとしたら・・・。しかもそれを遠い宇宙のどこかで誰かが見ている、そんなことを考えさせられ、それと同時にメディアというのは非常に便利な反面、恐ろしいものだということも言っている気がした。テレビというのは生き残るために視聴率を稼がなければいけない。そのためになら何でもする、それがこのトゥルーマン・ショーをいう番組を生み出した。1人の人間の人生をもてあそんでいるのを世界中の人が見ている。それなのに、それに対して否定的な意見をする人がいない。これは今の社会なら、芸能人のワイド・ショーなどがそれに当たる。人のプライバシーを見て喜ぶ視聴者がいるからこそ、ワイド・ショーは芸能人のプライバシーを侵害していく。これがいいことなのかと言われると、絶対にいいはずがない。なのに、それをやめさせようとする人間はほとんどいない。それはほとんどの人がそれを見て楽しんでいるから。かくいう自分もそのほとんどの1人だし・・・。

 というように、この映画はメディアが生き残るために、1人の人間の人生を操っていたが、それに対して意見を唱える人がいて、主人公は自分の人生を自分で築いていこうと決心する、という一種のヒューマン・ドラマといえるかもしれない。自分の道は自分で切り開かなければ、変わらないということもさりげなく、言っているように感じた。