二年前に急逝してしまうまで、私の母は病気知らずでした。

もっとも、検診を受けるのが嫌いで、私の知る限りでは、87歳

まで、一度も高齢者の健康診断を受けてくれませんでした。

ですから、病巣があっても、わからなかっただけなのです。

 何でも自分でてきたので、ずっと私たちと同居することを拒ん

でいました。私が仕事場にしている小さなマンションの一室は、

母のためのものでした。今、その四畳半の部屋には、遺影が

飾られています。


 晩年の母は、健康ではあっても、さすがに衰えが目立ってい

ました。毎日楽しみにしていると言っていた買物も、どうやら、

二、三日に一回となっていたようです。

 それで、私は自分の家の近くで買物をしてから、母を訪ねる

ようにしました。そして、週末に一泊二日で帰省していたのを、

退職してからは、もう一度平日に日帰りで訪れるようにしたの

です。最後は、それも一泊二日にしました。


 私の愛車は、この往復に大いに役立ってくれました。自動車

のありがたさを、これ程痛感したことはありません。電車であれ

ば、倍以上の時間がかかります。しかも、荷物を持って何度も、

乗り換えを重ねなければならないのです。

 実家に行くと、歩いて十数分のスーパーに行くため、私は母を

自動車に乗せました。いつもは、母が「マイカー」と呼んでいる

乳母車のようなショッピングカーに寄り掛かるようにして、私の母

は買物に行っているのです。


 「便利ね。私も、免許を取ればよかった。」


 よく母は、自動車の中で、このように話していました。買物に

出ようと言ってから支度が整うまで、ずいぶん時間がかかりま

した。私を待たせているという感覚は、もう失われていたように

思います。その間私は、ずっと運転席で待ち続けるのでした。

 当時の私は、創作活動に専念しているとは言っても、構想や

アイデア出しに明け暮れる日々でした。まだ、ブログも始めてい

ないときですから、時間はたっぷりあったのです。


 韓流ドラマが好きだった母に、歴史大作の「女人天下」を収録

したDVDを見せ始めたのは、デジタル化のため買い替えなけれ

ばならなかったテレビに、録画再生機能が付いていたからです。

 テレビを買ったのは、母が亡くなる一か月ほど前の事でした。

ですから母は、150話もある「女人天下」を、最後まで見ないまま

逝ってしまったのでした。