オレ様のイイ文

オレ様のイイ文

すっかりトラ毛のネコになってしまったオレ様が、世間にもう一度噛み付いてみる。

【本日の一言】 歳の所為か、すっかりキバの抜け落ちたオオカミ、毒のなくなったサソリとなっているので、もう一度『オレ様』な自分を取り戻すべくBlogタイトル・ジャンルを変更しました。
炎上上等で過激に行きます。…つーか単純に飽きてきたのでシゲキが欲しいだけだったり。

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いつかこのような時が来るとは思っていましたが、いざとなると怖いものです。

かつて経験しているとはいえ、短い時間で済むとはいえ、

前後を老人に挟まれて、手術台に座り、目に光を当てられ、

器具で目蓋をガッと固定され、成分不明の麻酔薬を目に垂らされ、

レーザーメスをビビッと当てられ、メスでちょっちょっと角膜を剥がされ、

にょろっと人工レンズを載せられるのは、

怖い。ちょっと怖い。

まぁ、それでも片目で生活する不自由さとか不便さとかは覚えていたので、
仕事はできないと諦めていたし、遠くまで飯食いに行くのが難しいのも、

文章を読むのにも疲弊することは知っていたので雑誌も持参しなかった。

Amazon PrimeとWifi完備サマサマである。

 

今回大きく変わったのは「3焦点レンズ」が新たに導入されたことだった。

遠・近2焦点と比較して、遠・「中」・近と中間距離に対するピントが合うようになったらしいが、

そもそも「中距離」の定義が曖昧であり、水泳だと200mくらいだぞ、陸上だと800mくらいか、

など、「中距離」に関する感覚は個人でバッファがある。

 

そもそも右目が遠・近2焦点で、左が遠・中・近3焦点だと、両目でどう見えるのか。

など、運用面でも謎が多い。

 

まぁ、そんなイメージは100回説明されても永遠に納得はできないと思うので、

モルモットだろうがベータ版だろうがプロトタイプだろうが、

いつもそんな人生だったので、今更ねぇ、という話だったりもするのである。

 

 

あれから2年。

右目の白内障手術後、眼科医に宣告されていた「いつか」がやってきた。

 

かろうじて視界を保っていた左目はついに夜間運転の障害となるようになり、

信号は滲み、歩道を走るランナーは宗兄弟のように分裂し、

何かと問題の自転車配達業は車道でよれる邪魔な存在となってきてしまった。

 

「いつかは手術しなければならないだろうねぇ」の「いつか」が、

ひっそりとだが確実にやってきていたのである。

 

事故を起こす前に、老人が運転免許を返上するのと同様、

自分も人間としての目を失わなければならない。

「色がわからなくなる」

「質感がわからなくなる」など人工眼に関するネガティブ要素は多い。

職業的にも引退を迫られる案件である。

 

それでも手術に踏み切ったのは、

おそらく仕事だとか会社だとか組織だとか管理だとか

きっとどうでも良くなってしまったからだと思う。

 

今後がどうなろうとどうでも良い、と吹っ切ったからなのだろうと思う。

 

 

帯状疱疹神経痛の治療は何より時間との勝負らしい。
短期間に集中して痛みを取り除く治療をし続ける。
その結果、効果があれば良し。ダメでも諦めない。
根気強さと粘り強さ、何より痛みに打ち克つメンタルの強さが求められる。

昨今「手術の侵襲」という言葉がフィーチャーされている。
治療自体は成功しているのに患者本人の違和感が解消されずに、
「何故良くならないのだろう」「どうして自分だけこんな目に」などと思い悩んでいるうちに、
心をポッキリ折られてしまうということらしい。非常に激しく同意できるお話である。

 

ペインクリニック担当医は、「痛みを身体が覚えてしまうという治療が捗らない」と語る。
痛いという感情を心に刻み込んでしまうと、治療が進んでいても過敏になりすぎてしまうのだそうだ。

だから短期勝負になる、という理屈である。

外来の度、毎回聞かれる質問に「痛みは10段階でいうといくつか」というのがある。
「一番痛い状態を10とすると今はいくつなのか」ということを常に聞くことによって、

治療の進度を知るのが目的らしい。
曰く「私にはあなたの痛みは分からない」という冷たいお言葉。

外傷や腫瘍などと違って目に見える形で状態が分からないので当然といえば当然なのだが、

上記のようにメンタルに密接に関わる可能性もあるという「痛み」という抽象的な事象に踏み込むためには、

心療内科医やカウンセラーのように患者と距離感を保ちつつ歩む必要があるのかもしれない。

…というか、そう思うことにしないと、毎日のように通院するモチベーションを保てない。

 

星条ブロック注射でさしたる効果がないと見るや、治療は硬膜外ブロック注射にシフトした。

今度は、背骨の腰周辺に局所麻酔薬を注射し脊髄を覆う「硬膜」の外側にある「硬膜外腔」に麻酔薬を注入して、

神経の鎮静を行う、という手法らしい。これをひたすら打ち続ける。今のところ他に手はないらしい。

 

特別痛みはないのだが、脊髄に注射を打ち込まれるという作業に若干の畏怖を感じるのと、

1回5Kという高価なお値段がおサイフにとてつもなく痛い。

 

皮膚科の診断を受けて抗ウイルス剤を処方された後も
激痛は昼夜問わず右上半身を襲い続け、必殺ロキソニンで命を繋ぐ日々。

 

5日後の再診では広がりを見せる水疱の状態を見て、

開業医は大学病院への診断書をしたためるに至った。
曰く「できるだけ早くペインクリニックを始めないと一生痛みが残る」。
最も恐ろしい恐怖が百戦錬磨でポンコツの身体を、さらに襲おうとしていた。

最早My Hospital、My Homeと言っても過言ではない大学病院。
これまでも様々な症状でいろいろな診察科にかかってきたが、
まさかペインクリニックなどという特殊な場所にまで辿り着くとは思わなかった。
VIPである自分(勝手にそう思い込んでいるだけだが)は無理にねじ込んでもらえたようで、
予想よりも早く無事診察してもらうことができた。

表情が温厚な担当医は脳外科の過去診察カルテを辿りながら、
こちらの状況をヒアリングしつつ複合的な事象を論理的に1つ1つ詳らかにしていく。
パズルを解くように、川の上流を辿るように。医師とは何たる優秀な生き物なのか。

 

そこで出た現状と今後の治療方針が出された。
・帯状疱疹の状態は重症。
・現在よりも今後の方が神経痛は増幅するだろうと予想。

・それと以前からカルテに記載されている右手の痺れ・痛みに関しては別問題の可能性が高い。
・とはいえ、今回のタイミングで痛みが強くなったということは関連性は疑う。

・右手は頚椎から神経がきているので、骨の状況の検査をする。

・MRI(またか)およびレントゲン検査。
・とりあえず「星状神経節ブロック」に対して注射を実施。
・ここから短いスパンで治療していかないと一生痛みが残る可能性があるので、できるだけ通うこと。
 

「これは酷いわ」「可哀想」「身体が悲鳴をあげちゃったのね」「仕事し過ぎですよ」
看護師から様々な感想・励まし・呆れ声を浴びつつ、喉下と脇の下にブスリ。
 

様子見となった。

 

 

「ああ、これは帯状疱疹ですね。」
患部を一目見て0.5秒で診断はくだった。
「今日はやけに多いな。」皮膚科の医師はひとりごちた。
「季節とか関係あるんですか?」思わずツッコむ。
「いや、ないですね。」あっさり。

曰く帯状疱疹は、

 

・過去「水疱瘡」に羅漢したことのある患者にだけ発症する(自分は2歳)。

・「水疱瘡ウイルス」は完治した後も、身体に潜伏するため(半世紀近くか!)
 ストレス・過労・睡眠不足など、身体の抵抗力が落ちた時に活性化する。
・特徴として身体の局部に集中して水疱が出る(自分の場合は右肩の前後)。
・空気感染はしないが、水疱などが破れて中の体液経由で
 「水疱瘡」を経験していない相手には感染する可能性がある。
・抗ウイルス剤を服用することによって菌の繁殖を抑え、沈静化を待つ。
・帯状疱疹は神経痛を伴う(自分の場合は右手)対策は、必殺ロキソニンしかない。

 

とのことだった。
 

水疱自体は1〜2週間程度で、潰れ→かさぶたになり→剥がれ落ちる 
一般の怪我の部類と同じ治療過程を辿るらしいのだが、一点、

・重症の場合、完治した後も帯状疱疹神経痛が残る可能性がある

というのが恐ろしく怖い。

 

そしてこの最後の補足が、今後大きな影を落とすこととなるのであった。