あえて苦言を申したい。あのパネルディスカッションは、親のエゴ企画であったと。勇気をもって壇上に上がってくれた後輩たちには本当に申し訳ないことをした。パネルディスカッションの後、複数の後輩から、「あまり自由に発言ができなかった」「どういう立ち位置で話せばいいのかわからなかった」「もっとおおたさんと直接やりとりがしたかった」と言われた。それもそのはずである。
 そもそもあのパネルディスカッションは、麻布の「オールドボーイ」である私と麻布現役生が語り合う場として設定されていた。その会話の中に、時代を経ても変わらない麻布の普遍性みたいなものがにじみ出ればいいなと考えていた。
 昔の麻布について、あるいは私自身の中学・高校生時代について、後輩から遠慮のない質問を受ける心構えをして臨んだ。「勉強はどれくらいしたのか」「若いころの○○先生はどんな感じだったか」「どんな悪さをしたのか」「カノジョはいたのか」……。できる限り、答えるつもりだった。そこは麻布生、きわどい質問が飛びだして、こちらが動揺するシーンもあるだろうと覚悟していた。そこで返す刀で現役生にもきわどい質問をしてやろうと意気込んでいた。
 しかし結局のところ、保護者が聞きたいことを、子供たちに聞くだけの会となってしまった。PTAが自分たちの安心のために、子供たちを利用した形である。PTAは、子供たちのためにあるのであって、親が子供たちを利用するのでは本末転倒だ。親子の会話は家庭でやってほしい。
 また、その後に続いた「おやじの会」でも気になることがあった。「麻布ほど自由な学校はほかにはないですよね」という自己陶酔系の幻想に何度か触れた。まるで井の中の蛙である。それほど多くの学校を見たのだろうか。恐らく思い込みである。少なくとも私の知る限りにおいても、麻布と同様かそれ以上に自由で魅力的な学校はたくさんある。
 「だって勉強しろとか言わないじゃないですか」という意見に対しては「開成も灘も桜蔭も、勉強しろなど意地でも言いません」とお伝えした。また、「髪の毛を緑に染める学校なんてないじゃないですか」という意見もあった。「それは髪を緑に染めたいと思わないからでしょう」と私はお答えした。麻布の自由をそんな表面的なものだとしてとらえているのかと愕然とした。麻布生が麻布を愛する理由は「そこじゃない」。
 パネルディスカッションで話をした後輩たちは、至極冷静に、客観的に、自分たちを俯瞰できていた。頼もしいと感じた。それに比べてむしろ保護者のほうが幼稚に見えた。夢見心地で浮き足立っているのである。そのギャップに驚いた1日だった。麻布に限ったことではないとは思うが、大人がもっと大人にならなければいけない。
 大変辛辣なことを書いていることは自覚している。ご批判もあろう。しかしこうやって痛いところを突き合い議論を深めていくのも「麻布の流儀」ということでお許しいただきたい。また、今回の会を運営したPTAの幹部メンバーの方々に深い感謝の念があることは言うまでもないのだが、右記、ちょっと言い過ぎちゃったかなとも思うので、念のため、文字にしておく。「それはそれ、これはこれ」ということで区別していただけたら幸いだ。
 さて、パネルディスカッションの最後に、「自分としては今、夢中になっていることがあり、そのために勉強が後回しになって、成績が落ちていることは自覚しているのに、『勉強しろ』とうるさい親にどう対処すればいいのか」という質問があった。その場ではありきたりな回答しかできなかったように思うので、この場を借りて補足したい。
 その状況で今すぐ成績を上げようとしても無理だ。かといって親を黙らせることも無理だ。麻布生に限らず、どこの家庭にでもある葛藤だろう。であれば、その状況への子供側の正しい対応として、「そういう状況に耐える耐性を身につける訓練だと思うこと」を提案したい。
 人生にはどうしようもない局面がたびたびやってくる。目の上のたんこぶやら喉に刺さった魚の骨みたいなものがまとわりついてくる。そのような状況において、他人に何を言われようと、自分のすべきことやりたいことに集中できる能力があるかないかが、人生の自由度を左右すると私は思う。その訓練だと思ってほしい。
 しかし心配してくれている親を無視したり、ぞんざいに扱ったりしていいとうことではない。親の気持ちをときどき受け止め、ときどきのらりくらりと受け流しながら、うまくやり抜けてほしい。それができれば、社会に出ても、のらりくらりと我が道を行くことができるはずだ。それこそ江原素六譲りの処世術である。
 質問をしてくれたあの彼に、このメッセージが届くことを願う。さらに、自分の不安を自分で処理できない大人たちにも、同じメッセージを届けたい。まず大人がぶれない軸をもとう。


※麻布学園PTA会報No.43に寄稿した文章を転載しています。同PTA会報には麻布での講演の全文も掲載されています。