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育児・教育ジャーナリストおおたとしまさのブログ


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10月7日『浅野中学校・高等学校』(ダイヤモンド社)が発刊されました。
東京湾を埋め立て、京浜工業地帯をつくった浅野總一郞がつくった学校です。
本の中から著者として気に入っているところをいくつか抜粋します。

 

 

1931年に著された著書『綜合中学の実現』の中の「自分は、教育は実に人物価値の向上を以て最大要件とし、富なくも、位なくも、名なきも、若しその人の人格にして、天地に恥ぢざる良心を有せば、縦ひ其の人は智的教育に於ては中以下にありとも、教育の産児としては最高級に属するを信ずるものである」という言葉に水崎の教育観が凝縮され表現されている。

 


「昨今の教育改革議論の中では、社会に出てすぐに役立つ職業的な技能をできるだけ早い段階から教えようという方向性が見えますが、逆に中高時代はもうちょっとゆっくりじっくり普遍的な基礎基本を身につけさせたり、人との関係を大切にすることを学ばせたりするべきではないかと感じています」
既存のスキルを習得するだけなら、基礎基本などいらない。熟達者からそのスキルを教えてもらい、それを忠実に再現すればいい。しかしそれでは、そのスキルが陳腐化したとき、それ以上の応用はできなくなる。
たとえば、寿司の握り方を教えてくれる学校に通い、言われた通りにやっていれば、既存の寿司の握り方を習得することはできる。しかしそれ以上の寿司を握ることはできない。
寿司を寿司たらしめている微細な基礎基本の一つ一つを理解してこそ、そこにアレンジを加えることで新しい技を構築することが可能になる。そうやって既存のスキルを超えていくことができる。
あるいはこうも言える。既存のテレビゲームで遊ぶことは誰でもできる。しかし自分で新しいゲームを作ろうと思ったら、ゲームがどのようにして作られているのか、基礎基本から学ばなければいけない。
それが「型から入り、型を破る」ということである。
新しい価値を創造していかなければならない世の中だからこそ、基礎基本が大切になるということだ。「人材の促成栽培」ではダメなのだ。

 


しかし一方で、「海外には東大よりもランクが上の大学があるから、そこに挑戦してみよう」というだけでは、従来の学歴主義の延長線上を歩んでいることにほかならない。非常に旧態依然とした日本的価値観に基づいて海外に出て行くことは危険ですらあると私は思う。

 


『取る』ことにばかり意識を向けていても、『捨てる』勇気がなければ、新しい何かを手に入れることはできないと思うのです。欲しいものを何でも抱え込むわけにはいきません。何を捨てて、何を取るのか、正しく選択するためには、やはり幅の広い教養が必要になってくると思うのです

 

 

「得たもの」を将来活かせたときに初めて「得たもの」の存在に気づく。そのことが理解できるようになることが、思春期教育の肝心要と言っても過言ではないと私は思っている。
「自分はたしかにここで何かを得ている。それが何かはまだ分からないが、将来どこかできっと役に立つはずだ」。そんな不安と期待を抱いて学校を後にすることができたのなら、思春期教育は大成功だ。

 


「世界には食糧不足の問題があります。非常に大きな問題です。これをいちばん簡単に解決する方法は、先進国の人間が肉を食うのを減らすことです。どれくらい減らしたらいいと思う?」
「1キロ!」
「世界中の先進国の人が5回に1回肉をがまんすれば、その分のとうもろこしで、世界の食糧危機はなくなるともいわれています」
「ええーー」
「おまえらがまんできる? できるかなって気もするけど、自分のお弁当からお肉が5分の1減ったら悲しい気持ちになるでしょ。難しい問題です。効率的にお肉を生産するためにはフィードロットが有効なのですが、でもそれをやることによって世界の飢餓につながる。キミたちのお弁当にはそんな話もつまっとるわけです。そんなことを噛みしめながら、今日もお弁当を食べてください」

 


「去年の11月に、すごく強い人と戦うことになりました。前の日から怖くて何も手につかなくて……。生きて帰ってこられるかなと思うくらい。早くダウンをとられて終わらないかなと思っていました。試合当日も本当に緊張しちゃったんですけど、実際には相手のコンディションも悪かったみたいで、思ったよりも善戦できました。全3ラウンドが終了するまで戦い続けることができました」
判定では負けたが、強豪を相手に最後のゴングまで立っていることができたというのは立派だ。
「高校の試合に出るようになってから、1回だけ勝ったことがあるだけで、そのほかはほとんどたいした試合ができていなかったのですが、そのとき最後まで立っていられたことが、正直本当にうれしくて、達成感があって、ボクシングをやっていて良かったなと本気で思えました」
負けてなお、誇りを感じる。本気で何かに打ち込んだことのある人にしかできない経験だ。中高時代にそれを味わえることは貴重だ。「勝ち組負け組」なんてせこいことにとらわれないまっすぐな人生を歩んでいくことだろう。

 


「『しょせん浅野』とか『一応御三家』という言い方をする生徒はたしかに多いですね。『オレら浅野だからしょうがないよね』みたいな(笑)」(栗本さん)
「『自称進学校』とかね(笑)」(古屋さん)
変なプライドにとらわれず、自虐的に自分を笑い飛ばすことができるのも浅生の特徴なのかもしれない。

 

 

 

 

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