私たちは、平安時代への期待に胸を膨らませながら、階段

を上って二階に案内されました。荷物棚のある小さな控えの

間の先に、「弄清席」と名付けられた広間があります。そこは、

赤い毛氈が「コ」の字型に広げられていました。


 「どうぞ、ご自由に毛氈の上にお座りください。」


 逸る心で一番乗りした私は、瞬間的にいい場所がどこなの

かを考えました。そして、雅の平安貴族なら、そのような小賢

しい想いにはならないだろうと思いながらも、平成の俗人は、

正面に床の間が見える場所に陣取ったのです。

 正式な日本間に慣れがないために、「弄清席」に関する私の

記憶は驚くほど希薄です。天井板、天袋、違い棚、襖絵など、

想いの込められた亭主の設(しつら)えは、私の心には少しも

残らなかったのです。

 それどころか、席を決める原由になった、肝心の、床の間に

飾られた掛け軸や生け花も、今では、ぼんやりとした映像しか

思い出せなくなってしまいました。

 聞香とは、匂いだけでなく、五感の総合芸術であるはずなの

ですが、私には、それらを鑑賞するだけの基礎が、育まれてい

ないのです。心はあっても、「見れども見れず」なのです。私は、

今後、茶道、華道、書道、歌道などの礎を築かねばなりません。


 残念ながら二階ということもあって、ちょっと期待していた日本

庭園を見ることはできませんでした。街中(まちなか)のビルで

すから、贅沢は言えません。

 戸惑った気持ちのまま、私が身体を少し斜めにしながら正座

している内に、すっかり、毛氈の上は客人(まらうど)で埋まりま

した。そして、いつの間にか、正装した香元(こうもと)や和歌を

筆写する人などが揃っていたのです。

 今や、「弄清席」は、優美な平安のサロンとなりました。


[ご参考] 公益財団法人「お香の会」のホームページです。

http://www.okou.or.jp/index.html